書きたかったけどずっと形にできなかった僕の大切な話し。

2023年1月8日、コロナ禍突入以降初の長距離走大会である「みのかもハーフマラソン大会」を完走することができました。


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その後は少々停滞気味でしたが、幸いなことに割と早く次の出走機会と巡り会えました。
次は2月4日に職場の職員組合主催の駅伝で2㎞ちょっとの距離を走ることになっています。

ハーフ走れるなら余裕と思って考えなしに手を挙げたのですが、3㎞以下の距離は「中距離走」であってハーフを走るのとは体内で生じる化学反応も、走っている最中の疲労感やストレスも全く違う「別競技」であるという事実を突き付けられています。

長距離経験のなかった頃から「人類にとって最もストレスフルな陸上種目は3000m走だ」と言うことを耳学問としては知っていたのですが、それは「走る人」という自分とは縁遠い別の人種にのみ通用することであって、むしろ「3㎞走るのもフルマラソン走るのもどのみち苦しいことに変わりは無いのだから短ければ短いほど良いに決まっている」という身も蓋もない見解が肉体感覚とは合致していました。

自分の感覚と「中距離走は苦しい」が一致するようになったのも、自分がキロ何分ペースで走れば気持ちよく走れるかとか、全力を出せばどの程度ギアを上げることができるのかとか、以前は全く未知の世界だった領域に手が届くようになったからで、自分の世界が広がっていることは素直に喜ばしく感じています。


中距離走は苦しい」という事実はもうちょっと分解度を上げると「中距離を『全力』で走り切れば苦しい」なんて言う附帯条件付きのことであり、ハーフマラソンを走り切れるペースで2㎞強走るのはハーフを走るより断然楽です。当たり前過ぎますが。


そうであれば、職場の親睦大会になぜそこまで入れ込んでいるのかと疑問に感じる方もみえるかもしれません。

 

一つにはこれから先も長距離を続けていく上で、いわゆる「スピード練習 」を体験するチャンスだったってことです。
自分の能力を伸ばすためにはやった方がいいこと、やってみたいと思っていても、さしたる理由もなしに苦しい練習を難しいことですから。


もう一つはそのお話しが僕の人生を変えるきっかけをくれた恩人を偲んで「たすき」をつなぐ趣旨のものだったからです。

 


その人はいわゆる転職組で年齢的には僕より上でしたが採用年次では同期でした。

採用当時は仲良くしていただいていたんですが、僕のメンタルが落ちていく過程で不義理をしてしまった多くの方の中の一人でした。

同じ職場の同僚として働く機会を得たのは僕が四十前後頃のこと。
一番苦しい、職を維持できるかどうかの瀬戸際に立たされていた時期でした。

 

最初は隣の係でしたが、もがき苦しむ僕を一年間自分の係に引き取ってくださり、電話を受ける以外はほぼほぼ戦力になっていない状態のまま守っていただきました。


それだけでも十分な恩義ですが、その人の働き方、生き方に触れることができたことの方が僕に取ってより大きな意味のあることになっていったのです。

 


その人は、何をしていても楽しそうだったんですよ。

 


当時の僕は職場のIT環境には大いに不満を持っていてある意味絶望していました。自分の数少ない得意分野なのに、これでは力を発揮できないと今から考えると八つ当たりのような感情を抱いていたのです。

ところが、その人は職場に採用されている一見使い勝手の悪いツールの機能に不満を述べるような無駄なことをする暇があればそれをどうやって使いこなすかということに意識を集中していました。

当時はその人も平職員だったのですが、実験的な試みも自分の腹で上層部に認めさせて次々と実装していきました。

全く戦力になっていない、僕の「思い付き」でさえも、良いと思えば「それいいね!」と言ってあっという間に現実に落とし込んでいきました。

ITに限らず、全てのことがそんな調子だったのです。

 

旧態依然としていて保守的だと思い込んでいた自分の職場が、魔法のようなツールを導入したわけでもなく、大規模な業務改善に取り組んだわけでもないのに、有り物を工夫したり、ちょっとしたルールを皆に徹底させたり、そんなちょっとしたことであっという間に改善されていくのは、まるで魔法のような出来事でした。

 

ああ、そうか。
仕事をつまらなくしていたのは他ならぬ僕だったんだ。

変わるわけがないと周囲の環境に絶望して、自分が被害者であるかのように振る舞い、今の自分に何が出来るかなんて考えようともしていなかったんです。
能力、人柄、周囲からの信頼。その人と自分の間にはもちろん、大きな差はありました。でも、その差だって元をただせばすべて「考え方」が違うからだったんだ、という気づき。


衝撃的でした。

 

NakamuraEmiさんの「モチベーション」という曲を聴いたとき、思い浮かんだのはその人の顔でした。

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もちろん、気づけたからと言ってそれが自分の現実になるなんてことはありません。
僕が立ち直るにはまだまだ多くの時間と出会いが必要でした。
でも四十を越えてからの自分が一連の変化を受け入れることができたのは、その人の示してくれた道標があったからです。

自分ではないなにかのせいにしているうちは世界は一寸たりとも動くはずがない。自分が動かせるのは自分だけなんです。
でも、全部自分の責任と思えばすべては自分でなんとかできることにもなり得る。

もちろん、そこに気付いただけでは何も変わりません。

 

なにかのせいにしたい気持ちとの闘い

全部背負おうとして負いきれずに自滅してのたうち回る日々

一筋の光明とともに膨れ上がる尊大な自己評価

なにかを悟ったような錯覚と見えていなかった死角への気付きの繰り返し

 

覚束ないながらも自分の足でその人の道を辿り始めたのは、五年程後のことだったと思います。

それから今に至るも、同じようなことを延々と繰り返しているようにも思えます。


その人はコツを教えてくれた訳じゃ無いんです。
ただ僕の視界の中でその人なりに生きて働いていただけです。
観察して、思い返して、勝手に解釈して、試してみて、思い通りにはならないの繰り返しです。

人がなにかを学ぶことの本質、神髄に気づかせてくれたのもこの経験でした。

 

ああなりたいと思いつつ、遠ざかったり近づいたりを繰り返す中、結果的に試せることはなんでも試してきたような気がします。
今僕が山に登るのも、走るのも、その人がそうしていたからです。
一緒にどう?と誘われたこともあったのですが、その時は気持ちも体もついていきませんでした。

 


その人と過ごした一年のあと、お礼が言いたい、話しをしたいと願いながらも、その人とお会いする機会はありませんでした。


そして、去年の夏、唐突にその人の訃報が届きました。
事態が呑み込めませんでした。
フルマラソンよりウルトラマラソンに適性があるような、とても「 死」とは結びつかないような人だったんです。


僕は「失敗」というのはお金や政府や宗教と同じで人間が社会を維持するために作ったフィクションだと思うようにしています。そんな僕の「処世術」をあざ笑うかのように、取り返しのつかない「失敗」というのは存在するんだというこれ以上ない現実を突き付けられました。

 

連絡は取ろうと思えば取れたのです。
電話番号は携帯に入っていたし、なんならFacebookで友達にもなっていました。
たしか、最初に「おおがきハーフ」で10kmを完走した時だったでしょうか。
今ならこの人に顔向けできるかもしれないと、勇気を振り絞って申請しました。
悲観主義のもたらすあらゆる悪い予感という妄想に反して、あっさりと申請は受理され、それからはたまに投稿に反応をいただいたりもしました。
あの一年間でおかけした迷惑の数々を、許してやるよ、というメッセージを頂いておきながら、最後の一歩を踏み出せなかったんです。


取り返しはつきません。
悔いていても誰も喜んではくれないので考えるのは止めるようにしていますけど、「本当の失敗」は「刻印」なんだなと実感しています。


みのかもハーフに出場する機会もその人がくれました。
コロナ禍に入ってすっかり停滞していた僕の目を覚ましたのはあの突然の訃報でした。
亡くなった後も一方的に恩恵を受け続けるばかりで、絶対に返せな い借りが積みあがっていきます。
理不尽ですけど、恨み言を言いたくなったこともあります。
ズルいですよ、って。


これほど劇的ではなかったとしても、時に意識することすらなく、僕は生きてきた過去においてもこれから先もあらゆる人から一方的に恩恵を受けているんだと思います。

もしかすると、「半径ゼロメ ートルの革命」は、自分だけでは引き起こすことはできないものなのかもしれませんね。

youtu.be

きっと、そんな僕にできることは受けた恩を次の誰かに受け渡すことなんだと思います。
僕の中に生じたような奇跡を起こすことは無理だとしても、種を蒔くことだけは止めないでいたいと肝に銘じています。

まだと言うより一生答えにたどり着かないように思える僕が受け渡すことが出来るものがあるとしたら、それはその人同様まず自分が楽しく働き、生きる姿を見せることかもしれません。

 

簡単なように思えて、難しいことです。

傍から見て楽しいそうに、しかも働いている時に、ですからね。

演技としてその状態を常時維持することはほぼ不可能です。

 

僕にとってそれ以上に難しいことは、「つい語ってしまう」のをいかに我慢するかだったりしますw

本当に言葉は伝わらない、と言うより多分正解がどこかにあるとして、その本質を自分でも理解していないんでしょうね。

 

どちらにしても、反省することばかりですけど、それだけに挑戦しがいはあります。

 

そして、そんな「人としての当たり前」を腹落ちさせてくれたのも結局その人ということになりますね。

 


その人の形見のシャツと一緒に、みのかもハーフは走りました。


僕のゆったりペースも、ハーフという距離も、その人には物足りない思いだったかもしれません。

 

どうせ「片思い」なんです。
亡くなった人の居場所はきっと生きている人の心にある、とは母の死から学んだことです。

これから先、少なくとも走っているとき、その人は僕の心にいると思います。
いつかは満足してもらえるようにまだまだランナーとしても成長していければと思ったりもしますけど、それもきっと僕の自己満足なんですよね。


僕が生きている限り、その人はそんな存在で居続けてくれるんだと思います。

 

僕はとびっきり運の良い人間です。

そんな幸運を無駄にすることのないよう、これからも生きていきたいと思います。