僕の「気付き」の内訳のはなし プロローグ? 「ゆる言語学ラジオ」篇

僕にはYouTubeを「時間泥棒」として敬遠しているようなところがあります。

 

「わざわざ敬遠する」ということは依存の対象として何度かはまり込んだ経歴が残っているからでもあります。

 

過去の経験を振り返ると、タマタマ何かの切っ掛けで視聴を始めたチャンネルについては初期から塗りつぶすように視聴を重ね、概ね長くても二~三年程度分の動画を視聴した段階で、「ああ、だいたい判った」と思う瞬間が来て、興味がプツンと切れることが多かったです。

 

YouTubeの番組作成はかなり過酷なのではないかと想像します。

ネタのインプット、シナリオの作成、撮影、編集。

サポーターとのやり取り、他の発信者との関係性構築。

「当局」とのやり取りなんかもあるかもしれません。

 

一番時間がかかって短期的には優先順位が低いように感じてしまうのが「インプット」ではないかと思います。

同じネタでも多少切り口を変えれば「味変」はできるでしょう。

「コラボ」や「視聴者いじり」や「個人の感想の垂れ流し」には基本的にインプットは不要でしょう。

余程勉強熱心な人でも「その他のタスク」と人気の獲得、維持に不可欠な「一定の更新頻度」を確保しようとすると「物理的な限界」がやってくるのではないかと思います。

 

「人と人のやり取り」をエンタメとして消費することは僕の中でかなり価値の低い行為です。

「自分がそのやり取りを構成する一員」であるならともかく「スクリーンの向こうのそれ」を鑑賞する行為は単に「温かい空気」を「その気分だけ」補充するだけの「無意味な行為」に思えます。

多くの人の行動を観察するに、僕のこの価値観は正しいかどうかはともかく人類全体の標準から離れた「異端」なのだなという自覚はあります。



僕の興味がプツンと途切れるのは、もちろん自分自身の性格もあると思いますが「そんな事情」が「裏」にあるのでは?と感じることがあります。




そんな僕にとって、チャンネルを選ぶ基準は「自分が持っていない知識セットのうち、興味を惹くものがあるかどうか」。

その一択とは言いませんが、比重はかなり高いです。



YouTubeというメディアは本質としてその条件を満たし続けることが難しい、ということが前段で述べたとおりです。



過去にはYouTubeを通じて「凄い人」を見つけたことがあります。

 

僕の知らなかった「究極の答え」に近いなにかをもっている人でした。

結局YouTubeという「万人向けの判りやすい解説に腐心する必要のあるメディア」より、縁あってリアルに会うことが叶ったその人本人と話す方が何万倍も面白くなってしまって、その人のチャンネルの視聴も途切れてしまいました。

初期から三年間分程度を三ヶ月程度ぶっ通しで視聴し続けて、一時期は「作成していた当の本人」より動画の内容に詳しい状態になったりもしたんですけどね。



当然、それはレアケースですし、仮にそんな僕に「本人」の価値を認められたからと言って「YouTuberとしての成功」からは却って遠ざかる気もします。



ともあれそんな僕にとってのYouTubeは散々そうやって「自分への言い訳」を構築しているにも関わらず、「父親が寝室に下がってからの『独りの時間』に耐えきれずに音が欲しくて流してしまう、消費するのに罪悪感すら伴うもの」でした。

本当にしたい「書くこと」の効率は確実に下がりますしね。




2023年10月末、心臓冠動脈狭窄の診断を受けて、今後いずれかのタイミングで冠動脈バイパス手術を受ける必要があるとの診断が下ったことで状況が変わりました。

 

そんな傾向にブーストがかかったのです。




孤独耐性が極端に下がりました。




「走る」ことで時間を費やすことができなくなったので、「自分と向き合う時間」が「居間で座っている時間」とほぼイコールになってしまいました。

結果、「人の声が聞きたい欲」が高まりました。

 

そんな時でも「気軽に消費できるコンテンツ」には食指が動きません。



「後日の自分」に少しでも言い訳が立つような「少しでも実になるようなもの」を探していて行き当たったのが「ゆる言語学ラジオ」でした。

 


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https://www.youtube.com/@yurugengo



僕は、大学は外国語学部を出ています。

と言うのは建前で「体育会系弓道部」を専攻した他は「科学史」とか「宗教概論」とかそんな「専門外」のことの履修ばかり印象に残っていて、語学からは逃げまくっていました。

 

言語学」と「語学」の明確な区別が出来ていなかったことすらこのチャンネルを見て初めて気付いたくらいです。



このチャンネルのコンテンツを観ることで、言語学というのはいわゆる「外国語の習得」とは明らかに違う、言語という概念自体の定義、理解を目指す学問だということを理解しました。

 

言語は「人」・「人間」の存在の根本に深く結びついていて実は「哲学」「文化人類学」「社会学」のような「人間」そのものの理解を目指す学問だということも判ってきます。




刺激的でした。




ただ、一方でコンテンツの内容には不満を感じていました。

前段で述べた通り、僕のYouTube視聴スタイルは気に入ったチャンネルがあると頭から順番に視聴していくというものです。

 

開設当初のこのチャンネルの出演者二人は「実に危うく」見えました。


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僕とは20歳近い年齢差があるにも関わらず「個別の知識」については質、量ともに既に負けている可能性を感じましたが、僕の価値観の中ではより肝心な「歴史の大きな流れ」や「宗教教義やその他の代表的な思想の骨子」など、人間社会の総体を捉える上で必要な「必須科目」への理解が圧倒的に足りていないように見えました。

インパクトが強くて「ひけらかすのに丁度良い細切れ」は異常な記憶力で保持しているのに、その点と点を結ぶ線が全く引けていないように見えたのです。

 

ADHDに特有な「メタ的に理解しないとなにも覚えられない」特質を持つ僕からすると、同じ人類として能力にこのような偏差が存在するのかという戦慄すら覚えるアンバランスぶりでした。

発達障害」の診断を受けていて、標準偏差から大きく外れていることにお墨付きが出ているのは「僕の方」ですけどね。



チャンネルホストのお二人のうちの若い方、水野大貴さんは開設当初は26歳だったそうです。

その時分の私は、ライアル・ワトソン氏、渋沢龍彦氏、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト等の著作を読み漁ったり、ハラルト・シュテュンプケ氏著の「鼻行類」とか、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑」といった「奇書」の類いを集めたり、今から考えてみると「現実逃避」に徹していました。



相方の堀元見さんはその3つ歳上。

チャンネル開設当初の彼と同年齢だった頃の私は恐らく自分史上最も「陰謀論」に支配されていて、リアルに「アポロ計画は月に行けなかった」と信じていましたし、もう少しこの傾向を引っ張っていたら、あるいは時代がもう少し下っていたら、熱烈な「Qアノン信者」になったり「ワクチン否定論者」としてネットを攪乱する存在の一角になっていたかもしれません。



今の僕の「お二人に対する見解」が仮に「公平な判断」に基づくものだったとしても、それは百メートル走で三秒ほど早くスタートしているのと同じようなハンデが必然的に生じているからであって、今の時点で多少前に位置取ることができているとしても、いずれ抜かれることは確定的だろう、という程度のことです。

 

「そこまで悲観的にならなくても」と思われるかもしれませんが、現実はもっと僕にとっては酷いものであった、と言うことをこれから語ります。



開設当初のモヤモヤから十月頃の「初見」からしばらく視聴を止めていたのですが、年末年始休暇になって自由になる時間ができてしまうと「その手のコンテンツ」への欲求がより切実なものになります。

もはや選んでいるというか、アル中患者がそれらしいものであれば「エチル」だろうが「メチル」だろうが手を出してしまう感覚で視聴を再開したのです。



しばらく「我慢」して観ていると、様子が変わってきます。

 


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どうやら「バズった回」があったようで、それがまた綺麗に炎上したようで、謝罪シーンなんかが入ったりします。

 


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「流れの中でそういうこともあるよね。」

程度の感想で、時間を費やすために次を次をと観ていくと、事故的なことではなくて、番組製作の態度的なものが変わってきます。

 

現役の専門家を監修に迎えたり、それに飽き足らずにゲストに迎えたり。

 


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「観るに耐えなかった」初期の回を、同じお題で「更新」するコンテンツを作成したり。

 


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↑ この辺、シナリオを構成する水野大貴氏の熱意も然る事ながら、チャンネルホストとして「経営者」的立場にあり、かつ「聞き手」として供に番組をもり立てる堀元見氏の少し年若い水野氏に対する敬意、信頼を感じるところもグッときます。

 

「ひけらかす」という「芸風」が変わるわけではないですが、彼らへの「周囲からの評価」が明らかに変化している様子が伺えます。

 

なにより、彼ら自身の「無知の知」のレベルが急速に向上し、初期の頃よりははるかに確度の高い発言をしているのに、「正しく自分の無知を恐れる」ようになっていました。




その頃になると、もはや僕は客観的な観察者では居られなくなっていました。




「『人』を尊敬しない」という「鉄のポリシー」があるので、この感情を安易にそう表現はしません。

「大いに感銘を受けた」という言い方をさせていただきます。

 

個別のコンテンツの評価と言うよりは、その「チャンネルの歴史の流れ」にすっかり魅了されてしまいました。



正直「逆にやりすぎかな?」と思わなくもないコンテンツもあります。

言語学マニアである水野氏と、想定される視聴者である「普通の人」とを繋ぐ「通訳者」として機能している堀元氏を敢えて外して、「言語学という学問領域」の中でも取り分け「難解」と評される「生成文法」分野の現役学者との対談形式で四時間半ぶっ続けで多少の予習ではビクともしないような内容を延々と語り続けるものとか。

 


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「若さだな」と思います。

それを自覚し、受け入れた上で、やってみえるようです。

 

僕はそれは単純に「立派」だと思います。

 

軟弱なことにリスナーとしては脱落しましたけどね。

今確認したところ、二十七分頃まではなんとか「我慢」が続いていたようです。





宗教組織、公益団体から命に関わるインフラを運営する事業体まで、ほぼ全てといって差し支えない「組織」を評価する基準がその「経済的な成功」の度合いになったり。



人を評価する基準という以前にまず一定程度の「優しさ」があるかどうかが「足切り」の基準点になったり。



良くも悪くも「評価軸」は時代の流れの中で変動を続けます。



コンテンツについては、とにかく「消化の良いもの」それ以前に「噛まなくても溶けるように口の中で消えていくもの」が良しとされているように感じます。




一方で、現実世界はより一層高い解像度で解析されるようにもなっています。

量子力学」「生成文法」あるいは直感との乖離や、不可知領域の広さでは「医学」に代表される人間の生体への理解もそうかもしれません。

 

今の僕は「せかされることなく自分のペースで理解することが許されれば、最終的には大抵のことは理解できる」と思っていますが、現実にはどれだけ周辺的な知識を仕入れて時間を掛けようと、いっこうに核心に迫る感触を得られない領域が存在することは素直に認めるところです。



臆病な僕にとっては「理解できないことがある」という事態そのものがストレスですから、これはある意味「自分の幸せ」に直結する問題です。

 

目を背けている訳ではないですが「自分なりにできることがある」ということと「社会を信頼する」ということが、この点については盾になってくれていると感じます。

 

自分が理解できないことがあっても、それを理解してくれる、同じ社会を支える同志がいてくれる。

いずれ、ジワジワと、ADHDらしく遠回りに、その周辺事情を少しずつ埋めていくことで、いつかは理解の端には辿り着くことができるかもしれない、という期待も残してはいますけどね。




「ゆる言語学ラジオ」のこの「なにも隠すところのない、ありのままの生臭い美しき軌跡」は、僕の人間や社会に対する信頼を揺るぎないものにする、とまでは言えないですが、「背中を預けるに値する」と、実感させてくれました。




「今時の若い者は」という言葉は古代エジプトの粘土板にも刻まれている、なんて話はどうやら出典不明な都市伝説の類いのようですが、文字として刻まれているか否かに関わらず、恐らく人類は文明を進化させ始めたあたりからならほぼ確実にこの言葉を使っていたのではないかな、と思います。

なにせ「年若い隣人」は良い悪いはともかく「年老いた自分」とは確実に違う世界、価値観、人間関係の中で生きていたのは当時から変わらない事実で、そんな彼らは「自分」とは一致しない「正解」を持っていたはずですから。



僕自身の中にもあった、この「人の世の理不尽の源泉」を、この若者たちは完膚なきまでに破壊してくれました。



YouTubeという、「学びからは最も遠いところ」にあると僕自身が固く信じていた場所から。



それは、引いては「人間って、社会って、凄い」という手術・入院を経て獲得した僕の「根拠なき確信」の、まだちょっと弱いけど、それでも確かな裏付けにもなったのでした。

僕の「神様」は「社会」だったのかもしれないという「気付き」のはなし

事後報告になりますが、このブログでも何度かご報告してきました冠動脈バイパス手術を二月八日に受けました。

 

手術は成功し、リハビリも順調に進み、病気休暇を申請するために医師から頂いた診断書にあった記載では二週間とされていた入院期間は十日程度に収まり、二月十七日には退院することができました。

父親と二人暮らしとは言え、買い物、調理、洗濯といった家事は自分でやってきたので、自宅療養には不安を感じていましたが、実質一週間でも退院可能のお墨付きをいただいた上で念のため近所に住む弟さん家族にお願いした迎えの都合で延長した三日間分を結果的に病院内という安全安心な環境で思いっきりリハビリに励むことができたこともあったせいか、退院日には一人で買い物に行くために車を運転して荷物も自力で運ぶことができて大いに自信を深めることが出来ました。

そこからの自宅療養期間も、総じて今のところ順調です。



手術前、この一連のイベントについて想定していたことは「沢山の人生初があるんだろうな」でした。

これでもかなりポジティブに考えようと努力した上でのことなのですが、「人生初」というのは「今までに感じたことのない痛み」とか「今までに経験したことのない不自由」とかそういうこともコミな訳です。

 

実際、その両方とも経験することにはなったのですが、通り抜けた今、そんなことも含めて過去の人生で一番ポジティブな体験と言い切ることが出来るようになりました。

 

流石に手術直後からの体調が不安定だった数日間は天国と地獄が交互に訪れるような、ちょっとした自分の不調からの「もうダメだー」が少し解消するとパーッと目の前が晴れて世界が色鮮やかに見えたりで、鎮痛剤もかなり強い物を投薬されていたでしょうし、脳内物質も日常とは違う分泌状況なんだろうなーと、ちょっと冷静になれた瞬間に振り返ったりするような状況でしたが、体調の安定した入院後半辺りから、自分でもこれは浮かれすぎだと思うほどの多幸感に包まれました。

 

後に先輩患者さんの手記から「手術日は第二の誕生日です」というフレーズを見つけて、僕だけじゃなかったんだとちょっとホッとしました。

 

大げさな言い方をすれば、「宇宙飛行士が初めて『地球』をその目で見た瞬間に人生観が変わるエピソード」に近いんじゃ無いかなと想像したりもするのですが、僕は宇宙飛行経験も地球を肉眼で観たこともないので、当然これは推測です。

でも、そのぐらいのことは言ってもオオゲサじゃ無いと思えるぐらいにはポジティブでした。



「神に会った」みたいな宗教的な体験に近いのかな?と思われた方もみえるかもしれませんが、僕の場合はその現象を割とロジカルに説明することができそうです。

 

今回、僕を救ってくれたのは「社会」でした。



社会保険制度を通じて金銭的な扶助をいただき、公共事業を担う職場から同僚のサポートを受けながら病気休暇をいただき、日本でもトップクラスの高度医療を受けることで僕の肉体の中で自覚もなく進行していた「突然死」のリスクを回避することが出来ました。

そもそも、その「自覚無き体の不調」は職場の健診として受診した人間ドックで発覚したものです。

 

手術には人類の叡智とも言える医療機械「ダ・ヴィンチ」が使用され、胸骨を切ることになっていたら半年間は車の運転が出来なくなる可能性もあったところ、退院時点では痛みはあるものの日常動作はほぼ可能な状態でした。

 

当然、執刀していただいた医師チームの皆さんは日本でも有数の精鋭揃いです。

頭脳においても手技においても元より優秀なのでしょうけど、その状態を維持するために不安定な勤務状況の中でご自分のコンディションを保つため、ストイックな努力をされていることが伺えました。

体型的なことは遺伝的要素も強く影響するのかもしれませんが、皆さん共通して無駄な肉など見あたらないアスリートっぽさを漂わせ、診察の際に水分補給用に卓上に置かれていたのは「特茶」です。「しょせん特保」という考え方もありますけど、あれ、美味しくないんですよね(^_^;)

効くか効かないかはともかくとして、「そういうもの」を選ぶマインドの持ち主なんだと推測します。

 

入院期間を支えて頂いた看護師さんも、過酷な職場にありがちな若年層の多い構成でしたが、総じて優秀で、据え膳上げ膳の状態ですっかりお客様気分でワガママを言ってしまう患者さんや、意思疎通が困難な状態の患者さんに対しても感情的な反応を見ることはありませんでした。

自分の経験からも「誰かのせい」に転嫁しなければやり過ごすことすら困難な痛みやストレスと向き合う機会に事欠かないのが「入院患者」という存在です。

一々感情的な反応をしていたら身が保たないのでしょうけど、それにしても職業上の必要性を持ち出して全てを説明仕切れるとは思えない過酷な状況を平常心で過ごすことが日常というのは、人間としての構造のようなものが根本的に違うぐらいのことが無ければ説明がつかないと思ったりもしました。

 

麻酔から覚めた瞬間は呼吸すら気管挿入された管を通して補助されていたという点で言えば、赤ん坊以上に「自力ではなにもできない」状態でした。

他人とペースを合わせることが苦手という社会不適合な性格から、自分でできることは他人の迷惑を顧みずにやってしまうところのある僕ですが、集中治療室で過ごした概ね48時間ほど他人に全てを依存した時間を過ごしたことは無かったと思います。

どんなつまらないことまで忙しそうに働いている人に頼まなければなにも進まないという状況は普段ならかなりのストレスだったと思いますが、さすがに体中に針やら管やらが繋がっている状態では覚悟も決まるのか、今から振り返ってみると「ワガママ」でいることにも適応していた気がします。

 

医療の現場は他にも多様な職種で構成されていて、皆さんそれなりに忙しさや現場の過酷さを共有しています。

 

患者との接点という点で言えば、リハビリを担当する理学療法士さんの存在は大きかったです。

今回は連休を挟んだ関係もあって計四人の方に担当していただきましたが、基本一担当/一患者のマンツーマン体制で患者を支え、もうちょっと入院が長引いたら頼り切ってしまうだろうなと想像したりします。

僕は手術後二日目には立ち上がって歩くことが出来たのですが、手術痕の痛みもあってその初めて立ち上がった時には「人生で一番かもしれない痛み」を感じました。

早朝のリハビリ前に体重を量る必要があって立ち上がったのですが、その痛みがトラウマになってしまってその日は朝食も食べられず、当然リハビリなど出来る訳もないと決めつけていました。

実際のところはその日の代役としてやってきた本来の担当さんではないベテラン女性療法士さんにあの手この手でなだめすかされて、リハビリ開始。傷口が安定するようバストバンドなる補助具を巻いてみたら痛みもなんとか安定し、数分前の自分には想像も出来なかった「歩く」ことにまで挑戦していました。

 

痛みがあったとは言え、「寝た切り」だったのは30時間程度です。

今から考えてみれば立てさえすれば歩けるのは当然なんですけど、思い込みは怖いもので、自分としては「クララが立った」レベルの奇跡が起きている感覚がありました。

まあ「あのクララ」もたぶん歩けないと思い込んでいたから歩けなかったんでしょうけど、フィクションとは言え、その思い込みで何年も歩けなくなることだってあるのが人間だというサンプルでもあるわけで、そう考えると今この瞬間にも日本には何百人ぐらいのレベルの「クララ」がいて、「クララが立った」現象も毎秒レベルで発生しているのかな?と想像すると、とんでもなく尊い職業だなと思います。

 

栄養師さんにもご迷惑をおかけしました。

僕は一日一食とか、加工食品はおろか普段から穀物も食べないかなり極端な食事法を採用しているのですが、さすがに病院内でそれは無理ですし、命を預ける相手に変にワガママを言うのも気が引けて、入院時点ではなにも要望していなかったのですが、ICUから出た途端、喉元過ぎたのかワガママ心がニョキニョキと育ち、「パンと牛乳はNGでお願いします<(_ _)>」と掌返しをしてしまいました。牛乳は乳糖不耐症との診断を受けたことはないのですが、自分の生活を振り返って牛乳を飲むと体調が悪くなることに気付いて日常生活でも牛乳は飲まないようにしています。発酵製品は大丈夫なので、チーズもヨーグルトもOKです。そこまではまだ健康上の理由ですが、パンに至っては「本当はお米でもカロリーの質(同じカロリーを摂るのに同時にどれだけ微量栄養素を摂れるかを重視する考え方)を考えると食べたくないのだけど、パンに至ってはバターやら塩やらも入っていてほぼお菓子と同じなので」というかなり特殊な考え方に基づく物でした。

正直、「要求の妥当性」を考えると牛乳はともかくパンは突き返されても文句は言えないなーと思っていたのですが、結果、全部吞んでもらえました。

牛乳の代わりに「飲むヨーグルト」的なものが出たり、パンの代わりにご飯が出たときには組み合わせに考慮してもらえたのか、焼き海苔までついてきて、正直そこまでやってもらうと罪悪感マックスというか、たかだか一週間そこそこなら我慢もできたことでここまでこちらの身になった対応をしてもらえるものなのかと我が身の情けなさとの対比もあって、その志の尊さにちょっと泣きそうになったぐらいでした。

 

素人目には医師から出た処方を準備しているだけの存在に見えたりする薬剤師さんも、ADHDの薬であるコンサータについて自分の経験則上眠るためには妨げになるという僕の訴えを忙しい医師に通してもらえてストップしてもらえたり、退院時に渡される処方についても入院中同様の服薬時間帯ごとの包装を準備してもらったり、細かな要望に応えてもらいました。



それが特別でも何でも無い業務の中での日常なのかもしれませんが、自分の自由が効かない状況で職業上の物であってもこれだけ人からのサポートを意識すれば、僕のあの心情変化も当然のことのように思えます。

 

比較的早いタイミングで体調が好転したことを考えると、集中治療室のあの「寝た切り」状態が予定通り一週間に及んだり、結果的に先の見えない入院生活を送ることになっていたりすれば、同じように思えていたかは疑問で、その点運が良かったのは確かです。

でも、それは僕の受け止めの話しであって、病院側の対応は基本変わらないものです。

 

僕はその有様を幸運にも比較的平静に観察する機会を得ることが出来た、ということですね。



そんな訳で、僕は社会全体というか、大げさな話し技術や科学の進歩のことなんかを考えると、過去から連綿と続いてきた人類全体の歩みに支えられて手術と10日間の入院生活を乗り越えることができた、と理解した訳です。

 

その閃きのような「理解」はちょっとした「悟り」のような感覚でした。




僕は孤独耐性の高い人間だと思います。

今は父と犬と暮らしていますが、こうなったのは止むなく運命を受け入れているというよりは自分の選択の結果そうなっているのかもと感じることがあります。

犬を飼うことは父のたっての希望で、僕は父が前の犬を甘やかしてスポイルしてしまっていたのが嫌でしょうがなかったので最後まで反対していました。最終的に僕のいない隙に弟一家と示し合わせてだまし討ちのようにしてお迎えしたぐらいです。

犬自体は元々嫌いではなかったし、仔犬ともなれば当然のようにかわいいのですが、犬の顔を見た瞬間に思ったことは「ああ、これは弱点ができちゃったな」でした。

一体何と戦っていたのか、ゴルゴ13にでもなったつもりだったのか、今から考えると自分でも笑ってしまいます。

 

他人とペースを合わせるのが苦手なんでしょうね。

友達付き合いも縁のあった人数人と3ヶ月に一回のようなペースで、その都度1月前ぐらいから予定を入れて、もちろん楽しみにしながらではありますが、会って2~3時間程度の時間を共有してサッと別れてのような付き合い方が心地良く感じたりします。

会っている間は当然楽しいし、時間の密度も高くて、充実感もあります。だからと言ってもっと一緒にいたいとは、別れ際には思うものの、いざお別れしたらすっとそのさみしさも消えて、満足感だけが残る感じです。

そんなわがままをしているのにありがたいことに、縁には恵まれていると思います。

 

今回、社会との繋がりみたいなことを強く感じたのもこの辺の性格的な事情もあるのかな?と思ったりします。

今までもなにかの切っ掛け、母の死とか、失恋とかを経て、最終的に社会に感謝する内容のエントリーはブログにもいくつか残っています。

その気持ちに偽りはないのですが、どこか頭の中の論考の結果のような、パズルを解いていたら出てきた答えのようなところもありました。

 

今回はその点かなりリアルでした。

「赤ちゃん未満模擬実習」とか「クララが立った現象」まで経験したわけですしね。




「他人とペースを合わせるのが苦手」から派生している気がしているのですが、僕のもう一つの特徴は、金銭を介した顧客とサービス提供者の関係性の中で割と深い信頼関係を結びがちな点です。

 

コロナ禍以降プライベートで一番時間を共有しているであろう古武術の師範も、元々五十肩を拗らせていた時に「腱引き」という整体のような施術を受けたことから関係性が始まりましたし、床屋さんとか、スーパーの店員さんとか、昔で言えば馴染みのバーのマスターとか、関係性のレベルはそれぞれですけど、こちらがお金を払うことで関係性を「調整できる」というと語弊がありますけど、判りやすく感謝の気持ちを金銭で具体的な形で渡すことができる関係性に安心感を覚えるところがあるのかな、と思ったりもします。

 

その意味では病院との関係は、まあ、自分が払った金銭の額とあの体験の中で受けた恩が釣り合うのか甚だ疑問ではあるのですが、それも社会保険があってのことと考えると、「正当な対価」ではあるので、そういう意味ではより素直に感謝の気持ちを持てた可能性もあるかなと思います。



心の中の動きなので、どこまで論考しても答えには辿り着かないのですが、まあ、大筋では間違っていない気がしています。



で、その結果なにがあったかと言えば、今までこのブログで書いてきたこととか、そこまで至らないけどいつか書きたいと思ってきたこととか、意識すらしてなかったけどなんとなく考えてきたこととか、そういう「個別のテーマ」を繋ぐテーマが急に見えてきたりして、全てが一つにまとまって球になったような感覚があったんですよね。

 

そういう閃きみたいなものは無意識が今までの経験なんかを結合して「直感」として出力しているもので、それなりに妥当性の高い答えではあるんですけど、なにせ直感ですし、神経伝達=電気信号の性格上、「長持ち」はしないものです。

忘れないうちに言語化してどこかにメモでもしない限りは。



今回、幸運にもその尻尾ぐらいは掴むことが出来たんじゃ無いかと思っています。



今にして思うと幸いだったのは、集中治療室にスマホ持ち込み禁止だったことですね。

事前にそういうはなしは聞いていたのですが、頼めばなんとかなるかなーとちょとタカを括っていました(^_^;)

実際入ってみれば、下手をすると意識も無い状態で三日以上ということもあり得るし、意識が戻っても体のアチコチに管やら針やらが繋がっていて身動き取れないし、むき出しのベッドに横たわった状態で完全看護を受け続けるのでパーソナルスペースはベッドの上だけ、それも手が動かせる範囲は最初のうちは肩から上の枕の右側分くらいのイメージです。右手は針が二本入った状態で、ものを持ち上げたり運んだりのハードルもかなり高いですしね。

 

そうは言っても「なにか」は欲しい。

考えて「ペンとメモ帳はなんとか」と頼んでみました。

最初の反応を見るとそれも難しかったようなのですが、リハビリを担当してもらった理学療法士さんがメモを取ること自体は最低でも「座る姿勢」を伴うのでリハビリの役に立つという「合理的な理由」を立ててくれたことで事態が好転しました。

厳密になにが起こっていたのかは知るよしもありませんが、経緯から推測するにそんなところです。

 

考えてみれば難色を示されたのも「そもそもそんな要求される前例がなかったので判断材料がなかった」ってことだったのかもしれませんけど(^_^;)

 

こうして運良く持ち込めた訳ですが、例えば決してあり得ないはなしでは無い「三日間昏睡状態」だったりしたらメモを取ろうという気になるまでには相当時間を要したかもしれませんね。



そう考えると「運が良かった」ことが一番大きかったのかもしれませんが、僕は「集中治療室で過ごした二日半とたまたま三連休が絡んでスマホを取り戻せなかった三日間」を、空いた時間をひたすらメモを書くことで埋めていくことになりました。

 

実は、この機会以前の僕には「メモ帳を一冊使い切った経験」はありませんでした。

スマホでメモを取るようになって、メモを取るという習慣自体は根付きつつありましたが、紙のメモとは「相性が悪い」と思い込んでいました。

 

実際、相性は良くないのかもしれません。

入院中に書いたメモをデジタル化する作業をチマチマと進めているのですが、ところどころ「書いた本人にも判読不明な箇所」があります。

フォーマットはその時々で気まぐれに変わっていきます。

普段から愛用している四色ボールペン+シャープペン、実際は緑のインクの入っていた箇所を0.3ミリの黒に入れ替える「カスタマイズ」をしていますが、を一緒に持ち込んでいましたが、青や赤を使うケースは暗闇の中でメモを取る際に押し間違えてしまった場合でした。
0.3ミリの黒を四本入れておいた方がまだ合理的だったかもしれないと思うくらいです。

 

でも、メモを残さなかったよりははるかにマシでした。

判読不能楔形文字が粘土板に刻まれている状況に近いかもしれません。

根気と想像力がなければ情報価値は限り無くゼロに近づきますが、読み解こうとする意思を支えるだけの何かがあれば、それは無限に100%に近い情報量を保持するものになり得ます。

なにより、書き出したという事実があることが文字が残っていること以上に役に立った感触もあります。

頭の中だけではないどこかで整理された情報の痕跡は脳の中にも影のように残っているのです。

 

そんなわけで、もしかすると今まで多くの「入院患者」の脳内を駆け巡り、結果的に「気の迷い」として処理されていたかもしれないものを、僕はひたすら自分の血肉にすることが出来た訳です。



途中他のネタを挟むかもしれませんが、このブログではしばらく僕のこの経験について書いていきたいと思います。

 

お付き合いいただければ幸いです。

ゴジラにおける「何でも説明しちゃう博士」に関する論考 その2

前編では「ゴジラ -1.0」を題材に、初代ゴジラが残した遺産であり、後のシリーズ作においては「呪い」のような存在になってしまったのでは?とも思える「何でも説明しちゃう博士」について拙いながらも論じてきました。

今回は「ゴジラ -1.0」以前に同作とは全く異なるアプローチでこの問題に対処していた作品が存在していたことについて言及したいと思います。


その作品はゴジラシリーズに連なるものではありません。

漫画「機動警察パトレイバー」の第9巻から単行本3部余りに渡って描かれた「廃棄物13号」というエピソードです。

 

 

以降の論考においては同作のネタバレを含みます。また、「機動警察パトレイバー」という、名作ではありますが残念ながら少々鮮度の落ちてしまったコンテンツの読了を前提とした論考になることをご承知おきください。


さて、同作において「何でも説明しちゃう博士」に近いポジションを担う西脇順一博士は「何でも説明できるポテンシャル」はあるものの、作中時間軸のスタート時点で既に故人となっています。

博士の残した、いわば「ダイイングメッセージ」を巡って「探偵役」と「犯人役」が舞台を回す「謎解き劇」と、治安当局の立場から描かれるロボットものにしては奇妙にリアリティのある怪獣パニックものが相互に幕間に展開し、終結に向かって二つの流れは一本に収束していきます。


伝統的なゴジラ作劇において「狂言回し」を演じる「何でも説明しちゃう博士」をむしろミステリーにおける「謎」そのものに落とし込んでいる訳です。


「廃棄物13号」は「WXIII機動警察パトレイバー」としてアニメ映画化されています。

映画版はよりサスペンスパートにフォーカスしており、オリジナルのトリックも盛り込まれているのですが、本論の題材である「博士」の立ち位置について影響があるほどの改変はありません。そんな事情もあって本論ではあくまで漫画版の「廃棄物13号」エピソードをベースに話しを進めたいと思います。


はなしを戻しましょう。

「何でも説明しちゃう博士」をストーリーから排除することで怪獣映画が本来パニック映画としてもっていたはずの緊張感を取り戻した「ゴジラ -1.0」とは対照的に、この作品では「何でも説明できちゃう博士」の存在そのものを謎に落とし込むことで「博士」と「緊張感」の共存に成功した訳です。


お気づきの方も多いかと思いますが、「シン・ゴジラ」はこの作品から影響を受けていると思います。

特に「シン・ゴジラ」冒頭の海上保安庁無人のボートに踏み込み牧博士が自殺したらしい痕跡を発見するくだりはほぼほぼこの作品のオマージュシーンと言って差し支えありません。

その後の展開においては博士の残したゴジラのデータの解析からゴジラ対策が構築される流れになります。「シン・ゴジラ」も「廃棄物13号」も「博士の残したもの」の読み解きが物語の鍵となる点では共通していますが、作品全体に対するパートの比率で言えば、ゴジラによる破壊描写や、計画策定後の政治を含めた作戦遂行のドラマの比率が高い「シン・ゴジラ」と、謎解きのドラマ性がシリーズの魅力の中核扱いの「廃棄物13号」では結果として「テーマが違う」と言って差し支えないものになっています。


元々「廃棄物13号」のスートリーはゴジラシリーズ、特に「ゴジラビオランテ」の影響を強く感じさせるものです。

パトレイバーは同人文化第一世代を代表する漫画家、ゆうきまさみ氏を中核メンバーに据えるクリエイター集同団であるヘッドギアによる創作であり、庵野秀明氏もまたダイコンフィルムと言う同人映像文化の先駆者集団がキャリアのスタート地点です。オマージュ、パロディ、インスパイア、本歌取り等々「引用」の意図はそれぞれにあるかもしれませんが、少なくとも「パクリ」と言う無粋な言葉は彼らの辞書には無いのではないでしょうか。


膨大な数の物語が生み出されている現代において全くの「新機軸」というのはほぼほぼ無理な話しで、今回の論考自体、あくまで日本のポップカルチャー、中でもゴジラシリーズという特定領域における流れの話しであることを考えると、この「流れ」も全く別のどこかで生じた流れの「継承」なのか知れません。


昨年中に書いた「ゲゲゲの誕生」の感想の中でも触れたように、「ゴジラ -1.0」も諸手を挙げて100点をつけられる作品ではないと思っています。ですが、一定の固定ファンを抱え、東宝と言う日本映画の保守本流ブランドの看板シリーズの一つとして、良くも悪くも過去作の呪縛の中で製作されがちなゴジラというタイトルにおいて、二作続けてシリーズが抱えていた宿痾と真摯に向き合い、全く別の解法が示されたという事実は日本社会の変容という意味では意外と大きな話しなのかも知れないと思ったりもします。

両作の共通点を考えると、「過去にゴジラの上陸を経験していない世界」と言う「シン・ゴジラ」の切り拓いた新たな地平は「ゴジラ -1.0」とそこから先に続くであろう「未来のゴジラ」に無限の可能性を遺したと言う意味で歴史的な所業だったのかもしれません。

この辺の「大人の事情」については部外者としては窺い知ることができませんが、忖度なく障壁を突発する上で庵野氏の「重み」はそれなりに作用した可能性は高いと思います。とりわけ、その「重み」を伝統作の未来を切り拓く方向性に作用させるという「正しい使い方」をしたということは素晴らしいことだと思います。まあ、それもまた僕の妄想ですけど。


そんなわけで僕にとって「ゴジラ -1.0」との出会いは多少おおげさですがもろもろの周辺事情も含めて今後の日本について希望を感じさせるものになりました。

妄想込みですけどね(^-^;

ゴジラにおける「何でも説明しちゃう博士」に関する論考 その1

ゴジラ -1.0」を観てきました。

ネタバレありの感想?論考?です。

 

僕自身について言えば、ゴジラについてはなんとなくシリーズの流れやメルクマール的な作品のプロットを承知している程度の「ニワカ」であり、マニアにはほど遠いです。

記憶力に自信がないこともあって、「シン・ゴジラ」以前の作品の細部はかなり怪しいと思います。

むしろ着想自体はゴジラマニアの方の「ゴジラ -1.0」評に対して抱いた違和感を起点に湧いたものでして、「違う視点」や「より高い解像度」をお持ちの方には些か公平性に欠けて見える可能性があります。

 

さて、「予防線」はこのぐらいにしましょうか。

 

観終わった直後の感想は「天晴れ!」でした。

シリーズ前作はあの「シン・ゴジラ」です。

山崎監督自身が「シン・ゴジラ」鑑賞直後に「貧乏くじ」と表現していた立場に自ら立つことになったわけです。

 

その「作家性」もあって、ほぼフリーハンドで伝統ある「ゴジラ」という日本有数の歴史を持つシリーズコンテンツを「蹂躙」した庵野秀明監督とは対象的に、山崎貴監督は「全方位に気を遣いつつ営業成績獲得に最適化した作品を作る」ことに定評があるようですが、そんな期待が製作を依頼した東宝側にあったとすれば両手を縛られた上でシン・ゴジラを超える成績を上げよ、と言う旧日本軍も真っ青な無理筋な勝利条件を背負って本作は制作されたことになるわけです。

 

そんな危機的な状況を乗り越えて?、本作は「シン・ゴジラ」とは違うルートで、それも「シン・ゴジラ」でさえなし得なかったレベルで「ゴジラ」という「伝統芸能」を解体的に再解釈し、呪縛から解き放ってみせた、と言うのが鑑賞直後の僕のこの映画評です。



ゴジラって良くも悪くも日本的なコンテンツだと思います。

怪獣映画という本来は娯楽作の王道のようなジャンルであるにも関わらず、「戦争への反省」「核兵器への恐怖」「自然への畏怖」等々あらゆる人類的な命題を背負わされてしまっている。

 

背負っていることが悪い、とは思わないのです。

なにも考えずにひたすら蹂躙を繰り返すだけなら予算的に太刀打ちできないハリウッド映画に敵うはずがありません。

物量で対抗できないなら評価軸を変えるのは戦略としてアリでしょう。
それこそ日本の「お家芸」ですしね。

 

ただ、「伝統芸能」になってしまったことで「こじらせてしまった」のかもしれないとは思います。



いわゆる「ゴジラファン」の立場で本作を批判する意見として耳にしたもので印象的だったのは「ゴジラを代弁する立場の人がいなかった」というものです。

 

初代の芹沢博士からシン・ゴジラの牧吾郎博士に至る「ゴジラの生態を解明して対策を策定」したり「ゴジラ出現の道義的意義」を説明したり、最終的に「人類に対してゴジラを弁護する立場」に立ってしまう、「あのポジション」の人です。

 

本作で言えば野田健治さんがそれに近いのですが、彼は「ゴジラが水爆実験の影響で巨大化した」とか、「大戸島に出没していたあの個体が変化したもの」みたいな経緯も、ゴジラに関する詳細はなにも承知していませんし、劇中の解説台詞も「何も判っていません」ととても正直です。

 

画期的なあの作戦も、「これで生きている生物はいないでしょう」というレベルの思考で策定されている訳で、ある意味大戸島での「零戦の20ミリを食らって生きていられる生物なんているか!」と程度の差の問題でなんらの確信があるわけでもないんですよね。

 

現に作戦の肝になるような「出現時刻」なんか大外ししている訳ですし、作戦そのものも最後の「特攻」という隠し球がなければ大失敗に終わっていた可能性が高い訳ですし。

 

僕は逆にここが良かったと思います。



映画鑑賞には「メタ的な理解」という文脈が存在します。

 

ゴジラも犠牲者だ」ということは「映画を観ている人間が判ればそれで良い」んですよね。むしろ「なんでも台詞で説明するんじゃねー」というのは映画批判の典型の一つです。

 

「人間が人間の事情で躊躇いなくゴジラを倒して喝采をあげる」という構図に「救いのなさ」があるならば、そちらの方がメタ的により際立つ形で「この世の不条理」を表現できているという解釈も成り立つわけです。

反省は、必要なら観ている人間がすれば良いのです。

 

実際、「ゴジラ-1.0」を観てしまうと過去作の「なんでも説明しちゃう博士」というのは作劇上かなりの問題点だったことが際立ちます。

 

なにせ緊張感や恐怖感が薄れます。
人間は言語化された時点で「理解」します。
本当は判っていないものでも判ったつもりになってしまうものなのです。

「日本の怪獣映画」がホラー映画やパニック映画とは違う、良くも悪くも「独立したジャンル」になってしまった原因の一つはこの「回り道」がフォーマットとして組み込まれてしまったことにあるような気がします。

ご丁寧にも刺激を消すことがフォーマットに組み込まれていたわけですから、早々に「伝統芸能」になってしまったのも当然ですよね。

 

本作のキーワードになっている「-1.0」について、山崎監督は「色んな含意がある」的な発言をしていますが、もしかすると「何でも説明しちゃう博士」の存在もマイナスしてみたものの一つだったのかもしれないですね。

 

さて、ここまで書いてきてなんですが、実は書いている間に本文の論点である「何でも説明しちゃう博士」問題について、「ゴジラ -1.0」とは全く別のアプローチで対処した事例に思い当たってしまいました。気付いてしまったからには書かないと収まりがつかないのですが、その点については次回に回したいと思います。

今年のテーマについてのはなし

 あけましておめでとうございます。

 

 2015年から継続してきた初日の出登山ですが、さすがに今年は諦めました。
 この「諦める」というのは良くも悪くも今年の自分にとってキーワードになるかもしれないと思ったりします。

 

 この3ヶ月ほど、平均睡眠時間が正味で8時間を超えています。ちなみに中途覚醒等も記録されるFitbitの計測値です。
 それ以前は多い月で7時間、平均すると6時間半程度だったことを考えると、自分の自由になる時間が毎日1時間半削られているということです。

 急激に心拍数を上げないようにでも体の機能は維持するべくそれなりに運動量を確保することを考えると、その分の所要時間も増えていることになります。

 幸いにもそれ以前から仕事は定時で帰ることのできる状況でしたが、昨年のように少し早めに出勤する余裕はなくなりましたし、「プライベートな楽しみ」に割ける時間も減ったと思います。

 

 正直なはなし、苛立ちはあります。特に仕事について言えば、昨年度から取り組んでいるまとまった時間の必要な書類の整理とデータベースの作成について3月までに目鼻を付けたいと思っていました。
 この状況ではセカンドプランとして最低限ここまでというレベルに着地する方向に軌道修正しなければなりません。

 

 しょうがないんです。現実問題として今、自分が体のためにできることは「そのために時間を確保すること」だけなんですよね。
 食事に気をつけること、処方された薬を飲むこと、適度に体を動かし機能を維持すること、ストレスに適切に対処すること。全て大事なことですが、あくまで現状維持のためであって、現代の医学の進展状況では外科手術以外で「改善」に資する見込みがないようです。

 

 そんな状況で、強がりに聞こえるかもしれませんが、実は「幸福感」という点で今は自分の人生の中で結構高いところにあるんじゃないかと思うことがあります。
 理由を考えてみると、「自分の人生をコントロールできているような感覚」があるのかな、と思ったりします。
 皮肉な話しですが、選択の余地がないことが幸いしている可能性があるということです。

 

 優先順位が明白になることで睡眠のためにやりたいことを削ることへのためらいがなくなったり。
 どうしても対処しきれなかったジャンクフードへの渇望感を日常生活を送れなくなることへの恐怖感が上回って抑え込めていたり。
 「走る」ということについても疲れがあっても妥協することが難しかったのですが、ドクターストップがかかることでキッパリ悩む必要がなくなりました。

 

 なにごとについても「ほどほど」にすることは自分が一番苦手なことのような気がします。その一番苦手なことが状況に縛られることで半強制的に実現出来ているわけです。

 もちろん良いことばかりではなくて、この状況がストレスフルであることは客観的に、これもFitbitの計測値で「心拍変動」が下がったことに示されています。

 もしかすると、「コントロールできている感覚」という意味ではこうした数字で自分の変化がある程度客観的に見えるのも良いのかも知れませんね。Fitbitは医療機器グレードでは無いので、あくまで参考値ですけど。

 

 この状況はあくまで今の時点のスナップショットです。
 今後どうなるかは「神のみぞ知る」です。 

 

 だからこそ、今は自分ができることに意識を集中することが大事なのかもしれないな、と思う次第です。

この歳で水木しげる先生の心情にちょっと近づけたかもと思った話し

「鬼太郎誕生 ゲゲゲの謎」を観てきました。

 

ネタバレありの感想です。ご注意を。



ぶっちゃけ、1971年生まれの僕からすると、「アニメの鬼太郎」を映画館で観る=「東映漫画まつり」な訳で、いい歳した大人の鑑賞には堪えられないというのが「相場観」でした。まあ、モロ偏見な訳ですが。

正直、最近ご贔屓のYoutuberがお薦めしていなかったらこの選択はなかったと思います。



実際観てみれば冒頭から明らかに「子供向け」では無かった訳ですが、絵柄、声優、ストーリー展開、舞台設定から「推理展開における意外な真犯人」まで、全てのパーツが「どこかで見たことがある」という代物でして。

 

主人公バディの組み合わせを観て「ああ、これは特定嗜好なお姉さん市場狙いなのかな」なんて思ったりして観ていました。お薦めしてくれたYoutuberさんは「ダメ男好き」という明白な属性を持っていたりしましたし。



そんなテンションはラス前20分ぐらいまでは続いていたのです。

それが、隣のお姉さんがスンスン鼻をすすり始め、それがステレオになり、サラウンドになり、結局自分も泣いてました。



無理矢理なカタルシスも想定外のどんでん返しもなく、むしろラストは予定調和的です。

まあ、「墓場鬼太郎」とか「鬼太郎の誕生譚」については「諸説あります」状態とは言えある程度のフォーマットは決まっているわけで、最後にどうなるかは推測はできちゃうし、事実その推測から大きく外れない流れのままなんです。




正直、自分でもちょっと呑み込めませんでした。

もしかすると、「もらい泣き」というヤツか?とも思ったのですが、どうも違う気がします。



一つ明確に言えることがあるとすれば、それはこの作品が「水木しげる」「鬼太郎」という存在に対してとことん誠実に向き合っていたということです。



前述したように、僕にとっての鬼太郎のイメージは「東映漫画まつり」です。実はその立ち位置ってちょっと「ゴジラ」に近いんですよね。

 

僕らが子ども時代に消費していたのは「原作」から毒が抜かれてシャバシャバに薄められた上に激甘に味付けされた代物だった、というのがその共通点です。

 

ただ、じゃあ僕が「ホンモノ」を知らなかったのかと言えば、オタクのハシクレとして「墓場鬼太郎」の存在も知っているし、民俗学好きとして水木しげる先生の日本妖怪文化史上の泰斗としての業績も認識しているし、なんなら「ゲゲゲの女房」とかご本人が出演しているドキュメンタリーなんかも観ていて、ご本人の人となりについても「それなり」には知っていんです。

 

ですが、白状すると「墓場鬼太郎」近辺のあのアクと言うより毒の強い作風は苦手だったりします。

 

その理由について、単に自分の感性に合っていなかったんだろうな、ぐらいのことを思っていたのですが、今から考えてみれば僕に氏の描く「エゲツナイ人間の真実」を正面から見据えるだけの度量が備わっていなかったということかもしれません。

 

水木先生って独特の感性があって、ちょっと地獄を地獄と思わないヒョウヒョウとしたところがある気がするんですけど、あれは「余裕のない人間」にしてみると、シリアスに扱うべきもので遊んでいるように見えちゃうんですよね。その遊び方が結構独特なので余裕のない人には尚のこと解釈が困難になってしまう。

 

その点、この映画は水木先生本人が観たら、多分「オイオイ」と思うほど、「遊びのない真剣さ」で解釈していたりします。

言ってみたら、僕みたいな水木作品難読者?向けにほどよく翻訳してくれていたってことです。

 

そう考えると、僕が泣いたのはこの作品を通じて改めて水木しげる先生が作品を通じて伝えたかったことを再解釈することができた、ということなのかもしれません。



実は近年ゴジラについても似たような経緯を辿った気がしています。

 

シン・ゴジラ」や「ゴジラ-1.0」を通じてやっとシリアスにゴジラという存在と対峙することができたのは、「そういう作品が無かったこと」と同じぐらい「自分に受け止める度量がなかった」ということがあったのではないかと。



自分についてはそうなのかな?として、周囲のお客さんは10代から20代ぐらいの方が多めで、水木先生のリアタイ世代じゃないでしょう。水木作品は「古典」として繰り返し消費されているでしょうし、10年前には「墓場鬼太郎」も深夜枠でアニメ化されていたらしいので全く初見というわけではないでしょうが、女子中学生・高校生っぽい人達が僕の辿ったのと同じルートで「感涙」に辿り着いたとはちょっと考えにくい。

 

彼ら、彼女らが心動かされたのはなにか、という問いに当然僕の内面からは答えはでないのですが、ここ最近鑑賞した映画との比較で言えば、「すずめの戸締まり」で感じた消化不良感、「ゴジラ-1.0」で割と安易にカタルシスを感じてしまった自己嫌悪と比較するととても「自然な感動」具合でした。

 

安易な「泣かせプロット」に頼らずに、「割と良くあるパーツ」で誠実に水木先生の心情に迫るストーリーを紡いだ本作は、派手な視覚効果のような「飛び道具」に頼りがちな現代の映画界にあって珍しく「ちゃんと物語を着地させる」と言う実は面倒くさい割に映画としての「売り」にはなりにくいものに真剣に取り組み、成功した作品とは言えるのかもしれません。

 

最後に。

終劇後の劇場の空気感って結構興味深いと思っていて、良作と思った映画を観終わったあとはちょっと状況を観察したりするのですが、最近で言うと「THE FIRST SLAM DUNK」の時のリアタイ世代90%以上の客層の一体感とか、「Tar」のあとのポカンとした空気感とかは印象的でした。

 

この作品はと言えば「こんなに暖かい空気感を感じたのは初めて」だったかもしれないです。

本編開始直前までは鑑賞中もしゃべり続けるんじゃないかという勢いで画面に映るものの感想をひたすら交換しまくっていた女子中学生グループが「もうこのまま次の回も観ていきたい!」なんて「今観たちょっと良い物」で盛り上がっていたのが微笑ましく印象的でした。

五十代が第三正規形概念をインストールしてみたはなし

猫も杓子もAIの時代ですが、実はマイブームは「ACCESS」というか「データベース」だったりします。

 

職場のPCに導入されていなかったので興味はありつつもどうせ仕事で使えないなら意味ないなと思っていたのが、11月からおそらくOfficeが365に切り替わった加減で職場として積極的に導入したいという意図もなくオマケで導入されたみたいな感じでPCにインストールされまして。

 

昨年からじっくり取り組んできた「今の職場が創設されて以来52年分の某データベース構築」についてExcelではちょっと無理かなと感じていたので、この機会に勉強してみようと個人的にもOffice365を導入してオンライン教材で勉強を始めてみたのが11月の3連休初日のことでした。

ちなみに事業開始がほぼ自分の生まれ年ということにちょっとした運命を感じていたりしますが、それはまた別の話し。



実際のところACCESSを業務に使うとなると自分一人の問題では片付かないので業務アプリを組み始めるところまでには至っていないのですが、結果的にデータベースの基礎として「主キーの概念」とか「第三正規形」などを勉強して、Excel上で「そのままACCESSに流し込める形式」で組み直してみたところ、今まで課題に感じていたことがスルスルと解けていきまして。

 

やっぱり我流には限界があるというか、ちゃんと勉強することって大事だなって思っています。



「その歳で?」みたいな話しもあるでしょうけど、時代の空気感として「いまさらデータベース?」なんて感想もあるんじゃないかなと思います。

そんなことはAIがやってくれるじゃない、みたいな変な期待感と言いますか。



自分でやってみて思うのは、扱うデータが全て第三正規形を満たしているなら、それで「DX化」は8割方は完了しているんじゃない?ってことでした。

 

もちろん、雇用形態がメンバーシップ型の日本では事務職の仕事は多岐に渡っているのでどの業種や職種にも通じる訳じゃないとは思いますが、建物とかのアセット管理系の仕事に関して言えば必要に応じて何度も同じデータを整形し直すみたいな、データベースの適用になる仕事は多いと思います。少なくともその分野においては逆に「これ以上のなにか」が介在する余地は少ない気がします。

 

更に言えば、当然これが「銀の弾丸」になるという訳ではなくて、結局「紙資料の整理」「紙資料のデータ化」はある程度パワープレイにならざるをえないし、「既存資料のデータ構造の解析」みたいな部分は知的作業であっても現時点では人間に一日の長があるのではないかとは思います。



僕の気付きは「判っている人にはむしろ常識」なことで、他ならぬ僕自身も「多分そうなんだろうな(自分はできないけど)」と思っていたのですが、やってみると思いの外手前、門前と言っても良いようなところに「秘伝のタレのレシピ」みたいなものが転がっていて、なんで二十代までに勉強しておかなかったんだと久々に過去の自分を詰めたくなりましたorz

 

ま、今の子ども達は「情報」なんて科目があるくらいなので一般教養レベルで学んでいるんでしょうけど、実は「いい歳した大人」がこういった「ちょっとした気付き」をクリアすることで社会の生産性って劇的に変わるんじゃないかと思った次第です。