イベント感想_Relay for Life Enaに参加して
2024年10月5日。
この日は恵那市役所で開催された「Relay for Life」というイベントに参加してきました。
父の訪問医療を担当していただいている主治医の先生が実行委員長として立ち上げに尽力されたとのことで、恵那では初開催になります。
誤解を恐れずに乱暴に括ってしまうと、「ガン」という病気にまつわるアレコレを啓発したり、家族や周辺の人を含めた「当事者」の癒やしの機会としたりするイベントということでしょうか。
具体的にはウォークリレーがメインイベントになるのかな?
その脇でシンポジウムなんかの啓発イベントを開催したり、露店が出たり大道芸みたいなサブイベント?でチャリティー的なことをやったりもするわけです。
ちなみに募金の先はガン研究や医師の育成費用、ガン患者のサポートと言った分野に対して行われるようです。
ぶっちゃけ、イベントがギッシリ詰まっているようなスケジュールが組まれている訳ではないし、メインであるウォークリレーも、たとえば距離を計測していたり、目標設定があったりといったゲーミフィケーション的な要素もないわけです。イベントの起源はアメリカの医師がチャリティで24時間耐久マラソンというなにやら日本人には聞きなじみのあるチャレンジをしたことにあるようですけど、本家の方はその「空しさ」に気付いてしまったようですね。
誰のためのイベントか?と言う点についても前述のとおり幅広く「ガンに関連する人すべて」であって、言ってみれば全人類が対象です。
これ、厳しいことをいえば昨今の効率重視、コスパ重視の流れで判定すれば「ダメなイベントの典型」と言っても善いかもしれません。
そんな諸々もあって、一応ネットの情報などを事前に漁ってみたり、先生ご本人にも質問したりはしていたのですが、イマイチどんなイベントなのかイメージできないまま当日を迎えました。
僕の母を見送った経験なんかを共有してもらえれば、的なことを「先生」からは言われましたが、正直ピンポイントで僕の経験談がマッチする人と出会えて、初対面のその人にそういう話しができるようなイメージは全く湧かなかったです。
今年前半の「怖いもの知らずモード」だった自分ならいざ知らず、今は職場の人間関係トラブルの影響なんかもあって「四十代に訪れた立ち直り」以来最悪の「コミュ障モード」に入っていたりしますし。
直前まで父が入院していたり、退院後も状態が不安定だったり、自分に関しても仕事の「繁忙期」が半年以上継続していたりで余裕がなかったりと言ったこともあったのですが、正直前向きに参加しようという気持ちにはなれていなかったです。
信頼している「先生」への恩返しのために半日分の時間は預けよう、くらいのつもりでした。
一つ参加の前提として事前にやっておくべき「宿題」がありまして、それが「ルミナリエバッグ」の作成?でした。 「精霊流し」のエコ版と言いますか、灯籠代わりの紙バッグに自分なりのメッセージを書いて会場に飾り、日が落ちてからLEDランプで電飾したりするものです。 バッグは一枚500円で、この購入がチャリティーにもなっていると言う訳です。
何を書いたら良いか。
僕の立場で言えば、母へのメッセージと言うことでしょう。 これに関しては僕の立場は明確です。
一つ問題があるとすれば、面倒くさいはなしですが、僕の死生観からすると亡くなった人にメッセージを宛てることは「ちょっと微妙」だったりすることでしょう。
そんな事情もあって、なにを書くかはかなり迷いました。
デザイン的な部分については自分には一切期待しないことにしているのですが、さすがに「屋外で掲出する小さめの買い物用紙袋サイズのキャンバス」に言語情報をてんこ盛りにしたら「読み取ってもらえない」ことは理解できます。

「たったこれだけ」に一時間以上推敲して、結局こんなところに落ち着きました。
おかげで遅刻しそうになって歩いて行くはずだったのに自家用車で向かってしまい「近所のお店の駐車場」を使うことになってしまったのはナイショです。
こだわりのポイントとしては「メッセージ」とも取れるけど、実は「独白」と言うところです。 うん、我ながら面倒くさい(^_^;)
そもそも当日の、しかも開催時間ギリギリで書いている時点でお察しかもしれませんが、イベントに対するここまでの後ろ向きなイメージはこの「宿題」が自覚している以上に重荷になっていたことがあったようです。
出来映えはイマイチで、実際現場に持っていったらあれだけ気をつけていたのに結局「文字ちっさ!」「全然読めないわorz」となってしまったのですが、「文面を考える作業」自体が久々に自分の心の中にある母親との対話のような時間になりました。
ぶっちゃけ、書き上げた時点で、ここから先になにがあっても「このイベントに参加した意義」はもう満たしてしまったなという気分でした。
さて、長々書いてきてやっとイベント本番の感想です。
事前のイメージが「後ろ向き」だったこともあったのか、参加早々にイメージは良い方向に更新されました。
想定通り「人見知りモード」の自分にはアウェイ感があって、誰かに話しかけるみたいなことは最低限、それこそ希少な顔見知りの方にお会いした場面くらいに限られてしまったのですが、自分が苦戦したルミナリエバッグの存在が救いになりました。

それこそいろんな立場、特に恵那では初回の開催ということもあって、想定以上に医療や福祉、行政といった立場でガンサバイバー、ガン患者、家族に携わる「周辺の」人達の書いたらしきものも多かったです。
自分としてはやはり同じように「家族を見送った人達」のメッセージが一番共感しやすいところでしたが、「リアルタイムで闘病中の方」、「支える家族の方」のメッセージは当時の母の様子や自分の心境を思い起こさせてくれました。
あくまで印象でしかないんですけど、自分がそうだったように皆さんそれなりに考えて、人によっては自分の心の中の暗い部分、できれば触りたくない部分を引っ張り出してきて、あるいは会場にいる生きている人以上に物理的にそのメッセージを読むことが適わないであろう人たちに向けて書いている訳です。
「受け狙い」とか、あるいは「冷やかし」みたいな部分はかなり薄めでした。 「とても純粋」だったということです。
本当は是非紹介したいと思ったものをいくつか写真に収めたのですが、知的財産権的な部分を確認できていないのでこの場では自重したいと思います。
これはイベントの性格のなせるワザですよね。
どれだけ作為を凝らしたイベントを企画しても、この「純粋さ」は計算や仕組みでは得られないものだと思います。
そして、その純粋さはたぶん見ている人たちに伝わるんだと思います。
「n=1の意見」ではありますが、僕はそう受け止めました。
イベントの進行でいいますと、ところどころで「儀式的なフォーマット」を踏襲する場面が観測されたことが印象的でした。
たとえばウォークリレーはファーストラップと称して一番の当事者である「ガンサバイバー」の皆さんが先陣を踏むことで開始され、その一周を参加者全員の拍手で称えることから始まりました。
終盤の「エンプティテーブル」というイベントも印象的でした。

闘病の果てに旅立たれた方を象徴する「誰も座っていない食卓」にそれぞれガン闘病に纏わる諸々のことを象徴する「お皿」「水の入ったグラス」「白いクロス」「レモン」といったアイテムが配され、そこにいない誰かに向かって遺族が詩を朗読します。
今回はパートナーである方を7月に亡くされたばかりの男性でした。
母を亡くした直後の文章で「ガンという病は慈悲深い」という不謹慎ともとれる一文をしたためたことがあるのですが、この方も長い闘病期間を伴走する中で、ゆっくりと「覚悟」を醸成されからこそ、まだ記憶の鮮明であろうこのタイミングで「大役」を引き受けることができたのだと思います。
それを見極めて、一般論としては喪中の悲しみの最中であると判断されてもおかしくないその人にオファーを出すことができたのは、「周辺当事者」として患者や家族の苦しみを共有し続けている「先生」だからできた、繊細で、極めてプロフェッショナルな「見極め」だったのだろうと思います。
あのイベントは「悲しみの共有」という「人類普遍の悲運への対処」の機会にもなっているのかもしれませんね。
参加前に僕が抱いていたマイナスの印象の中には「啓発、周知を目的とするなら、この曖昧さはイベントとしての弱さなのでは?」といういささか傍目八目な思いがありました。
一通り参加して思うことは「主役は当事者という点でブレはなかった」ということです。
正直にいえば、「初参加者としてはアイスブレイクの機会がもう少しあってもよかったのではないか?」とか、「啓発イベントとしてこのイベントを周囲の人に紹介する上で魅力をどう表現したらいいか分からない」とか、「提案したい改善点」はいくつか残ったのです。
でも、それは「端っこの話し」であって、なにがあっても「本質」を脅かしてはいけない、ということを今回の主催者の皆さんは「鉄の掟」として守り通したのだろうと思います。

結論として言えば。
僕はこのイベントは「ガンとは関わりのない人生を送っていると思い込んでいる皆さん」にとっても充分に参加する意義のあるものだと思います。
もちろん「ガンと関わりのない人生を送っている人」は「科学的にはただの一人も存在しない」のですけどね。
いみじくも、過去のFacebook投稿の中で今回実行委員長を務められた「先生」のことをこう表現しました。
「地獄や煉獄の存在を前提としない告解師」という、全く代償を求めることのない教導者という存在が、もし実在するとしたら、それはこういう人達のことかもしれない、とそう思うことがあります。
ここから先、あまりに前向きに書きすぎてしまうと色々と支障が出てしまう可能性があるので「過度に慎重な、であるが故に読む人によっては不快感を催すかもしれない表現」になってしまうことをお許しいただきたいと思います。
まず客観性を欠いているかもしれない「極論」をいってしまいます。
現代日本において先進国の中ではマレな程「医学」という学問分野が上位に位置づけられ、医師の社会的地位が高いという事情の中には、もしかして医学が本来宗教の果たすべき役割も担っているという状況があるのかもしれない、なんてことをこのイベントについて考察する中で思い至りました。
「医師」が「祭司」でもあるなら、日本の現状は極めて妥当なものです。
その「仮説」が妥当であるとするならば、それは必ずしも「最適な状況」ではないと思います。
源初の人間社会に思いを馳せるまでもなく、医学と宗教はともに「権威」の代名詞ともいえる概念です。
一つところに束ねてしまうのは危険なことです。
某国のように「過度に資本を占有する人達」がその役割の一端を担っている状況よりははるかに自然であり、随分マシでもあると思いますけど。
僕が関わりをもった医師の皆さんの多くは「権威に座ることの弊害」を個の力量で乗り越えてみえます。 ですが「権力・権威の相互権勢」は本来、個々の努力ではなく、「仕組み」で解決するべき問題です。
そうした状況のなかで、本来受け持つべき分を越えて、医学界が今の日本に欠落しているなにかを埋めようと試みていることの一環がこのイベントということなのかもしれません。
賢明な皆さんは読み取っておられることと思いますが、その「欠落」はそもそも「医学界」の負うべき責ではありません。 僕が個人的に思う最大の戦犯は「政治」です。「まつりごと」という包括概念の中心軸を担うべき部分が「空洞化」しているわけですから。
その「試み」は尊く、そして「多くの尊い試み」がそうであるように、本質的な危うさを包含しているような気がします。
もっとスッキリとした結論を書きたかったところです。
代替案もありません。
なにより、今回参加したこのイベントは掛け値なしに素晴らしいものだったと思っています。
「天邪鬼」であることは自分の存在意義そのものであると心得ていますが、だからといって他人の気分を害しても良いとは思っていません。
「結び」がこうなってしまったのはひとえに僕の力不足です。
ただただ、お許しをいただければ幸いです。
手術後の半年間を振り返ってみたはなし
今日五十三歳になりました。
誕生日は苦手でして。
「おめでとうございます」と言われるたびに「別にめでたくはないんだけどな」と思ってしまいます。
「捻くれ者」と言われればその通りなのですが、よくよく考えてみると誕生日がめでたいというのは「そういう決まりだから」以上のものではないというか、歴史を遡っても特に近年まで「数え年」の習慣が根強かった日本では誕生日を祝う習慣は定着してからまだ百年も経っておらず、実は「クリスマスを祝う習慣」より新参者という説もあるようです。
意義として考えても、当人は祝福してもらえるようななにかを達成したかと言われると微妙と言いますか、能動的に「産む」という行為を為したのも母親ですしね。
当人にとっては祝福を受け取るよりも、周囲の人への感謝を伝える機会くらいに考えた方が自然なのではないかな、なんてことを思います。
そんな訳でこの機会にお付き合いいただいている皆さんに、
「日頃はありがとうございます。これからもよろしくお願いします。」
とお伝えしたいと思います。
ついでに言えば、誕生日は自分ごととして考えると、振り返り、総括の機会、にはちょうど良いように思えます。
殊勝にお礼を述べたあとで自分語りにお付き合いいただくのもなんですが、ここから先は興味のある方だけどうぞ。
この一年はなかなかに「特別」でした。
三十代に左アキレス腱断裂を経験していますが、初の内臓系、しかも循環器系の病気が発覚し、入院、手術、それに伴い就職してから最長の一月間程度の休暇をもらいました。
異動の多い職種なので、これまでもそれなりに変化幅はある人生だったと思いますが、この手の変化は初めてだったこともあって二月/三月あたりはかなり精神状態が不安定だった気がします。
悟りを開いたような錯覚があって、浮かれていた時期が過ぎると、想定外の異動があって落ち込む暇もなく仕事に忙殺されるようになりました。
経験則的にいくら忙しくても六月の声を聞いたあたりからある程度は余裕が生まれるものだという思い込みがありましたが、それに反して忙しさはまだ続いています。
そうは言っても残業は一日二時間程度には抑えるようにしていますし、休日出勤をしている訳でもありません。この辺、抑えていると言うよりはそうしないと保たないということもありますけど。
山登りには一応復帰しましたが、以前のように月一、二ペースで登るにはほど遠い状況ですし、走る方も今のところ自重しています。
かつては一日一~二時間程度は体を動かすことに宛てていたので、その分の時間は空きます。
諸々考えると、意外とプライベートの時間は確保出来ているような気もします。
そういうこともあってか、ここ数年、年間三~四冊が良いところだったのを、この四月から九冊読了しています。
「プロジェクト・ヘイル・メアリー 上/下巻」 アンディー・ウィアー 著
「東京同情塔」 九段理江 著
「始まりの木」 夏川草介 著
「三体」「三体Ⅱ黒暗森林 上/下巻」 劉慈欣 著
ここ数年はノンフィクションに偏っていたのに、今のところは全部「小説」です。
SF作品がほとんどですが、読後感としては、「文明論」を主題にしているという共通点がありました。
実はそれぞれ別の経路で薦められて、購入時期も読了順とは関係無く、一番最初に買ったのは「三体」で四年前のことでした。
三体はまだ三巻の上下巻をこれから読むところなので途中ではありますが、これまで読了した部分についてはいずれも自信をもってオススメできます。
入院中に浮かんだ「問題意識」に対する別々の回答を別々の書籍から連続してもらった感覚です。
三月末に異動辞令がでるまでは、今はインプットよりアウトプットのための時期だと思っていました。
実際、三月末まではひたすらずっと書いていましたし。
それはそれで良かったと思います。
あれだけのまとまった時間を文章を書くことに宛てることができたのは、たぶん生まれて初めてのことで「自分なりにそれなりのもの」を書くことができました。
結果的に自分がどの程度のものを書くことができるか、明確な形で「採点」を突きつけられることになりましたが、それも自分に取っては得難い経験になりました。
以上の内容を一歩引いた視点から改めて言語化してみると以下の通りです。
・入院、手術を経験することで「書きたいこと」「書くべきこと」がある程度明確になった。
・入院期間も含めて、二ヶ月ほど「実際に書く時間」を与えられ、その時間をその時の自分なりに有効に使い、実際に「出力」をすることができた。
・その後、状況は変化した。今にして思えばそのまま出力を続ける余裕はあったような気もするが、時間以上に精神的な余裕がなく、結果的にその時間を入力に宛てることになった。
・偶然にも自分の抱えていたものに近いテーマを取り扱っていた作品に大量に触れることになり、当然のように自分の至らなさ、足りなさ、勉強不足を痛烈に突きつけられ、初めてまとまった形で出力することができた経験で浮かれ気味だったところを現実に引き戻されることになった。
んー、、、実際のところ、ここに書いた字面ほど「反省」しているわけではないんですよね(ヲイ
「浮かれていた」ことはみっともなかったなとは思いますが「自分は今、浮かれている」という自覚は浮かれているその時から充分にありました。
確信犯だったと言いますか、浮かれてでもいなければとても書けないような内容を書いていましたし、あんな精神状態でもなければ書けないことでも、書けたこと自体は、書けないまま一生を終えるよりはずっとマシなことだったと思います。
結局のところここまでの流れは「順調」だったってことです。
問題は、足りない何かを埋める作業は果てが無い、ということですかね。
年齢的にそれなりに体力を要する出力を先延ばしにする余地は大きくはありませんし、これから先の限られた時間の中で自分の足り無さの全てを埋め切ることはできません。
ただ、そのことに絶望したり、焦ったりということはないんです。
「それぞれ欠けているからこそ自分にしか書けないことがある」
ということもこの半年で読了した小説から学んだことですから。
「Fly me to the moon」を観て嘘に関するアレコレを考え過ぎてしまったはなし
七月十九日に「Fly me to the moon」を観てきました。
4月にDuneⅡの2回目を観て以来の久々の映画です。



ほぼ予備知識なしでしたが映画館サイトの簡単な作品紹介からアイデア一発の映画なんだろうと予想し、観終わった直後は「予想以上に想定通りだったな」といういささか理不尽な感想を抱いていました。
鑑賞直後に書いた一文は以下の通りです。
「コメディとしては楽しめました。
『史実のサイドストーリー(ドキュメンタリーとは言っていない)』という『建付け』が無ければもっと素直に楽しめたような。脚本家が参考文献として『Marketing the moon』というNASAのマーケティング戦略についてまとめているらしい書籍を上げているようですが、登場人物を含めてほぼフィクションなんだろうと思うとちょっとモニョると言いますか、実在のエピソード、しかも『広告』という虚実の教会にある事象を『陰謀論』を題材にした作り話に組み込んでしまうのは迂闊すぎる、というのはエンタメ映画に対する評価としては厳しすぎでしょうか?
良い気晴らしにはなりましたし、今の自分の状態を考えると『なにも考えずに楽しめた』ことは一番良かったと思います。」
この「構造解析」自体は今でも妥当かな?と思っているのですが、帰りの車を運転しながらよくよく咀嚼してみると「コメディ」の裏に埋もれて見えにくくなっていた「別の解釈」が見えてきたのでまとめてみます。
ネタバレ込みですので、ご注意を。
この映画のキモは「アポロ計画で人類は月に到達していない。あの中継映像は地球上で撮影された捏造だ」という「例の陰謀論」が実際に進行していたとしたら?というシミュレーションを映像化した点にあります。
私が第一印象で感じた「不満」も、実はこの点の描写が実に尻切れ蜻蛉と言うか「陰謀」という言葉に反して軽いノリで実行された「計画」は、何のトラブルもなかったとしてもとても上手く行くとは思えない代物でした。
「厳しめの第一印象」は、その「印象」を映画としての作り込みの甘さのせいだと理解していたせい、ということになります。
まあ、コメディ映画をノリの軽さで責めるのはどうなの?と思わなくもないですが、そもそもこの題材をコメディで扱うのはどうよ?っていう不満、ということですかね。
が、冷静に考えてみると、この「感想」って実は「あの陰謀論」に対するしごく真っ当な評価そのものなんですよね。
シナリオや演出と言った映画の表現上の問題と言うよりはそもそも「あの陰謀論」自体がいかに無理筋であったかと言うことがシミュレーションを見せつけられることで肌感覚として理解できたってことなのかな、と。
どれくらいのリアリティレベルで描かれているのかは判りませんが、本作を観ていても
・当然、人類が月面に降り立つことが初のこと。「発案」の時点では誰もリアルな月面を観たことがない。
・「宇宙にカメラを持ち出す」ことも同様に初。「宇宙から実況中継」も当然初で誰も実際になにが起こるかちゃんと予想できていない。
・放送どころかアポロ11号計画自体が綿密に計画されているとは言え人類史上初が連続する中でどれだけ計画通りに進行するかも不明なプロジェクト。
と、動画を製作するにしても、そもそも一体何を描いたら良いのか「答えが手元にない」状態なんですよね。
『「既に起きてしまったこと」がまだ無かった世界』を想像することって実はかなり難しいことです。
私たちは既に「アポロ11号から送信された動画のある世界」に生きていて、それ以前の時代に生きる人に取ってそれがいかに想像の域を超えた知識なのかは想像することしかできません。
本作に登場する「捏造者」のように当時のNASAの最新情報にアクセス可能な状況であれば、月着陸に向けて収集された着陸候補地点のある程度の情報を得ることも、宇宙服や着陸機と言った機材の形状も正確に知ることができるのですが、、、、
実際に本作で彼らの作業を追体験すると、
「あれ?これって金かければ成功するたぐいの作業じゃないんじゃね?」
と言うことが割と初期段階で「直感的」に理解出来てしまうのです。
いかに遠く離れた宇宙での出来事とは言え、いや、これ以上無い程オープンな「宇宙」という空間で進行している計画であるからこそ、地球上からでも「観測」は可能です。
ライバルであるソ連からみれば、アメリカが失敗を隠蔽しようとしてくれれば、スパイ行為などする必要もなく『科学的な観測』の結果によってある程度は客観的にその隠蔽が立証可能な訳で、わざわざそんな「ツッコミどころ」を大金を掛けて実行することには「少し考えれば判るリスクというか欠陥」があるわけです。
2019年という「50周年記念」のタイミングで製作されたと思しきアポロ11号のドキュメンタリーを何本か観たことがあるのですが、「薄氷を踏む状況の果ての成功」だったことは本作を観るまでもなく事実のようです。
劇中でモヤッと描写されていた月着陸予定地の急遽変更も「肉眼の観測によって着陸地点を変更する数秒間のリアルタイムな変更」や「コンピューターの能力不足による動作停止」「ほとんど燃料の余剰搭載量のない中での計画変更」等のトラブルを乗り越えてアームストロング船長個人の蛮勇とも言える決断力や単なる幸運にも恵まれた上で実現した、「かなり際どい成功」だったようです。
そう考えると「時の権力者」が世界中から注目を浴びる中で「失敗したときのための保険」を考えることには相応の妥当性があるのでは?と思ってしまいますが、当時の大統領であるリチャード・ニクソンはこの年(1961年)の1月にその任に就いており、「仇敵ケネディ最大の『遺産』であり大部分が民主党政権の下で進行していたアポロ計画」の成否に責任を負う立場では無いどころか、ぶっちゃけ「失敗してくれれば泥沼のベトナム戦争に向かっていた国民の不満の捌け口になってれた上に予算削減のための計画閉鎖の口実になる」くらいの感覚だったのではないかと想像したりします。
「失敗すれば民主党のせい、成功したらのっかればよい」という気楽な立場の彼にわざわざリスクを冒して陰謀を画策する動機はなかったでしょう。
そうなると「動画捏造の動機」があるのはむしろNASAの方ということになります。
そこまで勘ぐると、この映画のツメの甘さを非難するなら「なぜ主犯格をNASAではなくニクソンにしたのか」の一点でしょうか。
まあ、この映画でも露骨に表現されていましたが、アメリカ映画界は恐らく当時も、そして今に至るもニクソンが大嫌いなようですからね(^_^;)歴代大統領の中でも一二を争う不人気大統領ですし、この展開で悪役にするするなら彼以外にいなかったのでしょう。
そんな事情は置いておいて、NASAを主犯格に据えれば動機どころか必要な手段も情報も持ち合わせている訳で、少なくともニクソン主犯説よりはよっぽど説得力があります。
ただ「体面がなにより大事」な政治家の無責任な「良きに計らえ」ならともかく、科学者/技術者の集団であり、実務当事者でもあるNASAなら前段で述べたような「捏造によって生じるリスク」には容易に気付けるはずです。
そうは言っても「リアリスティックな集団であっても時として現実をねじ曲げる所業にでることがある」というのは近年の自動車企業の不祥事の事例や先の大戦の旧日本軍の数々の非理性的な判断等々、歴史上の事例はいくらでも存在します。
では「実際NASAなら出来たか?」と問われれば、アメリカ政府が共犯関係になり得ない状態で、予算上の制約が厳しかった当時のNASAが他の機関を巻き込んでこの計画を実行することには無理があるでしょうね。リアルに予算も人員も足りていない状況で、そんな「本計画が成功したらどのみち無意味になる計画」に投じる余力はなかったでしょう。
ここまで述べてきたように「少し考えればあり得ないと判るような陰謀論」がこれだけ流布していることには、恐らくニクソン個人に「ウォーターゲート事件」という「実際に露見した類似する犯行の実績」があった影響は大きいでしょう。
逆に言えば「月着陸捏造」と比べれば遙かに難易度が低いであろうあの程度の捏造でさえ露見している訳で、結局は捏造は割に合わない所業で、「ウォーターゲート事件」当時のように追い込まれてニクソン本人がアルコールに溺れていたような状態で合理的な判断が出来なかったからこそ、と考えればなおのこと「『月着陸捏造』は無理筋」では?と思ったりします。ロシアや中国で起こっていることを考えると、この手のことは「簡単だから露見しない」というものではないのかもしれませんが、個人の権利意識が人類史上最高レベルに高い印象のある現代アメリカで実施するのは比較にならないほどの難易度がある気もします。
さて、ここまでいかにも「理性的」ぶって論を進めてきましたが、実は私にはリアルに「アポロ動画捏造陰謀論」を信じていた時期があります。正確にいつ頃のことだったか記憶は怪しいのですが、恐らくは高校生くらいからで成人してからもしばらくは強く信じていた時期があった記憶がありますし、「100%信じている訳ではないけどもしかしたらあったかもしれない」から「そんなことある訳ない」に移行したのは30代以降の割と最近のことだったような気がします。
今回この映画を観たことは、改めてそんな「自分の黒歴史」について考えてみる機会になりました。
若気の至りと言えばそれまでのことなのですが、社会人になってから経験してきたいわゆる「ブルシットジョブ」の影響はそれなりにあるかなーと思います。
「書類の形を整える」ことに重きが置かれています。「必ずしも現実的ではないルール」に乗っ取った書類を可能な限り「創造性」を除いて作成することが要求され、現実世界で生じている問題に対処することより、いかにフォーマットを守るかを重視する文化がある。大きな組織で、多岐に渡る業務を抱合していますし、個別の組織やその時の職場を構成する人の個性やゆっくりとではありますが、時代の趨勢の影響も受けますので、一概には言えないのですが、今に至ってもそういう文化を温存している部署もある、そんな職場です。
そういう環境で働き続けてくると「嘘をつく」ことに対するハードルが下がるんですよね。むしろ、「職業人として成熟すること」=「個人的な正義感を乗り越えて必要な嘘をつくこと」みたいな奇妙な倒錯が心に定着するようになります。そうしないと精神が保たないですから。
私の場合、そんな倒錯に適応できるほど「成熟」することはなくいつまで経っても「広い意味での自傷」を繰り返すような人生を送ってきた気もします。
幸いにも
「それは今文化としてそうであるかもしれないけど、時代は変わりつつあるし、ルールも解釈次第で前向きに転換することも出来る。
なにより、対処するべき現実は実際に存在している。
組織内の評価を気にしなければある程度『好き勝手』しても首になることもない。」
なんてことに気付いた40代後半頃にやっと「ふっきれた」訳ですけど。
「嘘をつく」ことを止めて、生きることが楽になりました。
そんな私が自分の来歴を振り返って改めて思うのは、今の世に陰謀論がはびこるのは、くだらない、どうで良いような細かい「大人の事情」という名前の付いた「小さな陰謀」が私たちの日常に隣り合うようにして「ありふれて」存在しているからなのではないかな?ということです。
「たかがコメディ」にここまで深読みしてしまうのも、もしかすると私の中の「陰謀論マインド」の名残りが脳内に残っているから、なのかもしれませんねw
僕の「気付き」の内訳のはなし プロローグ? 「ゆる言語学ラジオ」篇
僕にはYouTubeを「時間泥棒」として敬遠しているようなところがあります。
「わざわざ敬遠する」ということは依存の対象として何度かはまり込んだ経歴が残っているからでもあります。
過去の経験を振り返ると、タマタマ何かの切っ掛けで視聴を始めたチャンネルについては初期から塗りつぶすように視聴を重ね、概ね長くても二~三年程度分の動画を視聴した段階で、「ああ、だいたい判った」と思う瞬間が来て、興味がプツンと切れることが多かったです。
YouTubeの番組作成はかなり過酷なのではないかと想像します。
ネタのインプット、シナリオの作成、撮影、編集。
サポーターとのやり取り、他の発信者との関係性構築。
「当局」とのやり取りなんかもあるかもしれません。
一番時間がかかって短期的には優先順位が低いように感じてしまうのが「インプット」ではないかと思います。
同じネタでも多少切り口を変えれば「味変」はできるでしょう。
「コラボ」や「視聴者いじり」や「個人の感想の垂れ流し」には基本的にインプットは不要でしょう。
余程勉強熱心な人でも「その他のタスク」と人気の獲得、維持に不可欠な「一定の更新頻度」を確保しようとすると「物理的な限界」がやってくるのではないかと思います。
「人と人のやり取り」をエンタメとして消費することは僕の中でかなり価値の低い行為です。
「自分がそのやり取りを構成する一員」であるならともかく「スクリーンの向こうのそれ」を鑑賞する行為は単に「温かい空気」を「その気分だけ」補充するだけの「無意味な行為」に思えます。
多くの人の行動を観察するに、僕のこの価値観は正しいかどうかはともかく人類全体の標準から離れた「異端」なのだなという自覚はあります。
僕の興味がプツンと途切れるのは、もちろん自分自身の性格もあると思いますが「そんな事情」が「裏」にあるのでは?と感じることがあります。
そんな僕にとって、チャンネルを選ぶ基準は「自分が持っていない知識セットのうち、興味を惹くものがあるかどうか」。
その一択とは言いませんが、比重はかなり高いです。
YouTubeというメディアは本質としてその条件を満たし続けることが難しい、ということが前段で述べたとおりです。
過去にはYouTubeを通じて「凄い人」を見つけたことがあります。
僕の知らなかった「究極の答え」に近いなにかをもっている人でした。
結局YouTubeという「万人向けの判りやすい解説に腐心する必要のあるメディア」より、縁あってリアルに会うことが叶ったその人本人と話す方が何万倍も面白くなってしまって、その人のチャンネルの視聴も途切れてしまいました。
初期から三年間分程度を三ヶ月程度ぶっ通しで視聴し続けて、一時期は「作成していた当の本人」より動画の内容に詳しい状態になったりもしたんですけどね。
当然、それはレアケースですし、仮にそんな僕に「本人」の価値を認められたからと言って「YouTuberとしての成功」からは却って遠ざかる気もします。
ともあれそんな僕にとってのYouTubeは散々そうやって「自分への言い訳」を構築しているにも関わらず、「父親が寝室に下がってからの『独りの時間』に耐えきれずに音が欲しくて流してしまう、消費するのに罪悪感すら伴うもの」でした。
本当にしたい「書くこと」の効率は確実に下がりますしね。
2023年10月末、心臓冠動脈狭窄の診断を受けて、今後いずれかのタイミングで冠動脈バイパス手術を受ける必要があるとの診断が下ったことで状況が変わりました。
そんな傾向にブーストがかかったのです。
孤独耐性が極端に下がりました。
「走る」ことで時間を費やすことができなくなったので、「自分と向き合う時間」が「居間で座っている時間」とほぼイコールになってしまいました。
結果、「人の声が聞きたい欲」が高まりました。
そんな時でも「気軽に消費できるコンテンツ」には食指が動きません。
「後日の自分」に少しでも言い訳が立つような「少しでも実になるようなもの」を探していて行き当たったのが「ゆる言語学ラジオ」でした。
https://www.youtube.com/@yurugengo
僕は、大学は外国語学部を出ています。
と言うのは建前で「体育会系弓道部」を専攻した他は「科学史」とか「宗教概論」とかそんな「専門外」のことの履修ばかり印象に残っていて、語学からは逃げまくっていました。
「言語学」と「語学」の明確な区別が出来ていなかったことすらこのチャンネルを見て初めて気付いたくらいです。
このチャンネルのコンテンツを観ることで、言語学というのはいわゆる「外国語の習得」とは明らかに違う、言語という概念自体の定義、理解を目指す学問だということを理解しました。
言語は「人」・「人間」の存在の根本に深く結びついていて実は「哲学」「文化人類学」「社会学」のような「人間」そのものの理解を目指す学問だということも判ってきます。
刺激的でした。
ただ、一方でコンテンツの内容には不満を感じていました。
前段で述べた通り、僕のYouTube視聴スタイルは気に入ったチャンネルがあると頭から順番に視聴していくというものです。
開設当初のこのチャンネルの出演者二人は「実に危うく」見えました。
僕とは20歳近い年齢差があるにも関わらず「個別の知識」については質、量ともに既に負けている可能性を感じましたが、僕の価値観の中ではより肝心な「歴史の大きな流れ」や「宗教教義やその他の代表的な思想の骨子」など、人間社会の総体を捉える上で必要な「必須科目」への理解が圧倒的に足りていないように見えました。
インパクトが強くて「ひけらかすのに丁度良い細切れ」は異常な記憶力で保持しているのに、その点と点を結ぶ線が全く引けていないように見えたのです。
ADHDに特有な「メタ的に理解しないとなにも覚えられない」特質を持つ僕からすると、同じ人類として能力にこのような偏差が存在するのかという戦慄すら覚えるアンバランスぶりでした。
「発達障害」の診断を受けていて、標準偏差から大きく外れていることにお墨付きが出ているのは「僕の方」ですけどね。
チャンネルホストのお二人のうちの若い方、水野大貴さんは開設当初は26歳だったそうです。
その時分の私は、ライアル・ワトソン氏、渋沢龍彦氏、ハワード・フィリップス・ラヴクラフト氏等の著作を読み漁ったり、ハラルト・シュテュンプケ氏著の「鼻行類」とか、荒俣宏氏の「世界大博物図鑑」といった「奇書」の類いを集めたり、今から考えてみると「現実逃避」に徹していました。
相方の堀元見さんはその3つ歳上。
チャンネル開設当初の彼と同年齢だった頃の私は恐らく自分史上最も「陰謀論」に支配されていて、リアルに「アポロ計画は月に行けなかった」と信じていましたし、もう少しこの傾向を引っ張っていたら、あるいは時代がもう少し下っていたら、熱烈な「Qアノン信者」になったり「ワクチン否定論者」としてネットを攪乱する存在の一角になっていたかもしれません。
今の僕の「お二人に対する見解」が仮に「公平な判断」に基づくものだったとしても、それは百メートル走で三秒ほど早くスタートしているのと同じようなハンデが必然的に生じているからであって、今の時点で多少前に位置取ることができているとしても、いずれ抜かれることは確定的だろう、という程度のことです。
「そこまで悲観的にならなくても」と思われるかもしれませんが、現実はもっと僕にとっては酷いものであった、と言うことをこれから語ります。
開設当初のモヤモヤから十月頃の「初見」からしばらく視聴を止めていたのですが、年末年始休暇になって自由になる時間ができてしまうと「その手のコンテンツ」への欲求がより切実なものになります。
もはや選んでいるというか、アル中患者がそれらしいものであれば「エチル」だろうが「メチル」だろうが手を出してしまう感覚で視聴を再開したのです。
しばらく「我慢」して観ていると、様子が変わってきます。
どうやら「バズった回」があったようで、それがまた綺麗に炎上したようで、謝罪シーンなんかが入ったりします。
「流れの中でそういうこともあるよね。」
程度の感想で、時間を費やすために次を次をと観ていくと、事故的なことではなくて、番組製作の態度的なものが変わってきます。
現役の専門家を監修に迎えたり、それに飽き足らずにゲストに迎えたり。
「観るに耐えなかった」初期の回を、同じお題で「更新」するコンテンツを作成したり。
↑ この辺、シナリオを構成する水野大貴氏の熱意も然る事ながら、チャンネルホストとして「経営者」的立場にあり、かつ「聞き手」として供に番組をもり立てる堀元見氏の少し年若い水野氏に対する敬意、信頼を感じるところもグッときます。
「ひけらかす」という「芸風」が変わるわけではないですが、彼らへの「周囲からの評価」が明らかに変化している様子が伺えます。
なにより、彼ら自身の「無知の知」のレベルが急速に向上し、初期の頃よりははるかに確度の高い発言をしているのに、「正しく自分の無知を恐れる」ようになっていました。
その頃になると、もはや僕は客観的な観察者では居られなくなっていました。
「『人』を尊敬しない」という「鉄のポリシー」があるので、この感情を安易にそう表現はしません。
「大いに感銘を受けた」という言い方をさせていただきます。
個別のコンテンツの評価と言うよりは、その「チャンネルの歴史の流れ」にすっかり魅了されてしまいました。
正直「逆にやりすぎかな?」と思わなくもないコンテンツもあります。
言語学マニアである水野氏と、想定される視聴者である「普通の人」とを繋ぐ「通訳者」として機能している堀元氏を敢えて外して、「言語学という学問領域」の中でも取り分け「難解」と評される「生成文法」分野の現役学者との対談形式で四時間半ぶっ続けで多少の予習ではビクともしないような内容を延々と語り続けるものとか。
「若さだな」と思います。
それを自覚し、受け入れた上で、やってみえるようです。
僕はそれは単純に「立派」だと思います。
軟弱なことにリスナーとしては脱落しましたけどね。
今確認したところ、二十七分頃まではなんとか「我慢」が続いていたようです。
宗教組織、公益団体から命に関わるインフラを運営する事業体まで、ほぼ全てといって差し支えない「組織」を評価する基準がその「経済的な成功」の度合いになったり。
人を評価する基準という以前にまず一定程度の「優しさ」があるかどうかが「足切り」の基準点になったり。
良くも悪くも「評価軸」は時代の流れの中で変動を続けます。
コンテンツについては、とにかく「消化の良いもの」それ以前に「噛まなくても溶けるように口の中で消えていくもの」が良しとされているように感じます。
一方で、現実世界はより一層高い解像度で解析されるようにもなっています。
「量子力学」「生成文法」あるいは直感との乖離や、不可知領域の広さでは「医学」に代表される人間の生体への理解もそうかもしれません。
今の僕は「せかされることなく自分のペースで理解することが許されれば、最終的には大抵のことは理解できる」と思っていますが、現実にはどれだけ周辺的な知識を仕入れて時間を掛けようと、いっこうに核心に迫る感触を得られない領域が存在することは素直に認めるところです。
臆病な僕にとっては「理解できないことがある」という事態そのものがストレスですから、これはある意味「自分の幸せ」に直結する問題です。
目を背けている訳ではないですが「自分なりにできることがある」ということと「社会を信頼する」ということが、この点については盾になってくれていると感じます。
自分が理解できないことがあっても、それを理解してくれる、同じ社会を支える同志がいてくれる。
いずれ、ジワジワと、ADHDらしく遠回りに、その周辺事情を少しずつ埋めていくことで、いつかは理解の端には辿り着くことができるかもしれない、という期待も残してはいますけどね。
「ゆる言語学ラジオ」のこの「なにも隠すところのない、ありのままの生臭い美しき軌跡」は、僕の人間や社会に対する信頼を揺るぎないものにする、とまでは言えないですが、「背中を預けるに値する」と、実感させてくれました。
「今時の若い者は」という言葉は古代エジプトの粘土板にも刻まれている、なんて話はどうやら出典不明な都市伝説の類いのようですが、文字として刻まれているか否かに関わらず、恐らく人類は文明を進化させ始めたあたりからならほぼ確実にこの言葉を使っていたのではないかな、と思います。
なにせ「年若い隣人」は良い悪いはともかく「年老いた自分」とは確実に違う世界、価値観、人間関係の中で生きていたのは当時から変わらない事実で、そんな彼らは「自分」とは一致しない「正解」を持っていたはずですから。
僕自身の中にもあった、この「人の世の理不尽の源泉」を、この若者たちは完膚なきまでに破壊してくれました。
YouTubeという、「学びからは最も遠いところ」にあると僕自身が固く信じていた場所から。
それは、引いては「人間って、社会って、凄い」という手術・入院を経て獲得した僕の「根拠なき確信」の、まだちょっと弱いけど、それでも確かな裏付けにもなったのでした。
僕の「神様」は「社会」だったのかもしれないという「気付き」のはなし
事後報告になりますが、このブログでも何度かご報告してきました冠動脈バイパス手術を二月八日に受けました。
手術は成功し、リハビリも順調に進み、病気休暇を申請するために医師から頂いた診断書にあった記載では二週間とされていた入院期間は十日程度に収まり、二月十七日には退院することができました。
父親と二人暮らしとは言え、買い物、調理、洗濯といった家事は自分でやってきたので、自宅療養には不安を感じていましたが、実質一週間でも退院可能のお墨付きをいただいた上で念のため近所に住む弟さん家族にお願いした迎えの都合で延長した三日間分を結果的に病院内という安全安心な環境で思いっきりリハビリに励むことができたこともあったせいか、退院日には一人で買い物に行くために車を運転して荷物も自力で運ぶことができて大いに自信を深めることが出来ました。
そこからの自宅療養期間も、総じて今のところ順調です。
手術前、この一連のイベントについて想定していたことは「沢山の人生初があるんだろうな」でした。
これでもかなりポジティブに考えようと努力した上でのことなのですが、「人生初」というのは「今までに感じたことのない痛み」とか「今までに経験したことのない不自由」とかそういうこともコミな訳です。
実際、その両方とも経験することにはなったのですが、通り抜けた今、そんなことも含めて過去の人生で一番ポジティブな体験と言い切ることが出来るようになりました。
流石に手術直後からの体調が不安定だった数日間は天国と地獄が交互に訪れるような、ちょっとした自分の不調からの「もうダメだー」が少し解消するとパーッと目の前が晴れて世界が色鮮やかに見えたりで、鎮痛剤もかなり強い物を投薬されていたでしょうし、脳内物質も日常とは違う分泌状況なんだろうなーと、ちょっと冷静になれた瞬間に振り返ったりするような状況でしたが、体調の安定した入院後半辺りから、自分でもこれは浮かれすぎだと思うほどの多幸感に包まれました。
後に先輩患者さんの手記から「手術日は第二の誕生日です」というフレーズを見つけて、僕だけじゃなかったんだとちょっとホッとしました。
大げさな言い方をすれば、「宇宙飛行士が初めて『地球』をその目で見た瞬間に人生観が変わるエピソード」に近いんじゃ無いかなと想像したりもするのですが、僕は宇宙飛行経験も地球を肉眼で観たこともないので、当然これは推測です。
でも、そのぐらいのことは言ってもオオゲサじゃ無いと思えるぐらいにはポジティブでした。
「神に会った」みたいな宗教的な体験に近いのかな?と思われた方もみえるかもしれませんが、僕の場合はその現象を割とロジカルに説明することができそうです。
今回、僕を救ってくれたのは「社会」でした。
社会保険制度を通じて金銭的な扶助をいただき、公共事業を担う職場から同僚のサポートを受けながら病気休暇をいただき、日本でもトップクラスの高度医療を受けることで僕の肉体の中で自覚もなく進行していた「突然死」のリスクを回避することが出来ました。
そもそも、その「自覚無き体の不調」は職場の健診として受診した人間ドックで発覚したものです。
手術には人類の叡智とも言える医療機械「ダ・ヴィンチ」が使用され、胸骨を切ることになっていたら半年間は車の運転が出来なくなる可能性もあったところ、退院時点では痛みはあるものの日常動作はほぼ可能な状態でした。
当然、執刀していただいた医師チームの皆さんは日本でも有数の精鋭揃いです。
頭脳においても手技においても元より優秀なのでしょうけど、その状態を維持するために不安定な勤務状況の中でご自分のコンディションを保つため、ストイックな努力をされていることが伺えました。
体型的なことは遺伝的要素も強く影響するのかもしれませんが、皆さん共通して無駄な肉など見あたらないアスリートっぽさを漂わせ、診察の際に水分補給用に卓上に置かれていたのは「特茶」です。「しょせん特保」という考え方もありますけど、あれ、美味しくないんですよね(^_^;)
効くか効かないかはともかくとして、「そういうもの」を選ぶマインドの持ち主なんだと推測します。
入院期間を支えて頂いた看護師さんも、過酷な職場にありがちな若年層の多い構成でしたが、総じて優秀で、据え膳上げ膳の状態ですっかりお客様気分でワガママを言ってしまう患者さんや、意思疎通が困難な状態の患者さんに対しても感情的な反応を見ることはありませんでした。
自分の経験からも「誰かのせい」に転嫁しなければやり過ごすことすら困難な痛みやストレスと向き合う機会に事欠かないのが「入院患者」という存在です。
一々感情的な反応をしていたら身が保たないのでしょうけど、それにしても職業上の必要性を持ち出して全てを説明仕切れるとは思えない過酷な状況を平常心で過ごすことが日常というのは、人間としての構造のようなものが根本的に違うぐらいのことが無ければ説明がつかないと思ったりもしました。
麻酔から覚めた瞬間は呼吸すら気管挿入された管を通して補助されていたという点で言えば、赤ん坊以上に「自力ではなにもできない」状態でした。
他人とペースを合わせることが苦手という社会不適合な性格から、自分でできることは他人の迷惑を顧みずにやってしまうところのある僕ですが、集中治療室で過ごした概ね48時間ほど他人に全てを依存した時間を過ごしたことは無かったと思います。
どんなつまらないことまで忙しそうに働いている人に頼まなければなにも進まないという状況は普段ならかなりのストレスだったと思いますが、さすがに体中に針やら管やらが繋がっている状態では覚悟も決まるのか、今から振り返ってみると「ワガママ」でいることにも適応していた気がします。
医療の現場は他にも多様な職種で構成されていて、皆さんそれなりに忙しさや現場の過酷さを共有しています。
患者との接点という点で言えば、リハビリを担当する理学療法士さんの存在は大きかったです。
今回は連休を挟んだ関係もあって計四人の方に担当していただきましたが、基本一担当/一患者のマンツーマン体制で患者を支え、もうちょっと入院が長引いたら頼り切ってしまうだろうなと想像したりします。
僕は手術後二日目には立ち上がって歩くことが出来たのですが、手術痕の痛みもあってその初めて立ち上がった時には「人生で一番かもしれない痛み」を感じました。
早朝のリハビリ前に体重を量る必要があって立ち上がったのですが、その痛みがトラウマになってしまってその日は朝食も食べられず、当然リハビリなど出来る訳もないと決めつけていました。
実際のところはその日の代役としてやってきた本来の担当さんではないベテラン女性療法士さんにあの手この手でなだめすかされて、リハビリ開始。傷口が安定するようバストバンドなる補助具を巻いてみたら痛みもなんとか安定し、数分前の自分には想像も出来なかった「歩く」ことにまで挑戦していました。
痛みがあったとは言え、「寝た切り」だったのは30時間程度です。
今から考えてみれば立てさえすれば歩けるのは当然なんですけど、思い込みは怖いもので、自分としては「クララが立った」レベルの奇跡が起きている感覚がありました。
まあ「あのクララ」もたぶん歩けないと思い込んでいたから歩けなかったんでしょうけど、フィクションとは言え、その思い込みで何年も歩けなくなることだってあるのが人間だというサンプルでもあるわけで、そう考えると今この瞬間にも日本には何百人ぐらいのレベルの「クララ」がいて、「クララが立った」現象も毎秒レベルで発生しているのかな?と想像すると、とんでもなく尊い職業だなと思います。
栄養師さんにもご迷惑をおかけしました。
僕は一日一食とか、加工食品はおろか普段から穀物も食べないかなり極端な食事法を採用しているのですが、さすがに病院内でそれは無理ですし、命を預ける相手に変にワガママを言うのも気が引けて、入院時点ではなにも要望していなかったのですが、ICUから出た途端、喉元過ぎたのかワガママ心がニョキニョキと育ち、「パンと牛乳はNGでお願いします<(_ _)>」と掌返しをしてしまいました。牛乳は乳糖不耐症との診断を受けたことはないのですが、自分の生活を振り返って牛乳を飲むと体調が悪くなることに気付いて日常生活でも牛乳は飲まないようにしています。発酵製品は大丈夫なので、チーズもヨーグルトもOKです。そこまではまだ健康上の理由ですが、パンに至っては「本当はお米でもカロリーの質(同じカロリーを摂るのに同時にどれだけ微量栄養素を摂れるかを重視する考え方)を考えると食べたくないのだけど、パンに至ってはバターやら塩やらも入っていてほぼお菓子と同じなので」というかなり特殊な考え方に基づく物でした。
正直、「要求の妥当性」を考えると牛乳はともかくパンは突き返されても文句は言えないなーと思っていたのですが、結果、全部吞んでもらえました。
牛乳の代わりに「飲むヨーグルト」的なものが出たり、パンの代わりにご飯が出たときには組み合わせに考慮してもらえたのか、焼き海苔までついてきて、正直そこまでやってもらうと罪悪感マックスというか、たかだか一週間そこそこなら我慢もできたことでここまでこちらの身になった対応をしてもらえるものなのかと我が身の情けなさとの対比もあって、その志の尊さにちょっと泣きそうになったぐらいでした。
素人目には医師から出た処方を準備しているだけの存在に見えたりする薬剤師さんも、ADHDの薬であるコンサータについて自分の経験則上眠るためには妨げになるという僕の訴えを忙しい医師に通してもらえてストップしてもらえたり、退院時に渡される処方についても入院中同様の服薬時間帯ごとの包装を準備してもらったり、細かな要望に応えてもらいました。
それが特別でも何でも無い業務の中での日常なのかもしれませんが、自分の自由が効かない状況で職業上の物であってもこれだけ人からのサポートを意識すれば、僕のあの心情変化も当然のことのように思えます。
比較的早いタイミングで体調が好転したことを考えると、集中治療室のあの「寝た切り」状態が予定通り一週間に及んだり、結果的に先の見えない入院生活を送ることになっていたりすれば、同じように思えていたかは疑問で、その点運が良かったのは確かです。
でも、それは僕の受け止めの話しであって、病院側の対応は基本変わらないものです。
僕はその有様を幸運にも比較的平静に観察する機会を得ることが出来た、ということですね。
そんな訳で、僕は社会全体というか、大げさな話し技術や科学の進歩のことなんかを考えると、過去から連綿と続いてきた人類全体の歩みに支えられて手術と10日間の入院生活を乗り越えることができた、と理解した訳です。
その閃きのような「理解」はちょっとした「悟り」のような感覚でした。
僕は孤独耐性の高い人間だと思います。
今は父と犬と暮らしていますが、こうなったのは止むなく運命を受け入れているというよりは自分の選択の結果そうなっているのかもと感じることがあります。
犬を飼うことは父のたっての希望で、僕は父が前の犬を甘やかしてスポイルしてしまっていたのが嫌でしょうがなかったので最後まで反対していました。最終的に僕のいない隙に弟一家と示し合わせてだまし討ちのようにしてお迎えしたぐらいです。
犬自体は元々嫌いではなかったし、仔犬ともなれば当然のようにかわいいのですが、犬の顔を見た瞬間に思ったことは「ああ、これは弱点ができちゃったな」でした。
一体何と戦っていたのか、ゴルゴ13にでもなったつもりだったのか、今から考えると自分でも笑ってしまいます。
他人とペースを合わせるのが苦手なんでしょうね。
友達付き合いも縁のあった人数人と3ヶ月に一回のようなペースで、その都度1月前ぐらいから予定を入れて、もちろん楽しみにしながらではありますが、会って2~3時間程度の時間を共有してサッと別れてのような付き合い方が心地良く感じたりします。
会っている間は当然楽しいし、時間の密度も高くて、充実感もあります。だからと言ってもっと一緒にいたいとは、別れ際には思うものの、いざお別れしたらすっとそのさみしさも消えて、満足感だけが残る感じです。
そんなわがままをしているのにありがたいことに、縁には恵まれていると思います。
今回、社会との繋がりみたいなことを強く感じたのもこの辺の性格的な事情もあるのかな?と思ったりします。
今までもなにかの切っ掛け、母の死とか、失恋とかを経て、最終的に社会に感謝する内容のエントリーはブログにもいくつか残っています。
その気持ちに偽りはないのですが、どこか頭の中の論考の結果のような、パズルを解いていたら出てきた答えのようなところもありました。
今回はその点かなりリアルでした。
「赤ちゃん未満模擬実習」とか「クララが立った現象」まで経験したわけですしね。
「他人とペースを合わせるのが苦手」から派生している気がしているのですが、僕のもう一つの特徴は、金銭を介した顧客とサービス提供者の関係性の中で割と深い信頼関係を結びがちな点です。
コロナ禍以降プライベートで一番時間を共有しているであろう古武術の師範も、元々五十肩を拗らせていた時に「腱引き」という整体のような施術を受けたことから関係性が始まりましたし、床屋さんとか、スーパーの店員さんとか、昔で言えば馴染みのバーのマスターとか、関係性のレベルはそれぞれですけど、こちらがお金を払うことで関係性を「調整できる」というと語弊がありますけど、判りやすく感謝の気持ちを金銭で具体的な形で渡すことができる関係性に安心感を覚えるところがあるのかな、と思ったりもします。
その意味では病院との関係は、まあ、自分が払った金銭の額とあの体験の中で受けた恩が釣り合うのか甚だ疑問ではあるのですが、それも社会保険があってのことと考えると、「正当な対価」ではあるので、そういう意味ではより素直に感謝の気持ちを持てた可能性もあるかなと思います。
心の中の動きなので、どこまで論考しても答えには辿り着かないのですが、まあ、大筋では間違っていない気がしています。
で、その結果なにがあったかと言えば、今までこのブログで書いてきたこととか、そこまで至らないけどいつか書きたいと思ってきたこととか、意識すらしてなかったけどなんとなく考えてきたこととか、そういう「個別のテーマ」を繋ぐテーマが急に見えてきたりして、全てが一つにまとまって球になったような感覚があったんですよね。
そういう閃きみたいなものは無意識が今までの経験なんかを結合して「直感」として出力しているもので、それなりに妥当性の高い答えではあるんですけど、なにせ直感ですし、神経伝達=電気信号の性格上、「長持ち」はしないものです。
忘れないうちに言語化してどこかにメモでもしない限りは。
今回、幸運にもその尻尾ぐらいは掴むことが出来たんじゃ無いかと思っています。
今にして思うと幸いだったのは、集中治療室にスマホ持ち込み禁止だったことですね。
事前にそういうはなしは聞いていたのですが、頼めばなんとかなるかなーとちょとタカを括っていました(^_^;)
実際入ってみれば、下手をすると意識も無い状態で三日以上ということもあり得るし、意識が戻っても体のアチコチに管やら針やらが繋がっていて身動き取れないし、むき出しのベッドに横たわった状態で完全看護を受け続けるのでパーソナルスペースはベッドの上だけ、それも手が動かせる範囲は最初のうちは肩から上の枕の右側分くらいのイメージです。右手は針が二本入った状態で、ものを持ち上げたり運んだりのハードルもかなり高いですしね。
そうは言っても「なにか」は欲しい。
考えて「ペンとメモ帳はなんとか」と頼んでみました。
最初の反応を見るとそれも難しかったようなのですが、リハビリを担当してもらった理学療法士さんがメモを取ること自体は最低でも「座る姿勢」を伴うのでリハビリの役に立つという「合理的な理由」を立ててくれたことで事態が好転しました。
厳密になにが起こっていたのかは知るよしもありませんが、経緯から推測するにそんなところです。
考えてみれば難色を示されたのも「そもそもそんな要求される前例がなかったので判断材料がなかった」ってことだったのかもしれませんけど(^_^;)
こうして運良く持ち込めた訳ですが、例えば決してあり得ないはなしでは無い「三日間昏睡状態」だったりしたらメモを取ろうという気になるまでには相当時間を要したかもしれませんね。
そう考えると「運が良かった」ことが一番大きかったのかもしれませんが、僕は「集中治療室で過ごした二日半とたまたま三連休が絡んでスマホを取り戻せなかった三日間」を、空いた時間をひたすらメモを書くことで埋めていくことになりました。
実は、この機会以前の僕には「メモ帳を一冊使い切った経験」はありませんでした。
スマホでメモを取るようになって、メモを取るという習慣自体は根付きつつありましたが、紙のメモとは「相性が悪い」と思い込んでいました。
実際、相性は良くないのかもしれません。
入院中に書いたメモをデジタル化する作業をチマチマと進めているのですが、ところどころ「書いた本人にも判読不明な箇所」があります。
フォーマットはその時々で気まぐれに変わっていきます。
普段から愛用している四色ボールペン+シャープペン、実際は緑のインクの入っていた箇所を0.3ミリの黒に入れ替える「カスタマイズ」をしていますが、を一緒に持ち込んでいましたが、青や赤を使うケースは暗闇の中でメモを取る際に押し間違えてしまった場合でした。
0.3ミリの黒を四本入れておいた方がまだ合理的だったかもしれないと思うくらいです。
でも、メモを残さなかったよりははるかにマシでした。
判読不能な楔形文字が粘土板に刻まれている状況に近いかもしれません。
根気と想像力がなければ情報価値は限り無くゼロに近づきますが、読み解こうとする意思を支えるだけの何かがあれば、それは無限に100%に近い情報量を保持するものになり得ます。
なにより、書き出したという事実があることが文字が残っていること以上に役に立った感触もあります。
頭の中だけではないどこかで整理された情報の痕跡は脳の中にも影のように残っているのです。
そんなわけで、もしかすると今まで多くの「入院患者」の脳内を駆け巡り、結果的に「気の迷い」として処理されていたかもしれないものを、僕はひたすら自分の血肉にすることが出来た訳です。
途中他のネタを挟むかもしれませんが、このブログではしばらく僕のこの経験について書いていきたいと思います。
お付き合いいただければ幸いです。
ゴジラにおける「何でも説明しちゃう博士」に関する論考 その2
前編では「ゴジラ -1.0」を題材に、初代ゴジラが残した遺産であり、後のシリーズ作においては「呪い」のような存在になってしまったのでは?とも思える「何でも説明しちゃう博士」について拙いながらも論じてきました。
今回は「ゴジラ -1.0」以前に同作とは全く異なるアプローチでこの問題に対処していた作品が存在していたことについて言及したいと思います。
その作品はゴジラシリーズに連なるものではありません。
漫画「機動警察パトレイバー」の第9巻から単行本3部余りに渡って描かれた「廃棄物13号」というエピソードです。
以降の論考においては同作のネタバレを含みます。また、「機動警察パトレイバー」という、名作ではありますが残念ながら少々鮮度の落ちてしまったコンテンツの読了を前提とした論考になることをご承知おきください。
さて、同作において「何でも説明しちゃう博士」に近いポジションを担う西脇順一博士は「何でも説明できるポテンシャル」はあるものの、作中時間軸のスタート時点で既に故人となっています。
博士の残した、いわば「ダイイングメッセージ」を巡って「探偵役」と「犯人役」が舞台を回す「謎解き劇」と、治安当局の立場から描かれるロボットものにしては奇妙にリアリティのある怪獣パニックものが相互に幕間に展開し、終結に向かって二つの流れは一本に収束していきます。
伝統的なゴジラ作劇において「狂言回し」を演じる「何でも説明しちゃう博士」をむしろミステリーにおける「謎」そのものに落とし込んでいる訳です。
「廃棄物13号」は「WXIII機動警察パトレイバー」としてアニメ映画化されています。
映画版はよりサスペンスパートにフォーカスしており、オリジナルのトリックも盛り込まれているのですが、本論の題材である「博士」の立ち位置について影響があるほどの改変はありません。そんな事情もあって本論ではあくまで漫画版の「廃棄物13号」エピソードをベースに話しを進めたいと思います。
はなしを戻しましょう。
「何でも説明しちゃう博士」をストーリーから排除することで怪獣映画が本来パニック映画としてもっていたはずの緊張感を取り戻した「ゴジラ -1.0」とは対照的に、この作品では「何でも説明できちゃう博士」の存在そのものを謎に落とし込むことで「博士」と「緊張感」の共存に成功した訳です。
お気づきの方も多いかと思いますが、「シン・ゴジラ」はこの作品から影響を受けていると思います。
特に「シン・ゴジラ」冒頭の海上保安庁が無人のボートに踏み込み牧博士が自殺したらしい痕跡を発見するくだりはほぼほぼこの作品のオマージュシーンと言って差し支えありません。
その後の展開においては博士の残したゴジラのデータの解析からゴジラ対策が構築される流れになります。「シン・ゴジラ」も「廃棄物13号」も「博士の残したもの」の読み解きが物語の鍵となる点では共通していますが、作品全体に対するパートの比率で言えば、ゴジラによる破壊描写や、計画策定後の政治を含めた作戦遂行のドラマの比率が高い「シン・ゴジラ」と、謎解きのドラマ性がシリーズの魅力の中核扱いの「廃棄物13号」では結果として「テーマが違う」と言って差し支えないものになっています。
元々「廃棄物13号」のスートリーはゴジラシリーズ、特に「ゴジラ対ビオランテ」の影響を強く感じさせるものです。
パトレイバーは同人文化第一世代を代表する漫画家、ゆうきまさみ氏を中核メンバーに据えるクリエイター集同団であるヘッドギアによる創作であり、庵野秀明氏もまたダイコンフィルムと言う同人映像文化の先駆者集団がキャリアのスタート地点です。オマージュ、パロディ、インスパイア、本歌取り等々「引用」の意図はそれぞれにあるかもしれませんが、少なくとも「パクリ」と言う無粋な言葉は彼らの辞書には無いのではないでしょうか。
膨大な数の物語が生み出されている現代において全くの「新機軸」というのはほぼほぼ無理な話しで、今回の論考自体、あくまで日本のポップカルチャー、中でもゴジラシリーズという特定領域における流れの話しであることを考えると、この「流れ」も全く別のどこかで生じた流れの「継承」なのか知れません。
昨年中に書いた「ゲゲゲの誕生」の感想の中でも触れたように、「ゴジラ -1.0」も諸手を挙げて100点をつけられる作品ではないと思っています。ですが、一定の固定ファンを抱え、東宝と言う日本映画の保守本流ブランドの看板シリーズの一つとして、良くも悪くも過去作の呪縛の中で製作されがちなゴジラというタイトルにおいて、二作続けてシリーズが抱えていた宿痾と真摯に向き合い、全く別の解法が示されたという事実は日本社会の変容という意味では意外と大きな話しなのかも知れないと思ったりもします。
両作の共通点を考えると、「過去にゴジラの上陸を経験していない世界」と言う「シン・ゴジラ」の切り拓いた新たな地平は「ゴジラ -1.0」とそこから先に続くであろう「未来のゴジラ」に無限の可能性を遺したと言う意味で歴史的な所業だったのかもしれません。
この辺の「大人の事情」については部外者としては窺い知ることができませんが、忖度なく障壁を突発する上で庵野氏の「重み」はそれなりに作用した可能性は高いと思います。とりわけ、その「重み」を伝統作の未来を切り拓く方向性に作用させるという「正しい使い方」をしたということは素晴らしいことだと思います。まあ、それもまた僕の妄想ですけど。
そんなわけで僕にとって「ゴジラ -1.0」との出会いは多少おおげさですがもろもろの周辺事情も含めて今後の日本について希望を感じさせるものになりました。
妄想込みですけどね(^-^;
ゴジラにおける「何でも説明しちゃう博士」に関する論考 その1
「ゴジラ -1.0」を観てきました。
ネタバレありの感想?論考?です。
僕自身について言えば、ゴジラについてはなんとなくシリーズの流れやメルクマール的な作品のプロットを承知している程度の「ニワカ」であり、マニアにはほど遠いです。
記憶力に自信がないこともあって、「シン・ゴジラ」以前の作品の細部はかなり怪しいと思います。
むしろ着想自体はゴジラマニアの方の「ゴジラ -1.0」評に対して抱いた違和感を起点に湧いたものでして、「違う視点」や「より高い解像度」をお持ちの方には些か公平性に欠けて見える可能性があります。
さて、「予防線」はこのぐらいにしましょうか。
観終わった直後の感想は「天晴れ!」でした。
シリーズ前作はあの「シン・ゴジラ」です。
山崎監督自身が「シン・ゴジラ」鑑賞直後に「貧乏くじ」と表現していた立場に自ら立つことになったわけです。
その「作家性」もあって、ほぼフリーハンドで伝統ある「ゴジラ」という日本有数の歴史を持つシリーズコンテンツを「蹂躙」した庵野秀明監督とは対象的に、山崎貴監督は「全方位に気を遣いつつ営業成績獲得に最適化した作品を作る」ことに定評があるようですが、そんな期待が製作を依頼した東宝側にあったとすれば両手を縛られた上でシン・ゴジラを超える成績を上げよ、と言う旧日本軍も真っ青な無理筋な勝利条件を背負って本作は制作されたことになるわけです。
そんな危機的な状況を乗り越えて?、本作は「シン・ゴジラ」とは違うルートで、それも「シン・ゴジラ」でさえなし得なかったレベルで「ゴジラ」という「伝統芸能」を解体的に再解釈し、呪縛から解き放ってみせた、と言うのが鑑賞直後の僕のこの映画評です。
ゴジラって良くも悪くも日本的なコンテンツだと思います。
怪獣映画という本来は娯楽作の王道のようなジャンルであるにも関わらず、「戦争への反省」「核兵器への恐怖」「自然への畏怖」等々あらゆる人類的な命題を背負わされてしまっている。
背負っていることが悪い、とは思わないのです。
なにも考えずにひたすら蹂躙を繰り返すだけなら予算的に太刀打ちできないハリウッド映画に敵うはずがありません。
物量で対抗できないなら評価軸を変えるのは戦略としてアリでしょう。
それこそ日本の「お家芸」ですしね。
ただ、「伝統芸能」になってしまったことで「こじらせてしまった」のかもしれないとは思います。
いわゆる「ゴジラファン」の立場で本作を批判する意見として耳にしたもので印象的だったのは「ゴジラを代弁する立場の人がいなかった」というものです。
初代の芹沢博士からシン・ゴジラの牧吾郎博士に至る「ゴジラの生態を解明して対策を策定」したり「ゴジラ出現の道義的意義」を説明したり、最終的に「人類に対してゴジラを弁護する立場」に立ってしまう、「あのポジション」の人です。
本作で言えば野田健治さんがそれに近いのですが、彼は「ゴジラが水爆実験の影響で巨大化した」とか、「大戸島に出没していたあの個体が変化したもの」みたいな経緯も、ゴジラに関する詳細はなにも承知していませんし、劇中の解説台詞も「何も判っていません」ととても正直です。
画期的なあの作戦も、「これで生きている生物はいないでしょう」というレベルの思考で策定されている訳で、ある意味大戸島での「零戦の20ミリを食らって生きていられる生物なんているか!」と程度の差の問題でなんらの確信があるわけでもないんですよね。
現に作戦の肝になるような「出現時刻」なんか大外ししている訳ですし、作戦そのものも最後の「特攻」という隠し球がなければ大失敗に終わっていた可能性が高い訳ですし。
僕は逆にここが良かったと思います。
映画鑑賞には「メタ的な理解」という文脈が存在します。
「ゴジラも犠牲者だ」ということは「映画を観ている人間が判ればそれで良い」んですよね。むしろ「なんでも台詞で説明するんじゃねー」というのは映画批判の典型の一つです。
「人間が人間の事情で躊躇いなくゴジラを倒して喝采をあげる」という構図に「救いのなさ」があるならば、そちらの方がメタ的により際立つ形で「この世の不条理」を表現できているという解釈も成り立つわけです。
反省は、必要なら観ている人間がすれば良いのです。
実際、「ゴジラ-1.0」を観てしまうと過去作の「なんでも説明しちゃう博士」というのは作劇上かなりの問題点だったことが際立ちます。
なにせ緊張感や恐怖感が薄れます。
人間は言語化された時点で「理解」します。
本当は判っていないものでも判ったつもりになってしまうものなのです。
「日本の怪獣映画」がホラー映画やパニック映画とは違う、良くも悪くも「独立したジャンル」になってしまった原因の一つはこの「回り道」がフォーマットとして組み込まれてしまったことにあるような気がします。
ご丁寧にも刺激を消すことがフォーマットに組み込まれていたわけですから、早々に「伝統芸能」になってしまったのも当然ですよね。
本作のキーワードになっている「-1.0」について、山崎監督は「色んな含意がある」的な発言をしていますが、もしかすると「何でも説明しちゃう博士」の存在もマイナスしてみたものの一つだったのかもしれないですね。
さて、ここまで書いてきてなんですが、実は書いている間に本文の論点である「何でも説明しちゃう博士」問題について、「ゴジラ -1.0」とは全く別のアプローチで対処した事例に思い当たってしまいました。気付いてしまったからには書かないと収まりがつかないのですが、その点については次回に回したいと思います。
