今年のテーマについてのはなし

 あけましておめでとうございます。

 

 2015年から継続してきた初日の出登山ですが、さすがに今年は諦めました。
 この「諦める」というのは良くも悪くも今年の自分にとってキーワードになるかもしれないと思ったりします。

 

 この3ヶ月ほど、平均睡眠時間が正味で8時間を超えています。ちなみに中途覚醒等も記録されるFitbitの計測値です。
 それ以前は多い月で7時間、平均すると6時間半程度だったことを考えると、自分の自由になる時間が毎日1時間半削られているということです。

 急激に心拍数を上げないようにでも体の機能は維持するべくそれなりに運動量を確保することを考えると、その分の所要時間も増えていることになります。

 幸いにもそれ以前から仕事は定時で帰ることのできる状況でしたが、昨年のように少し早めに出勤する余裕はなくなりましたし、「プライベートな楽しみ」に割ける時間も減ったと思います。

 

 正直なはなし、苛立ちはあります。特に仕事について言えば、昨年度から取り組んでいるまとまった時間の必要な書類の整理とデータベースの作成について3月までに目鼻を付けたいと思っていました。
 この状況ではセカンドプランとして最低限ここまでというレベルに着地する方向に軌道修正しなければなりません。

 

 しょうがないんです。現実問題として今、自分が体のためにできることは「そのために時間を確保すること」だけなんですよね。
 食事に気をつけること、処方された薬を飲むこと、適度に体を動かし機能を維持すること、ストレスに適切に対処すること。全て大事なことですが、あくまで現状維持のためであって、現代の医学の進展状況では外科手術以外で「改善」に資する見込みがないようです。

 

 そんな状況で、強がりに聞こえるかもしれませんが、実は「幸福感」という点で今は自分の人生の中で結構高いところにあるんじゃないかと思うことがあります。
 理由を考えてみると、「自分の人生をコントロールできているような感覚」があるのかな、と思ったりします。
 皮肉な話しですが、選択の余地がないことが幸いしている可能性があるということです。

 

 優先順位が明白になることで睡眠のためにやりたいことを削ることへのためらいがなくなったり。
 どうしても対処しきれなかったジャンクフードへの渇望感を日常生活を送れなくなることへの恐怖感が上回って抑え込めていたり。
 「走る」ということについても疲れがあっても妥協することが難しかったのですが、ドクターストップがかかることでキッパリ悩む必要がなくなりました。

 

 なにごとについても「ほどほど」にすることは自分が一番苦手なことのような気がします。その一番苦手なことが状況に縛られることで半強制的に実現出来ているわけです。

 もちろん良いことばかりではなくて、この状況がストレスフルであることは客観的に、これもFitbitの計測値で「心拍変動」が下がったことに示されています。

 もしかすると、「コントロールできている感覚」という意味ではこうした数字で自分の変化がある程度客観的に見えるのも良いのかも知れませんね。Fitbitは医療機器グレードでは無いので、あくまで参考値ですけど。

 

 この状況はあくまで今の時点のスナップショットです。
 今後どうなるかは「神のみぞ知る」です。 

 

 だからこそ、今は自分ができることに意識を集中することが大事なのかもしれないな、と思う次第です。