健康状態に関するご報告

10月20日長距離走にドクターストップが掛かりました。

 

具体的な診断内容としては冠動脈のうち1本が狭窄を起こしていることと、過去に心不全があったようで心臓の一部が壊死している、ということでした。

 

当日の朝も3kmほど走ってからお医者さんの診察を受けたぐらいで、体感と診断内容が一致していなくて、その状況は今現在も続いています。

 

時々胸の辺りが痛いとか、なんとなく息が切れているなと感じたりする時間があったりもするのですが、ごく短時間で、しかも「病気を抱えているらしい自分」に意識の焦点が合ってしまった時に限定されているような気もするので、「気のせい」なのかな、と思ったりします。



ここ数年の自分の行動を考えると「間尺に合わない」と思ったりもするのですが、冷静に考えてみれば生まれてこの方ずっと肥満児で、特に20代から暴飲暴食を繰り返した挙げ句、30代前半の一時期は肉体の限界近くまで肥満が進行し、足の指が腐りかけたりアゴが腫れ上がって口が開かなくなった時期があり、診断こそ出なかったけど、この時期は恐らく糖尿病だったと思います。

 

そもそも母方の家系はかなり濃い糖尿の家系でして、その点ではサラブレッド的だったりしますし。

 

その後、30代の後半の左アキレス腱部分断裂を切っ掛けにネトゲ廃人になって仕事以外はほぼ「引きこもり」の3年あまりがあり、その末期には実際に「軽度の糖尿病」の診断も受けています。

 

人生の大部分で不摂生の限りを尽くしているわけで人生変えようと心を入れ替えて運動を始めた当初は歩くだけで酸欠を感じるような状況でした。



そんな状況を経ていることを踏まえると、体に不可逆的な負債が残っていること自体はなんの不思議もない、むしろ典型的な「自業自得」だと思ったりします。



心を入れ替えてからも例えば昨年でも3ヶ月ほど仕事に熱中して運動をサボった時期があったり、そもそも食事に関しても改善はしているのですが、質はともかく量のコントロールには常に課題を感じていたりもしました。

 

質についてもアイスクリームに嵌まったり、鶏皮に嵌まったり、どうしてもコーラのまずに一日を終えられない時期があったり、最近でもちょくちょくチート的な食材に依存していた時期があったりしましたしね。



「走っていること」を免罪符にしていたのかもしれないという思いもあります。

 

走ること自体は良いことだったと思うし、そこから得たものは大きかったと思うのですが、疲労や食事の量、睡眠といったものについてもっと気を使うべきだったかなとは思います。一時期はむしろ走ることにも依存してしまって、睡眠に影響が出るような夜遅い時間でもその日走れていないことに気付くと走ってしまっていた時期もありました。



そもそも遺伝や体質、その時々の体調やバイオリズム的なこと、現状の医学、科学では認識できていないものも含めてパラメーターは無限に存在するでしょうし、日常の自分の行動が客観的に数値化されているわけでもないことを考えると、「節制」ということ自体がどこまで客観視できる概念なのかな、なんて根源的な疑問に行き着いたりもしたりしますが、その点は置いておくとして。



お恥ずかしい話ですが、今回自分ごととして改めて動脈硬化について学んだことは、「基本、自然治癒しない」ということでした。

 

健康オタクのハシクレとしてはリサーチ不足も甚だしい話しですが、血液サラサラ的な健康食品マーケティングに認知が毒されておりまして、薬どころか食物由来のナットウキナーゼとかケルセチンとかポリフェノールみたいな栄養成分が効くんじゃない?とか、LSD(幻覚成分じゃなくて「ゆっくり走れば速くなる」の方)的な運動でも徐々に改善するんじゃ無い?とか思っていました。なんとなく。



自然治癒しないとなれば、過去の悪行の結果は地層のように残っているわけで、なんなら心を入れ替えて以降のちょっとした「気の緩み」みたいなものもちょっとずつではあったとしても緩んだ分は歴然と降り積もっている訳です。

 

この「新事実」とも突き合わせて、酷かった頃の自分を思い起こせば、むしろよくここまで立て直したな、と思ったりもします。



ChatGPTに問い合わせたところ、冠動脈狭窄に効果のある治療法として「水素療法(自由診療)」なんて香ばしそうなものもリストアップされましたが、人力で追加調査したところ期待される効果は予防もしくは症状の進行抑制までらしいです。

 

つまり、現状では今の状況を改善しようと思ったら手段は外科的な措置に限定されるということです。

 

術式としては主にカテーテルかバイパスの二択になるようですが、僕の場合は狭窄が進んでしまっていて比較的患者の負担の小さいカテーテル手術は難しいかもしれないというのが今のところの主治医の先生の見立てです。



前述のとおり、日常生活に支障がない、自覚的な症状のない状態ではあるんですが、放置したところで時間の経過と共に着実に事態は悪化する訳です。

老化を考えれば、節制すれば現状維持できる、なんて話しでも無いわけです。

 

むしろ、現状の日常生活に支障が無い状態は、少なくとも今の主治医の先生にも説明のつかないような「奇跡的なバランスの上に成り立っている状況」である可能性もあり、ちょっとした切っ掛けで歩くのも難しいような状況に移行することもあるのかもしれません。シランケド



昔、「ゾウの時間ネズミの時間」という生物学の啓蒙書を読んだことがあるのですが、我々哺乳類にとって心臓は消耗品で、それぞれの代謝に合わせた拍動リズムがあってそれぞれの種ごとに概ねの寿命はバラバラでも一生涯に打つ拍動数自体は概ね哺乳類全般で一致しているという内容でした。

 

現状の僕はいわゆるアスリート心臓に近い低心拍数を維持していますが、心臓自体に酸素を供給しているメインの補給路が詰まっている以上、大きな負担が掛かっていることは確実です。



こうやって色々な事実を並べて見ると「開胸して自前の動脈のうち比較的使っていないものを移植する手術を受ける」以外の選択肢は理性的に考えると存在しないらしいんですね。

正直医学史の中で「役に立っていないように思われていたけど後から役割が見つかった内臓器官」の事例を複数知っているので若干不安にはなりますけどね。



ここに至るまではかなり狼狽えたり、慌てたりもしましたが、色々調べて考えてみて、選択肢がないことで逆に落ち着きを取り戻していたりします。

 

もう、俎の上の鯉と言うヤツです。



特にコロナ禍以降、去年の11月ぐらいから走ることを再開し、以降の経緯は大体このブログでも報告してきました。

 

できるだけ前向きな筆致で書いてきましたが、コロナ禍以前に走っていたときのように自分なりに走った分だけ速くなる感覚は感じることができないでいました。

 

老化かな?と思っていたらもっと深刻な理由が隠れていたわけですが、逆に言えば老化では無かったわけで、その点落ち込む理由は一つ減ったと言えなくもないです。

 

 

幸いにも今のところ体力は同年代の平均以上にはあります。

 

術後にどうなるかは「神のみぞ知る」なんですが、自分としては今より良くなることをイメージするように心掛けていたりします。