2019年の6月16日、中野新橋の小さなバーが初見。
その年の7月8日には青山のライブハウスで。
8月29日には神戸の高台にあるホテルのレストランで。
コロナ前の一時期、母の看取りに入る直前に憑かれたようにライブに通っていた歌い手さんがいます。
四十を過ぎて岡本太郎を「再発見」した切っ掛けになった人だったり。
CD音源で満足していてライブを観に行くなんて発想のなかった僕が五十近くになって急に「ライブのための旅行」を繰り返すようになったのも、その人との出会いがあったからのような気もします。
杉瀬陽子さん、という人です。
その人との「出会い」は、おそらく2014年の8月頃のことだったと思います。
今は無くなってしまった「Google+」というSNSで紹介されたのを切っ掛けに「瞬きする間にサヨウナラ」という曲の存在を知りました。
手元にはもうその投稿は残っておらず、匿名同士のやり取りだった紹介者のことも記憶がおぼろげになっていますが、絶妙な、ネタバレなしのレコメンド記事でした。
初めて聞いた時は何について歌っている曲なのか理解できませんでした。
モノローグとも問いかけともとれる語り口。
静かな悲しみとも諦めとも少し違うような、ただ事実を冷静に伝えているような、不思議な強さを漂わせたトーン。
何度か聞きかえすうちに、語り主の置かれた状況がぼやけた視界が焦点を結ぶように理解できた瞬間。
その時の衝撃は今でも忘れられません。
子供のころ、「その瞬間」を想像することが一番の恐怖でした。
頭から離れないそのイメージを必死でやり過ごすことに時間のほとんどを消費していたような記憶もあります。
当時は、それは妄想と言い切るのは難しい「現実的な可能性」でしたしね。
そんな過去のある僕にとって、決してポジティブとは言い難い主題を扱ったこの曲を僕は取り憑かれたように何度も聴き返しました。
最初の衝撃が通り過ぎた後も、繰り返し、繰り返し。
どちらかと言えば音楽は好きな方でしたが、時間を消費する、暇つぶしではなく、文学作品を読み解くように一つの楽曲に真摯に向き合ったのは初めてのことでした。
彼か彼女か、悲嘆の欠片も感じさせず、僕ではない誰か、或いは何かに向けられる言葉に耳を澄ませる
そんな時間を繰り返し過ごしたあるとき
僕は突然、今までにないほど自分の心が凪いでいることに気付きました。
気付いたのです。
僕が語り手に感じていたのは「うらやましさ」だったことに。
そんな瞬間をもし迎えざるをえなくなった時、こう感じられるようになりたい。
そこから立ち返って考えると、子どもの頃から僕の心を苛んでいた恐怖の対象は、もしかすると「末来」そのものだったのかもしれません。
まだ来てもいない先のことに思い悩み、「今この瞬間」を浪費し続けていたのですから。
この気付きの瞬間に人生が変わった、と言うほどことは単純ではありませんでした。
「そのことはそのこと」でしたし「悟り」は一瞬のことで、心はすぐに状況に流されます。
ただ、のちに他のいろんな体験を重ねる中で、この「回向」の瞬間は何度も思い出され、今の僕を作る礎の一つになったことは確かなことです。
それからしばらくして、この曲が一幅の絵画からインスピレーションを得ていることを知りました。
「明日の神話」という、メキシコの廃業したホテルから奇跡的に回収されたその作品を渋谷で初めて目にしたのは2019年3月24日のこと。
ギリギリ同時代を生きていた僕に取っての遅すぎる「岡本太郎」との再会の瞬間でした。
さて、2023年4月8日コロナ禍以降で初めて彼女のライブに参加しました。
僕を含めてこの日の客席はシャイで、ピアノの共鳴音が静まるまで待ってから拍手が始まるような、決して「ノリが良い」と言えるようなライブではありませんでした。
でも、それは彼女の音を一粒たりとも聞き洩らしたくないという観客の共有する意識の顕れだったようにも思います。
実際、この日の彼女は素晴らしかった。
一曲を除き、全てピアノの弾き語り。
アルバム収録とはひと味違うアレンジ。
観客一人一人の顔の見える、小さなライブハウスでアップライトピアノに向き合った彼女は、僕から観ると自分のホームグラウンドで一番自分が輝くところで勝負し続けた2時間弱だったと思います。
そして、迎えたアンコール。
自分の原点であるとしてコールされた曲名は「瞬きする間にサヨウナラ」でした。
正直、予約は入れていたもののギリギリまで大阪行きを迷っていました。
この一週間奥歯のかみ合わせが思わしくなくて、週の半ばから顔の右半分が腫れ始め、今朝の段階ではマスクをしていても腫れ上がっているのが判るような状況で。
折角大阪まで行くのだからと、当初は午前中のうちに着いてどこかで観光でもしてからと思っていたのが、現実は地元の病院で消炎剤と鎮痛剤を処方してもらってなんとかギリギリの時間の新幹線に乗った時点ではまだ痛みが引かない状態。
多少無理を押してでも参加を決意した自分を褒めてやりたいです。
ライブハウスを出る際は直接杉瀬さんにお礼を言う機会にも恵まれました。
あの曲を世に出してくれたこと。
あの夜をしめる一曲に選んでくれたこと。
語りたいことが溢れると、言葉はシンプルになってしまうのか、振り返ってみると僕の思いは全く載せることは出来ませんでした。
でも、きっと、どれだけ言葉を尽くしてもこの思いは伝わらなかっただろうと思えば、あれで良かったんだと思っています。