幻の初日の出に思ったはなし。

2015年からですからもう6回目になるんですね。

初日の出登山を続けていたりします。

 

今年はその2015年以来のホワイトアウト状態でした。

 

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次の年は5分ほど遅刻してしまい、その次は前日に呑んじゃって昼過ぎ登山。

 

と言う訳で拝めたのは2018年が初。

それから3年連続で拝めましたが、自分で思い込んでいたほどちゃんと見られていないんですね。

 

改めて2015年の記録を見返してみると、麓に着いたのは5時ちょい過ぎで、日の出観測ポイントに着いたのは6時40分頃。

この年は今年以上に吹雪いていましたが、それにしても100分ほどかかっていました。

 

今年は1時間寝坊してしまったこともあって焦って登ったこともあるのですが、46分で到達しました。って実は遅刻したんですよね。

 

それはともかく半分の時間で登れるようになったわけです。

 

自分なりに成長を感じる数字でした。ですが、この変化はそういうポジティブな言葉だけでまとめられるものだったのか。

 

 

今年は休みに入る前から吹雪くことは想定出来ていたので、正直寝坊してしまったのは「どうせ見られないから」と言う緊張感の欠如があったと思います。

 

寒さとしては前回の方が厳しかった印象でした。少し余裕を持って登って待ち時間があったこと、今年はその経験を活かして珍しく携帯カイロを貼りまくって両手持ちにしたこともあったのですが、その時は手がかじかんで車に戻った時にイグニッションを回せなかったぐらいでした。

余裕はあったはずなのに今年はいつも立ち寄る山頂や山頂近くの帝釈天さんにご挨拶をすることもなくあっさりと下山してきました。9時前に帰宅したのは初めてのことでした。

 

こんな感じで自分の中では不完全燃焼というか、達成感の薄いイベントになってしまったのですが、新年の挨拶を送る時には一応写真を添付する訳です。

で、そのうちの一人から感想がこんなんでした。

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そうですよね。

実際思い返してみれば、そして写真を見て改めてそう思いました。

 

 

そして思い出しました。

 

最初に登った時の気持ち。

 

僕が見たかったのはまずどんな状況でも登り切った自分の姿でした。

そして、登ったあとは「そこに行かなければ見られない光景」を見られたことがなによりの自分へのご褒美になりました。

 

一瞬一瞬を大切に。

いつもそんなことが出来る訳はなく、最初に登った記憶が今も鮮烈に残っているのはやはり新鮮な体験だったからでしょう。

 

山そのものの経験値も低かったですしね。

 

 

ただ、思うのです。

結局寝坊したとは言っても、それなりに大変な思いをして登った訳です。

そして、大変な思いをしようがしまいが、その記憶をどう扱うかは自分次第です。

 

もう若くはありません。

僕は生きている限り登りたいと思っていますけど、だとしても「初日の出登山」は60回は出来ないでしょう。

 

そして、これまでの6回も取れ一つとして同じ経験ではありませんでした。

 

もちろん初日の出登山に限った話しじゃないです。

 

どんな経験も一つ一つ噛みしめていけば。

 

このご時世です。

 

休みもお出かけはこの一回ぐらい。あとはちょこちょこ買い物に出る程度です。

 

頭の中にある「あれもしたい」「これもしたい」を追いかけてしまって、折角の自由になる時間は無為に流れてしまいました。

 

どんな瞬間も、もっと大切に出来たら。

 

 

年の初めにとても良い切っ掛けをいただいたと思っています。