2021年を振り返ってみたはなし ~プチ断食編~

 一日一食生活を継続しています。

 仕事が忙しくなるにつれて朝食を食べる時間より睡眠時間が欲しいからと朝を削ったのは2020年の11月のことでしたが、その時点で既にお昼はプロテインにしていて、これも無くそうと思えばいけるんじゃないかと思ったのが2021年の3月。

 やってみたらそれほど苦しむこと無く順応できました。

 

 減量目的では無いですし、むしろ一食で一日に必要なカロリーを摂取する必要があるので夕食は一生懸命食べています。

 中国ではかつてラマダン中のイスラム教徒を指して「大食(タージー)」と形容したようですけど今の僕は実質ラマダンを年中継続している状態と言うと近いかもしれません。まあ、お休みの日は日が沈む前に前倒しで食べたりしますけど。

 

 直接の切っ掛けは時間の捻出だったわけですけど、踏み切れたのはある程度理論的な裏付けがあったからです。

 僕の5年前の減量を支えてくれたパレオダイエットは「人間は遺伝子レベルでは狩猟採集時代に最適化されたままなので、可能な限り当時の食生活を再現しよう」と言うシンプルなものでした。その理屈で言えば、恐らく当時の特に狩猟に出ることの多かった男性は狩猟中は運動を継続しつつ結構な時間に渡って断食状態にあったはずです。その状態が人間にとって最適かどうかはともかく、人体はその状態もオプションの一つとして想定、対応しているはずです。

 

 「オートファジー」についての研究で大隅良典教授はノーベル賞を受賞しましたが、これは16時間以上の断食時間を条件に細胞内の古いタンパク質を分解して新しい物と入れ替える人体に備わる仕組みだそうです。

 

  僕自身の体について言えば、疲れが溜まると夜中「みぞおち」に痛みが出て一晩眠れないことが年に数回あるのです。位置的には胃か食道のようなのですが、翌朝病院で観てもらっても明確な診断がついたことがありません。直接的にこの症状にプチ断食が効くのかどうかは不明で、事実プチ断食を始めてからも一回はこの症状が出ているのですが、恐らくやらないよりはやった方が内臓への負担は軽くなるだろうと思っています。

 

 

 そんなわけでスタート時点では迷いは無かったのですが、継続するにつれて人と違うことをする社会的な抵抗感を感じることはありました。一般的に3食しっかり食べるのは体に良いこととされていますし、なにより僕自身の「成功した減量」も3食しっかり食べるスタイルでした。

 

 何事もなく廻っているうちはそうでもないのですが、体調を崩したり体重が上がり始めたりしたときはもしや「一日一食」が原因では?と思うことはありました。

 


 それでもほぼ途切れることなく続けているのは「快適」だからだったりします。

 昼前に空腹に襲われることも、昼過ぎの眠気に襲われることもなく、一日の中で血糖値の上下動を自覚するタイミングが調理開始から夕食を食べるまでの時間にほぼ限定され、お昼前後に限らず一旦小休止が入らずにそのまま集中を維持出来るので終業時間中の集中力がほぼ途切れなく続く感じです(仕事中の集中に関してはADHDとしてのテーマなので1時間に5分程度敢えて体を動かして気分転換したり、仕事が忙しくなっても朝の出勤時間は早めても帰る時間は定時に固定する等の「その他の工夫」も作用としていると思いますが。)。


 食事無しで6時間程度の登山をこなしたりできるようになりましたし(もちろん非常食は持っていきますけど)、お腹へのダメージを考慮して最近は食前(断食の最終段階)に走るようになりましたがそれでも走っている最中にエネルギー切れすることもありません。外出中などお昼をスキップして活動できるようになって時間を有効活用できている感覚もあります。

 

 感覚としては少し減量が成功したときに近いかもしれません。自分の中のリザーブタンクの容量が拡張して自分の行動範囲が広がった分より自由になれた感覚、ですかね。

 

 

 ただ、この習慣がベストかと言われるとその点は自信がありません。恐らく個人差が大きい気がしますし、やってみたらそれほど苦労なく出来たのは自分の体質に合っていたと言うことだと思います。導入で苦労する人がその後馴致できる保証もありませんし、慣れないまま失敗を繰り返して嫌々やっているようではそもそも「自由」からはほど遠いですからね。


 そして向いているからと言って、自分はずっとこれを続けるのかな?と思うとそう言い切れる自信もありません。

 今の生活のリズムにはこれが合っているとは思いますけど、例えば時間を自由に使える立場になったらこれを続けるのは逆に苦しいだろうなと思います。

 

 もしかすると人間が一日三食食べるようになったのは暇つぶしや、単に楽しいから、なのかもしれないですね。旅先でお昼や間食に時間を取られないことを今の僕は「自由」だと感じていますけど、その状態を「寂しい」とか「詰まらない」と表現する人は多いだろうなと思います。そちらの方が多分多数派でしょうね。

 

 本当に全ての「拘り」や「恐怖」から解放されて理性で全てを制御出来るようになったなら一日一食にこだわること無く、もう一段自由に生きることが出来るようになるのかもしれないな、なんて思ったりもします。

 

 今はまだ「その変化」のタイミングでは無いようですが、変え時かな?と思えたときには恐れずに変われたら良いなと思ったりします。