平匡さんになれなかった私が改めて小賢しさについて考えてみたはなし。

小賢しさってなんでしょう。


漫画版平匡さん曰く


「小賢しい?

それって相手を馬鹿にする言葉ですよね」


ドラマ版平匡さん曰く

「小賢しいって相手を下に見て言う言葉でしょ」


言葉の選び方の問題で、多分どちらも言いたいことは変わらないと思うんですが、僕はドラマ版の方に軍配を上げたいと思います。

 


と、エラソーなことを言っておいてなんてすが、実は「逃げ恥」に出会うまでこの言葉の意味を深く考えたこと、無かったんです。


使われてるイメージはチンピラの捨て台詞とか、時代劇の敵役が主人公に言う台詞とか、つまりちょっと芝居がかった大時代的な死語で、しかもビジュアル的に言えば言われてる側は非の打ち所がないイケメンだったりするんで、どこをクサして言ってるのか良くわからなかったりするんですよ。


下手すると悔し紛れにしか思えない場合もあるんで。

 

 

まあ、その直感もあなかち間違いでもなく、身分とか職階とか、あるいは「のび太のくせに云々」みたいな、とにかく自分より下にいるべき人が「生意気」なことを示す言葉で、そういう意味ではみくりさんの元彼さんは年上って言っても一つだし、やはり交際相手の女性が自分から見て目下に思える人だったのかなって思います。

 

言葉の流れ、響きで言えば漫画版の方が自然な気もするのですが、ドラマ版に軍配をあげたのは「下」と言う言葉を少し不自然かもしれないけど敢えて使ったところです。


小賢しい人は「わきまえていない」点では馬鹿なのかもしれませんが、頭は多分悪くないんです。その立場にある人が本当に馬鹿なことを言ったら、単純に「馬鹿かお前は」でわざわざ「小賢しい」なんて言われない。


ヒエラルキーをわきまえない「革命家」だからこそ与えられる、ある意味称号なのです。

 


考えてみると、みくりさんが平匡さんを選んだのは実は必然だったような気もします。


平匡さんは、みくりさんの無茶ぶりとも言える、言ってみただけのアイデア、投げっぱなしの言葉を全て「お題」と捉えて肉付けして魂を吹き込んでいきました。


それは彼女が他人だった時から既にそうだったのです。


子どもじみた、常識外れの、それこそ「小賢しい」どころか「馬鹿じゃない」で済まされていたことを全部真剣に受け止めてくれたら。


解決してくれなくても、聞いてもらえただけでもみくりさんは惚れてたかもしれません。

 

 

私はずっと自分を平匡さんに置き換えてあのストーリーを見てきましたが、そう考えてみると、むしろみくりさんに近い存在なのかもしれません。


そう考えればドラマの公衆面前のハグも、漫画の「平匡さん、どんな王子様だよ」も、むしろ控えめ過ぎる表現に思えてきます。

 


誰かが自分のことを分かろうとしてくれている。


批判じゃなくて、応援でもなくて、一番面倒くさくて、今まで誰も、親や仲良しの百合ちゃんにも期待さえしていなかったことをしてくれたら。


泣きますよ。子どもみたいに。私だったら。

 

 

私は平匡さんになれなかったんじゃないんです。


平匡さんを見つけられなかったんです。


でも、それは彼女が悪いんじゃないんです。


彼女はもう一人のみくりさんだった。


彼女が僕の平匡さんじゃなかったように、私も彼女の平匡さんじゃなかったんです。

 

 

改めて彼女には感謝です。


やってみなければ気付けなかった。


私はこれから自分の平匡さんを探します。


ゆっくり、気長に。


見つからなくても仕方無いかなって思うんですけど、考えてみれば「自分専用」ではないけど、私にはもう、沢山の平匡さんがいるのかもしれません。

 

今、この文章を読んで下さっているあなたも、もしかするとその一人かもしれませんよ。


そこ、逃げないように!