モンスター同僚を解析しようとしたら自分がみつかったはなし。

職場にTさんという人がいます。

 

かつて地元TV局で技術部門で部長職を務めていたらしいのですが、適応障害とか不安障害とかそんなようなことで退職され、その後うちの職場に臨時職員として採用されました。

 

会ったときから苦手なタイプではありました。自分のことを話し始めると何時間でも延々と話し続けるところとか。



ただ、「特殊な経歴」のわりには自分の立場を受け入れようと努力されているんだなと思えましたし、妙な前向きさがあってその人と同じタイミングでほぼ左遷されるような形で今の職場に赴任してきた自分の立場と重なる部分もあったので、仕事の話しであればちゃんと向き合って聞くようにしていたのです。

 

最初のうちは、違う立場の人の話を聞く新鮮さもあって、現実的で無い部分も「こちらの事情」を理解してもらえればそのうちアジャストしてくれるかもしれないとの期待もありました。その前向きさがいつかは活かせたら良いな、ぐらいのつもりです。

 

ですが働きかけのわりに動かない現実に苛立ちが募ってきたのか、Tさんの発言は現状を否定する攻撃的なものに変化し始めます。口を開けば「民間では」から始まる職場批判。次第に職場内クレーマーとして扱われるように。

 

内容が妥当な批判であればそれも致し方ないのですが、半年経っても1年経っても宙に浮いたような現実を見ない提案は続き、聞いている側には「昨日今日から働き始めたわけでもないのに、この人は一体何を見て学んできたのか?」という違和感が生じ、TさんはTさんで「受け入れるのが当然で現実にならないのは他の職員がサボタージュしているから」と言わんばかりでした。



協力する部分はあっても基本違うポジションなので、多少合わないところがあってもお互いを認め合えれば問題はなかったのですが、これではそういう訳にもいかなくなってきます。



もう四年以上前になりますが、未だに最初の「衝突」のことはよく覚えています。

 

ある冬の日、LPガスが凍結して施設の暖房が入らなくなる、という事件が起きました。

私は当日お休みを頂いていたので現場を見ることはなかったのですが、いつものように業務が始まるずっと前の早朝に出勤したTさんは事態に気付くとガスの供給業者を呼びつけ復旧に当たっていたそうです。

 

ここまでの話しなら早朝に出勤して事態を把握し、全力で復旧に当たったTさんは職務熱心だったという評価で目出度く終わっていたと思います。



その後、業者を交えて善後策を協議していたときのこと。

 

業者から原因はガスの残容量が少なかったことと言う推測が報告されます。

 

実は当時の業者の担当者が慌てて機材を強制終了してしまったため正確なログが残っていなかったらしいのですが、単純にガスの残容量が大きければ凍結に要するエネルギーが大きくなるわけで、同じ施設で過去数十年単位で初めての事故だったことからもそもそも簡単に凍ってしまうほど残容量が少なくなっていたことに気付かなかった業者担当者のミスではないかとも疑ったりしたのですが、逆に言えばそうならないように気をつければ回避できた事故だったという「報告結果」は納得のいくものでした。

 

安全を考えて通常より多めに残量をキープする案が出され、それで良いんじゃ無い?と言う空気が流れ始めたのは開始30分ぐらいの時のことだったでしょうか。

 

その空気を一掃するかのように颯爽とTさんから我々施設側の人間にもサプライズな提案がプレゼンされたのです。

 

それは

「ガスの供給が止まったことを知らせるパトランプを事務室に設置する」

と言うものでした。

 

前職では無線技術者だったTさんは、ガスバルクと事務室を無線で結ぶそのアイデアを自ら設計し、業者に見積までとって会議に臨んでいたのです。



一見してツッコミどころ満載です。

 

運用の改善だけで回避できるように思える事態に対処するために数万円のこととは言え経費を使うのか?

 

そもそも凍結したことはパトランプで知らせなくてもガスバルクの制御機器を見れば判ることです。

 

凍結する可能性のあるのは最低気温を記録する早朝の可能性が高く、始業時間30分前ぐらいからしか人のいない事務室内にパトランプをおいていてもあまり意味があるとは思えません。

 

そもそも病院や老健施設ならいざしらず、うちの施設では暖房が止まっても人の命に関わる事態には繋がりません。

 

もうこの時点で「必要ないじゃん」の一言で終わる話です。



ところがそこからTさんの必死の抵抗は3時間余りに及んだのです。

 

正直に言うと、もう四年前の話しになりますし、当時の重苦しい空気はよく覚えているのですが、なぜあんなに会議が長引いたのか、その理由は冷静になって考えると「どうしてだろう」と不思議に思うばかりです。

 

理屈に合わないことであっても大の大人が一人必死に抵抗し続けていると出席者が段々「ほだされて」きます。正直「面倒くさい」と思っていた人もいたのかもしれません。特に職場側の出席者は「技術的なことはわからない」と地頭で考えることを放棄しているような人もいたのかもしれません。五月蠅いTさんの機嫌を損ねるくらいならそのぐらい払ってやれよ、と言う空気も流れ始めます。

 

私も若かったと言うか、変な空気に呑まれていたのかもしれません。必要か、必要ではないかの二点で議論すれば良かったのですが、なぜか一人反対の論を張る私と推進派のTさんの議論の焦点は「その案が安全か否か」になっていました。

 

正直に言えば、私も次第に面倒くさくなっていたのです。当時はまだTさんの「前向きさ」にほだされていたこともありました。最後にこの点さえ確認できればと根負けして出した設問がコレです。

 

「ガスの保安機器は法定で仕様がガチガチに固まっている代物です。そしてうちの施設はなにより安全第一で運用しなければならない施設です。

Tさんのアイデアは『画期的』だと思うんですけど、この誰も思いつかなかったか、少なくとも思いついても実装しなかったと思われるアイデアが絶対安全なものであると責任持って言えますか?」

 

単純に基盤から信号を拾って無線で飛ばすだけの代物です。

わざわざ提案してきたからには少なくとも実装に自信はあるのでしょう。

それこそ、面倒くさくなっていた私は「私が責任持ちます」とTさんが言えば「前向きに検討する」という結論に同意するつもりでした。

 

実際のところ、仮にここでTさんが持ちますと言ったところで業務構造上Tさんに責任を負わせることなんて出来ないんですけど、そこはあくまで道義上であっても筋を通したかった、程度の話しなんですけどね。

 

ところが、私がこの設問を持ち出したのは会議開始1時間程のこと、つまりそこから会議は2時間続いたのです。



Tさんは「私が責任を持ちます」と言う代わりにいかにこのアイデアが素晴らしいか、納得しない私がいかに不見識か不真面目であるか、と言う「すり替え」を手を変え品を変え繰り出し続けました。

 

イヤイヤ、そうじゃなくて、安全性に責任持てますか?とその度に私が議論を元に戻す、という「千日手」が続きます。

 

その挙げ句に根負けしたTさんが言ったことは

「リスクを恐れていたら進歩はないじゃないですか!」

というものでした。

 

私が思わず

「Tさん、うちは安全性第一って何度も言いましたよね!?」

と席を立って発言したところ、

 

Tさんは赤鬼のような形相で適応障害の罹患経験がある自分に対して怒鳴るとは配慮が足りないと喚きながら席を蹴り倒して会議室を退出したのでした。



私の目が覚めた瞬間でした。



冷静に考えてみると、そもそもTさんは臨時職員で権限もないですがそれに伴い責任もとらなくて良い立場でした。Tさんに自覚があったかどうかはともなく、実情としてはそうです。

 

そして、この時がそうだったように、Tさんの「前向きな提案」は自分の業務ではない、他部署の業務に関することばかりだったのです。



ああ、この人は手柄は欲しいけど責任は取りたくない人なんだな、と言う冷静に考えてみれば半年前には気付いていもおかしくないことに、やっとその時気付けたのです。

 

人を評価するって難しいことだなと改めて思った瞬間です。



Tさんの立場は、そもそも「成果」を問われるようなものではありません。仕事の内容は施設の小修繕や維持管理業務の一部です。ガスの凍結のような事故がなければ普段の仕事量もそれほど多くなく、一日6時間程度の勤務時間中2~3時間は「休憩」していてもおとがめがあるわけでもない、ある意味「気楽さ」と言う点では理想的なポジションです。

 

ガス凍結にしても、実のところ私の対処すべきことで、考えてみればTさんがまずすべきことは私か私の上司に連絡することでした。

 

だからこそ、Tさんの「前向きさ」は際だって光って見えたのですが。



逆に言えば、Tさんがいくら頑張ってもボーナスが出るわけでも無く、昇格や昇給があるわけでもありません。臨時職員なので年に一回「契約更新」のようなものがありますが、よほど職場内でハブられでもしないかぎりは5年は更新されるのが通例でした。そう考えると、Tさんはなんら得るものが無いのにわざわざ自分で自分の立場を危うくしていたのです。



その後もTさんの「暴走」は続きます。

 

そもそもTさんがこうなってしまったのは一つには当時の上司が施設管理の経験が全く無く、分野はともかく「技術者である」という理由でTさんに変に頼ってしまったこともあるようですが、この上司は労務管理と称してTさんに控え室に呼び出されて2~3時間雪隠詰めに合うようなことを繰り返した挙げ句、二年目の二月には病気休暇に入ってしまいました。

 

その上司の病気休暇の責任を問われることを恐れたのか、Tさんはその職場全体で乗り切らなければいけない非常事態の最中に上司の上司である施設長が自分の労務管理を適切に行っていないと本部に直談判の電話を掛けたのです。

 

首尾良く?その年も契約更新を勝ち取ったTさんはその手段が有効であると判断したらしく、その後もなにか自分が不安に思うことがあると本部に2~3時間の電話をするようになりました。

 

実際のところ、内部通報でもハラスメント報告でも無い非正規ルートの「告発」は「なんだか判らないけど厄介なオッサンがいる」程度に扱われ、内容も真剣に検討するに値しないものだったのかそれでなにが変わるでも無く、本部からも同情と同時に「お前らなんとかしろよ」という空気を伴った「連絡」があるだけで、むしろTさんの立場がどんどん悪くなるばかりなのですが。



正直、ADHDとして仕事の精度に自信の無かった私はTさんに出会うまで自分もいつかクビになるかもしれないと言う恐怖感から逃れられないで居たのですが、Tさんの有様をみて、犯罪でも犯さない限り大丈夫なのかもしれないと変に安堵し、同時に自分の職場のあまりの事なかれ主義にガッカリもしたぐらいです。



それでTさんがハブられていたかと言えば、そんなことは全然無くて、なにか気に入らないことがある度に職階上は目上である直接で無いにしても上司にあたる人達を子どもを叱りつけるかのように怒鳴りつけたりしても、いじめられることも無視されることも無く今でも元気に働いています。

施設は教育を目的としていますので、Tさんは庇護すべき可哀想な人として暖かい目で見守られているのかもしれません。




一言で言えば、Tさんのやっていることはマッチポンプです。

 

消防団員が自ら放火して真っ先に現場に駆けつけたあの事件ほど深刻ではありませんが、根本的にはヒーロー願望を充足させるための行動で、元を辿れば自己愛性パーソナリティ障害から来ているんだろうな、と思います。



と、ここまで書いてきて自己愛性パーソナリティ障害と言う言葉についてなんとなくしか理解していなかったことに気づき、ググってみたところあることに気付きました。




今はともかく、彼と出会った頃の自分に当てはまるような気がします。

 

例えば、自分自身のイメージを守るために引き籠もったり、結果を見る(自分への評価を確定する)ことを恐れてなにも出来なくなったり。

 

恥をかくことを恐れ、他人の行為、言動を過敏に(時に無理矢理)自分への攻撃に結びつけたり。

 

他人に過度に厳しい評価をしがちだったり。

 

随分歪んではいますが、「自分が特殊な人間である」という観念はいまでも健在です。

 

そうなってしまった要因面から言えば、人より優れていると思えるような要素は少なかったのですが、成績のわりに地頭は良いだろうと言う思い込みは子どもの頃からありました。今にして思えば、母の影響です。母は常に「頭の良さ」を人の評価基準にしている人でした。

 

恐らく母が父を選んだのは知性が決め手だったことは間違いありませんし、その後父が不必要に苦労を重ねて大学教授になったのも、恐らく母の願望を叶えるためでしょう。

 

父と違い、私は世間的に神童とか天才と言われるような子どもではありませんでしたが、母からは常に弟と比較して「頭が良い」と評価されてきました。母親の評価など、狭い世界の出来事ですが、母親が日常の中でそう言い続けているという状況はそれなりに影響はあったと思います。逆に広い世界に出てみればあらゆる面で及びも付かないほど私より頭のいい友人は掃いて捨てるほどいました。

「可能性としての頭の良さ」と言う微妙すぎる母からの評価軸を守るために私は外での競争を避けていたのかもしれません。

 

禁じ得ないささやかな優越感とともに、弟への申し訳なさと、「地頭の良さ」と言う努力ではどうにもならない部分で人を評価することを隠そうともしない母に対する違和感はその後の自分の人格形成に大きく影響したと思います。

 

自分で勝ち得たわけではないその評価が「歪んだ自己愛」の根源だったことは、ある意味救いだったかもしれません。それはすがるにはあまりにも違和感のある、居心地の悪いものでしたから。



今でも私の自己愛は人より多めだと思います。

 

Tさんと私を分けているのは、恐らくTさんが自分自身を受け入れられずに苦しんでいるのに対して、私は自分で居ることに幸せを感じられるようになったことでしょう。



この5年間で二人を分けたものはなんだったのか。Tさんの私生活は私の関知するところでは無いので、私の事情だけで考えてみます。

 

一つはADHDの診断を受けたことでしょう。

 

ADHDは「自分が間違える人間である」ことの免罪符になりました。

間違えても、ADHDからしょうがないと言う訳です。

 

今の私は「どんな人間であっても人間であるというだけの理由で必ず間違えを犯す」という言葉を科学的な事実として受け入れていますが、その手前としてADHDは補助輪の役割を果たしてくれました。

 

 

認知行動療法を受けることになったこともADHD診断のくれた贈り物でした。

 

現実の自分を受け入れて、理性的に自分の「欠陥」に向き合うことで私の生き辛さは急速に消えていきました。

 

ただ、生きやすくなったことは自己愛という面では逆に働く可能性のあることです。

 

実際、私はブレークスルーの度に自尊心が肥大化して暴走する傾向にあります。最近では母の死や失恋といった経験でさえ、乗り越えたと思った開放感から自尊心の暴走を招いてしまったぐらいです。

 

あくまで可能性の話しなんですけど、Tさんの存在はまるで思春期のように不安定だったこの5年間の自分にとって荒れ狂う嵐の港に停泊する船にとっての碇のような存在だったかもしれません。

 

色々と違うところはあっても、最初にTさんの前向きさに惹かれたのも、その後裏切られたと感じて以来ムキになって言い争ったのも、どこかTさんに自分と似たところがあることを感じ取っていた、いわば同属嫌悪だったかもしれません。

 

幸運だったのは、自分に「書いて考える」癖があったことでしょう。

 

Tさんのことも、まともにWebに投稿するに至ったのは数回としても、何度も書いては消しを繰り返していてGoogleDriveやEvernoteに痕跡が残っています。

 

何事もサラッと流すことが出来ない私はトレーニングしている最中も、走っている間も、繰り返し何度も印象に残った出来事を脳内再生して検証してしまいます。

 

その最後の吐き出し口として、書くことは自分に取ってセラピーでもあったのです。



結論がどこに向かうか決めずに書き始め、気に入らなければ全削除してまた一から書き直すことも珍しくありません。

 

人に読んでもらうつもりで書いていますから、読み返してみて自覚できるほど独りよがりなところは直す、なんてこともしていたりします。

 

Tさんへの恨み辛みを書いているつもりが、いつのまにか自分との共通点を見つけては落ち込むと言うことを何度繰り返したことか。



それこそ、自意識過剰なんです。

 

Tさんのことを書いていても結局自分の話になってしまうのですから。

 

でも、それで良かったんだと思います。

 

この5年間で、私はTさん的なものから遠ざかることが出来たと思っています。

今日の改めての「気付き」に5年前の自分なら耐えられなかったかもしれません。

今は違います。

 

自分を好きになったという点では5年前とは比べものになりません。

でも、それでTさんに近づいてしまったと自己嫌悪することはありません。

 

私はTさんを始めとする、いろんな出会いや、良いことも悪いことも自分に起こった全ての出来事を幸運にも「利用する」ことができたと思っています。

 

もちろん、自分一人で出来ることではありません。Tさんにも感謝です。

 だからと言って仲良くしようとは思わないんですけどね。