彼女と別れたはなし。

随分ご無沙汰してしまいました。

 

再会のご挨拶代わりとしてはいきなりヘビーですが、先日彼女と言って良いのか、まあ、相手がどう思っていたかはともかく、僕は好きだった人と別れました。だった、と言うか今でも好きです。まだ一週間経ってません。

 

母親を亡くしてまだ一月経ってないですし、オンラインだけではないリアルな彼女という意味では50年近く生きてきて初めてと言って良い存在だったので、かなりの衝撃ではありましたが、割と早いタイミングでこの変化を前向きに受け入れることができたと思います。

 

強がりも半分ですが、貴重な経験を書き下してみることで新たな発見もあるかもしれないと期待して、書いてみます。



突然に、と言う言葉が僕の偽らざる印象なのですが、僕がアレ?と思ったのは6月最後の金曜日のこと、この文章を書き始めたのは7月3日の夜なので、転がり始めてから僅か一週間足らず。まさに急転直下と言って良いでしょう

 

僕とは県境を跨いだ先、名古屋在住の彼女とは母親の状況やコロナの影響もあってこの半年はほとんどリアルに会えておらず、それでもラインで連絡を取り、母が亡くなってから週2、3回の彼女とのカメラを通した会話に随分支えられたと思います。

 

と言う訳でその「変化」もオンライン上のこと、と言うのが実に僕らしいと言うか。生身の人と付き合う体験は出来ても別れはリアルじゃなかったわけです。



敢えて予兆と言える出来事を探せば、会ってから2ヶ月ぐらいのことだったでしょうか。まだリアルに会えていた頃、とあるサプリを薦められ僕のスマホを彼女が操作して「お薦めの商品」を購入したことがありまして。

 

普段は人のスマホを操作するような人ではなかったので、自分が買うつもりもなかった商品までロクに確認も取らずにカートに入れる彼女に唖然としたことがあったのですが、「もう無くなったの?」と聞かれた時に「同じ成分の海外製品買うことにした」と言う可愛げのない塩対応をしてもそれ以上薦められることはなかったのですっかり「気のせいだったのかな」と思っていました。嘘です。事実と認めたくなくて、忘れたふりしていました。

 

あれ以来用心していたのですが、ふとしたことでウッカリ自分からサプリメントの話題を振ってしまったのが今にして思えば「再発」の切っ掛けだったのでしょうか。



文脈としては、オンライン通話の中でポロッと漏れたコロナの影響で収入が不安定になっているはずの彼女が月20万以上サプリに使っていると言う話しからでした。

 

肉体改造の過程では試せることは全て試していた僕にもそんな時期はあったので、「僕にもそういう時期はあったけど、今は落ち着いたし、その体験もポジティブに捉えているから心配することないんじゃない?」と言うフォローを、動画通話の後で入れたのですが、確かにサプリに20万と聞いたつもりだったのですが、「サプリ代は1万5千円ぐらいで20万円以上はクレカの請求代合計」と言うリプ。まだ20代で家賃は一年間前払いしているはずなのでそれ抜きで20万円と言うだけでも衝撃なのですが、それに続いてなぜか以前お薦めされたサプリの猛烈なプッシュ。

 

以前のその衝撃の体験の時点で彼女お薦めの△△社がネットワークビジネスの噂のある会社と調べはついていたので、

「特に批判するつもりもないし、~さんの体質に合っているならいいんじゃないかな。でも僕は一度試して買わないって決めたからもうその話はしないでね?」

とさりげなく先制処理。

特に返事はなく、その次のオンライン通話の約束には身構えて臨んだのですが、彼女も敢えてその話題は避けてくれていると判る反応だったので、またやり過ごせた、とすっかり安心していたのです。



結果として最後になったその次の通話の翌日、FaceBookと縁があるとは思えなかった彼女が突然ある人物の名前を挙げてその人のFBをお薦めしてきました。

 

曰く、〇〇さん(僕)みたいになんでも科学的に分析して追求する人なので、きっと好きになると思う、と。

 

まさかそんなベタすぎる展開が自分にも?あんなに慎重に防御壁作っておいたのに、と戸惑いながらもその人物の名前とサプリメーカーを並べて検索したところBINGO。

 

この××さんって△△社の関係者だよね?と聞くと

 

「たしかに△△から××さんのことを知りましたけど、××さんは××さんなので△△社とは別の話としてお薦めしているんです」、とのこと。

 

嵌まっているんだろうな、と言うことは予想していたけど、自分に薦められないよう防壁を崩さないようにしながら話しをしているうちに彼女は違う目標を見つけられるかもしれない、と言う淡い期待がアッサリと裏切られた瞬間でした。

 

半ば諦めながらも、「△△についても××さんについても批判も議論もするつもりはないし、否定するつもりもない。だけど僕は自分が暗示に掛かりやすい人間だと知っているので、噂であってもネットワークビジネスの気配のするところには近づかないようにしている。と言うか、今でも十二分に幸せ過ぎて自分のままで居たいので△△も××さんも僕の人生には必要ないんです。君のことは好きだけど、どうしてもその人と関わらなきゃ付き合えないと言うなら別れるしかない。どっちか選んで。」



と言う究極の防壁を構築。

 

もうこの時点で仮にヨリが戻ったとしても以前と同じ空気で会うことは出来ないし、会えたとしても常に××さんの影を警戒しながらでは意味があるのだろうか?とか、そう言えばクリスマスプレゼントは僕があげただけだし、バレンタインのチョコすらもらっていないよな、あの時は「当日に会えなかったからだな、アハハ」と自分を誤魔化していたけど、そもそもこんな防壁築いたらお別れ決定じゃん、と予想できるぐらいの理性はあったのですが、あそこで自分からブロック出来なかったのは彼女との出会いは間違い無く自分にとってポジティブな経験で、単に好きなだけじゃ無くて感謝していたし、いつかは「恩返し」ができたらなんて思っていたからです。ま、どう書いてもモテない中年男の未練にしか聞こえないと言われたらその通り、あの「未練」に僕がつけた美しい名前なんですと言うしか無い。

 

でも、彼女に感謝していたし、リスクを負っても彼女との未来に賭けたいと言う気持ちはホンモノでした。ま、僕と同じ経験をしたモテない中高年男子は皆そう言うのかもしれないけど、ぼくのだけはピュアなんだってば、なんだってば!



彼女は、腕1本で生計を立てているアーティストみたいなもんで、腕は良いし稼ぎもあるけど、宵越しの金は持たない主義なのかと思うくらい全然貯金がないらしく、ぶっちゃけサプリのことがなくても高コストな交際相手でした。僕はオンラインゲームやらサプリやら、なにかに嵌まる度に軽自動車一台分ぐらいの「授業料」を支払ってきましたが、だいたい3~5年で軽自動車一台でして、彼女とのお付き合いは一年未満でそのぐらいいったでしょうか。

 

バレンタインの件でも判るとおり、彼女に取っては割り切った関係でしたが、高コストとは言っても僕の安月給からすれば、と言うだけで充分コストに見合う人でした。皮肉でも何でもなく、今この時点でもまだ心の底からそう思っています。そこ、まだマインドコントロール解けてないとか言わない。



安易にデレない人で、それはバレンタインの一件からも一目瞭然なんですけど、例えはどうかと思うけど、2月になればアルバイトのキャバクラ嬢だって自腹でチロルチョコ買って渡すぐらいのことはしてくれるじゃないですか。営業として。シランケド

 

そう言うことは絶対にしない人でした。

 

生身で会っていたときもまったくお世辞の無い人で、さすがにそれなりに鍛えていたので「良い体ですね」的なことは言われましたが、死んだ母にも見舞客に吹聴されて閉口することがあったぐらい実際彼女と出会った当時の僕の体は仕上がっていたんですよ。自惚れかもしれないけど、初めて披露した時の反応はリアルに驚いた表情で、実際そう思ったんだろうな、と受け止められる反応でした。シツコイですが、コロナ騒ぎやら葬儀や相続やらでトレーニング出来なくなってから三ヶ月ぐらいですが、未だにうっすらと腹が割れているぐらいですし。

 

ちなみに「良い体」評は実際に良いところまでで、そこは嘘でも褒めて欲しいところについては実に率直な評価をされました。正直、最初から自信は無かったものの、鍛えればなんとかなる場所でもないだけにシュンとなったことは言うまでもありません。って言うか、体鍛えた副産物でお腹のお肉に埋もれていたことのことを思えば充分だと思っていた当時の私としてはそこまでダメなのかtと打ちひしがれるぐらい厳しい評価をいただきましたorz

 

まあ、評価軸は人それぞれなので、きっと彼女の基準がとても高かったんだと自分を慰め、、、慰められんわ、そんなことで!



なんどか「ご休憩」もしたのですが、滅茶苦茶採点が辛くて、少しは「演技」してくれてもと泣きを入れそうになったこともあったりしました。

 

実は最初にそういうことになる前に「下手くそなのは自覚ありますし、嘘はつかれたくないのでお願いですから演技はしないでください」とお願いしていたので僕には特別にそうしてくれていたのかもしれませんが、そうだとしても少しは空気読んでくれてもいいのにと思えるほどそんな「無茶なお願い」に誠実に答えてくれる、真面目な人でした。

 

まあ、50歳を前にしても童貞同然の拗らせている僕が演技が追い付かないほど下手だったのも事実でしょうけど。



ただ、それでも、一緒に居てつまらなさそうな素振りを見せたことがありませんでした。

 

僕も出来ないなりに頑張って雰囲気作りしたり、話題を用意したりはしましたが、それでなんとか出来るならこんなに拗らせてはいません。

 

それも彼女の真面目さのあらわれだったんだと思います。

 

常に目の前にいる相手に真剣。



僕は、少しは好きになってくれないかな、と願って出来ることは片っ端からやっていきましたが、途中親のことやコロナのことでリアルに会えなくなって正直僕自身が息切れしかけた面もあったのか、そのままのペースで続けてもそのままだったのか、結局最後までその感触は掴めませんでした。馴染んできている感じは確実にあったんですけど、それがデレにはとても見えなかったんですよね。隣で働いている同僚に対する親愛の情の方が近いかもと思っちゃうぐらい。めげて友達テンションにならなかった自分、今考えると良くがんばった。必要あったかどうかはともかくとして。

 

「人にうっとうしがられる程の真面目さ」と言う共通点があったこともあって、僕は彼女に惚れる、と言うより彼女をなんとかしてあげたいと言う親心のようなものを抱くようになっていたのかもしれませんね。

 

余計なお世話ですよね。僕ならそんなことを思われてると感じた瞬間に速攻その人を避けます。最後のあの仕打ちはそんな僕に対する復讐だったのかななんて想像したりもしましたが、それもまた僕の妄想です。そう、彼女に関することは物理的に僕が目撃した事実以外は全て僕の妄想です。当たり前ですけど。



閑話休題

 

僕の話ですが、これまでの数少ない恋愛っぽい経験では、別れの時はいつも未練たらたらでした。

 

体験を重ねたと言う意味ではリアルに初めてだった人で、何度もプロポーズっぽいことをした人にも関わらず、「好きだけどしょうがい」と切り替えられ、かなり手前で別れを覚悟の鉄壁の防御を構築できたのは、「僕はこの人のことを好きだけど、この人は僕のことを、少なくとも僕と同程度には好きではいてくれていない」と言う確信があったからです。



以前、「ご休憩」の最中にいつも必要以上にポジティブな彼女が珍しく自分の悩み的な話しをしたことがあるのをよく覚えています。

 

「私にはフェロモンがない。峰不二子みたいになりたい」

 

可愛い子なんです。僕の好みもあるのでアレですが、ルックス的にはほとんど非の打ち所がない。身長が無いのでモデル体型とは言えませんけど、そこも寸足らずな僕にはジャストミートでした。でもお約束で「そんなことないよ」と言った僕は実は心の中で(そうだね)と思っていましたし、彼女が思い至っていないらしいその理由も知っていました。悪用されたら嫌なので教えませんでしたけど。

 

男は自分を好きになってくれない女性には本当の意味での未練は感じられないものなのです。少なくともそう錯覚させてくれるナニカが、必要なんです。僕なんかチョロイんで、ちょこっとでもあれば充分なんですけどね。

 

一方的ではあっても今まで生きてきた中で物理的には一番深く関わった女性である彼女からの絶妙なタイミングの攻撃に比較的冷静に対処できたのは、僕が成長できたから、とか歳を取ったからと言うより、彼女のその誠実さ、生真面目さに「助けられた」からだと思います。

 

もし、ここを我慢すれば、僕が折れれば、あの一瞬垣間見えた彼女との未来が見られるかもしれない、と本気で信じてしまっていたら、僕はその手を思いついても送信はできなかったかもしれない。



そして、そんな不器用さも、僕が彼女のことを本当に好きな理由の一つです。

 

嘘がつけない人。

 

例え「敵」であったとしても、こんなに信じられる人、いますか?

 

ちなみに僕が一番つかれて嫌な嘘は「お世辞」です。

 

彼女と過ごす時間は、本当に心地よかった。




話しを戻します。もうどうしようもないような最初から「詰んでいる」状態が2、3日続きました。素直で、生真面目で、前向きで、「そんなこと」には全然向いてないように思える彼女は、正直何か発言する度にツッコミどころ満載で、沈静化するまで放置しようかと思っていた僕のツッコミ癖を刺激してきます。

 

無関心よりは憎悪を引き出すのもマインドコントロールの手口ですし、そもそも僕に無視されては彼女の××氏と僕を引き合わそうと言う決死の試みは成就しないわけですから、もしかしたらこのツッコミ処すら罠かもしれないと疑心暗鬼になりかけたころ、徹底して最初に築いた防壁を崩さずに隙間から礼儀正しく、でも全く容赦なく有効打を繰り出す僕についに切れてしまったのか、7月2日の19時頃、彼女はラインを閉じました。




彼女の豹変のトリガーが何だったのか、それこそ僕の妄想です。



ネットで調べたところ、△△社の月のノルマは15万円ぐらいだそうです。



着ているものも贅沢しているように見えず、靴などボロボロになるまで履いていて、デートの集合場所に向かう電車の中から靴が壊れたから瞬間接着剤買ってきてと頼まれたこともある彼女がポロッと漏らした月20万円以上の生活費と、なんとなく符合するような気もします。

 

コロナ騒動で本来の収入が減っているであろうことは間違いありません。サプリの売り上げも減っていたでしょう。

 

15万円の一瞬で節約できる固定費があれば、そこから手をつけるのが当たり前の状況であっても、その選択肢は彼女には無かったのかもしれません。

 

安月給とは言え、僕は彼女にとってはそれなりに「気前の良いスポンサー」だったろうとは思いますが、会えなければ自ずと限界があります。

 

「生真面目」だからこそ、彼女は「マニュアル通り」に行動したのかもしれません。

 

母親を亡くしたタイミングを見計らって、と言う推理を頭から消そうとするのですが可能性としてはあるかな、と思ってしまいます。それもまた、「教科書通り」だったのかもしれませんしね。



××さんも△△社も数あるうちの一つでしかなく、バッチリ保存してある彼女とのログを週刊誌に提供したところで気休めにもなりません。不思議といつもの「戦い癖」が湧いてこないのは、アンガーコントロールが効きすぎているからなのか。それともこれ以上彼女を怒らせたらますます遠くなってしまうとまだどこかでふぬけた妄想に浸っているのか。まあ、色々でしょうね。よくわかりません。

 

それでも彼女との不毛な最後の遣り取りの中で、一つの発見があったことが僕の自分でも予想できなかったあっという間の復活の切っ掛けになってくれました。



ネットワークビジネスはなぜ避けるべき存在なのか、と言うことについてです。

 

僕は、某絵画商法に見事にのせられた体験や幼少期に某福音系新興宗教から半日以上にわたってマインドコントロールを施されたトラウマから、いわゆる「空気」を使って人の心理を操作しようとする試み全般に憎悪の念を抱くようになりました。

 

45歳を過ぎたあたりで自分を変えることが出来たのも、空気を読まずに自分の心地よいと思う行動を選択することで自分の体が自由に動かせるようになることを発見したからで、その体験もまた、マインドコントロールに対するそれまでの直感的な評価が正しかったと確信させるものでした。

 

ネットワークビジネスに対して敏感で、周到な防御の準備を平時からシミュレーションしてきたのは、この自分の来歴によるものです。

 

ですが、マインドコントロール=悪、と言うこの論理構成では絶対にマインドコントロールを受けている人には対処できません。変化の起点が自分であろうが、他人であろうが、結果がポジティブであればそれはポジティブな変化である、という理屈に対するとっかかりがないからです。むしろこんな話しを持ち出したら、なんて俺様な、と思われるのがオチです。



僕が彼女との遣り取りの中で思い至った、「なぜネットワークビジネス的なものは悪なのか」、は、極めて単純です。

 

それは関わることで幸福になる人と不幸になる人の割合です。

 

もちろん、そんなことは最初から分かっている話で、だからあからさまなネズミ講は法的にもアウトなのですが、この二つの比率が同じようなネットワークビジネスが、一見被害者とも言える多くの不幸になる人に支え続けられるているのはなぜなのかと言えば、それは幸不幸が人の主観によって決まるものだからでしょう。

 

経済的に搾取されようが、夢を見続けられ、未来があると信じられるうちは、その人はきっと幸せです。

 

同じ構図はもっと合法的な組織にも、それこそ現代社会の中ではむしろまったくそうでない組織を見つけることは不可能だ、と言う言い切りも可能かもしれません。

 

 

そうです。たどり着いた僕の発見も、やっぱり彼女を救う役には、立たないと思います。



なぜ、僕がその「クソの役にも立たないロジック」で、自分自身を立ち直させることが出来たのか。




僕は今、公共の利益を目的とする組織で働いています。

 

たいした仕事はしていませんが、特定の誰かを幸せにするために搾取されているわけでもなく、誰かから搾取したお金をもらっているわけでもありません。税金に対する評価によってはこの点微妙かもしれませんが、完璧には程遠いとしても民主主義がそうであるように、税金はかなりマシな存在だと思っていますので、その点は斟酌してください。

 

それでも対価と仕事のバランスを取るのは大変なことで、若い頃には自分に給料泥棒=税金泥棒と言うレッテルを貼って苦しんだりもしましたが、今は自分の能力を発揮すればするほど、少なくともその頃抱いていた罪悪感を返済できていると信じることはできるようになりました。

 

数字を上げることで給料を増やせる仕事ではありませんが、自己満足ではありますけど、力を尽くせば尽くすほど自分を好きになれます。

 

こんな素晴らしい仕事に、僕は幸いにも就くことが出来ている、と気付いた瞬間、感謝の気持ちで叫び出したい思いでした。



嘘か誠か、インターネッツ曰く、ネットワークビジネス的なものからは2%程度の「億万長者」が生まれるそうです。

 

僕は2%にも98%にもなりたくないし、そもそも、そんな選択をする必要も無い幸せな人間だったのです。

 

「ごめんよ。僕にはまだ帰れる場所があるんだ。こんなに嬉しいことはない」

 

わかるひとにだけ判ってもらえれば良いのですが、この台詞に共感する日が来るとは、当時小学生になっていなかった自分には想像も出来ませんでした。




僕を立ち直らせてくれた、彼女の贈り物と言うことで言えば、より直接的だったのは皮肉なことに彼女に出会う前の僕がどうしても埋められなかった「性的な劣等感」を埋めてくれたポジティブな性体験も忘れるわけにはいきません。

 

実質半年程度の突貫工事で、とても上手になったと言える自信はありませんし、今のところ彼女以外で試す機会自体がありませんが、一つ一つの逢瀬に充分な時間的余裕をもらえたことで、今までの数少ない、貧しい経験で常に感じていた焦りは消し去ることができました。

 

「焦らなければそれなりにうまくいく」どころか、「焦るから失敗するんじゃない、焦ること自体が失敗なんだ」と言う彼女との体験から得た僕以外の人はみんな知っていたかもしれないようなごく当たり前の真理は、僕に取ってはコペルニクス的転換ですらありました。なにせ、人生全般に応用が効く万能薬だったりしましたし。

 

決して大金星を挙げることはありませんでしたが、それでも嘘をつけない彼女がときおりくれた反応は、こんな僕でも信頼を結んだ誰かと時間を掛ければ、ちゃんと人並みには幸せになれる可能性があるんだ、と信じさせてくれました。

 

願わくば、その相手があの不器用で生真面目なその人であれば、と願う気持ちをササクレだった言葉の遣り取りの生々しい今でも思えることは、彼女との時間が僕にとってどれほどの価値を持つ物だったか思い知らせてくれます。




反面、立ち直りを補助してくれたものには、「ホッとした気持ち」があったことも正直なところです。

 

相当ポジティブになった僕から見ても彼女は危うすぎるほど根拠のないポジティブさに支配されていました。

 

マインドコントロールを憎む自分を自覚するほどに、説教をしてはいけない、彼女には自分で失敗を経験する権利がある、と自分に言い聞かせる毎日でした。

 

女性ですから、と言う言い方をしてはいけない時代なのでしょうけど、それを言うなら彼女が男性であってもやはり心配は尽きなかったかもしれないぐらいには心配させられました。

 

人を見抜くことが出来ると思う方がまちがいだ、エスパーじゃないんだと言う反省も、心配だからこそ、つい分析癖が出てしまっていたのですが、ついぞ見抜くことができなかったのが、彼女の一見前向きで、僕の強烈な説教をモノともしないように見えた自我も、自分で確立したものというより、与えられたモノだったのかもしれないという少し寂しい可能性です。

 

そうです。この推測もまだ、自称エスパーならではですね。



常に自分を試されているように感じる気持ちは、彼女の率直な素っ気なさのお陰か、むしろ今までと比べればうすかったようにも感じるのですが、色々整理できはじめた今日感じたのは「頭が軽い」感覚です。

 

僕の年収ではともて収まらない、彼女の存在を迎えた場合の人生シミュレーションのやり直しは結果として徒労となったわけですが、きづかないうちに相当に負荷になっていたのかもしれません。

 

彼女の人生ビジョンは、なぜか舞台俳優か座長(アマチュア劇団の)とか、環境保護ボランティア、とか、生活を支える原資と言う点では現状より後退したものばかりで、むしろ持ち出し前提のものばかりで、今にして思えばそれはネットワークビジネス界共通のゴールである「経済的独立」とか「アーリーリタイアメント」みたいなものを前提としていたわけですが、僕の妄想では「私が欲しいならそのぐらいは必要でしょ?」と言う言外のプレッシャーのように聞こえたりしたものです。

 

さすがに今更僕が富豪になる可能性よりはこれからの人生に時間がある自分が大穴を当てる確率の方が高いだろうと思っての発言だったとすれば、やはりその夢には僕を充てにする気持ちは微塵もなかったわけで、まったくの濡れ衣だったうえに妄想する根拠すら薄かった自分乙としかいいようがないですね。それもまた推測ですけど。

 

彼女への心配も、無理な人生設計の軌道修正も、結果として見れば僕の独り相撲です。

 

なぜ、もっと踏み込んで話しておかなかったのか。



その結果、僕の好きな彼女の中にネットワークビジネスが人格の大切な部分を支えていることを見つけることになったとき、僕はどうしただろうか。



年齢差があったこともあって、僕はできるだけ彼女の話を聞くことを心がけていたつもりでした。



その僕がネットワークビジネスの影をチラつかせた瞬間に鉄壁の防御を築いたのです。

 

あの壁を見て、なお支離滅裂なメッセージを僕に送り続けた彼女は、いったいなにを望んでいたのか。

 

僕にあったのは、微々たるものではあっても金蔓としての価値を持つ僕を、全部を共有できる相手としては無理でもライフラインの一つとして持ち続けてくれるかもしれない、という「計算」でした。

 

今にして思えば、この自分の老獪な打算には吐き気を催します。



最後になったオンラインの会話は、当たり障りのない話題で口早に時間を埋めるだけのものになりました。僕も彼女も、ある話題が登らないように、そのことだけに集中していたような気がします。

 

彼女は試みてくれたのかもしれません。僕を失わないように、最大限尊重できるように。

 

でも、その結果、彼女は自分の一番大切にしているものを僕と共有することが出来なくなってしまった。



僕がすべきことは、どちらかを選ぶことだったのかもしれません。

 

彼女に会うことを僕の決断で諦めるか、それとも彼女の全てを受け入れるか(もちろんネットワークビジネスの攻撃を避けつつにはなりますが)



少なくとも、関係の維持を望むなら、今は母の喪中でもあるので、遠慮してもらえないだろうかとお願いするぐらいの配慮はするべきだったでしょう。



僕はきっと人より多く失敗してきましたし、その結果学ぶことができた最大の武器は失敗を認めて、受け入れて、そこから学ぶ姿勢だと思っています。



恐怖、と言うのはなかなか克服できるものではありません。

 

自分が自分で無くなってしまうあの恐怖。



実は、親に対する気持ちもこの同じような恐怖に根ざした物だったことに、母の死を通じて思い至りました。

 

正体が見えたと思った瞬間、あれほど怖かった父がとてもちっぽけで可愛い人にみえるようになりました。



ネットワークビジネスについてもそうするべきなのでしょうか。

 

親ではありません。

 

元々社会に必要とされる存在ですらないと思います。



なにより、いまさらネットワークビジネスと向き合ったところで彼女は戻ってきません。



保留にしたいと思います。



僕が向き合いたいのはネットワークビジネスではありませんし。



でも、次、また大切な人が自分の大切な一部がそうであると教えてくれたとき、僕はその人から逃げることはもうしたくないと思います。



彼女とはそもそもなんでもなかったのかもしれません。あったとしても元には戻りません。

 

ただ、同じ地球で生きている限りはいつかなにかは起こるかもしれません。

 

僕は彼女が素敵な人だと知っています。誰よりも、とは言いません。

 

自分がそう思っている、と言うことだけで充分です。



次があれば、本気で彼女と話し合いたいと思います。



ボロボロになって、結局お互い憎しみあって別れるだけかもしれませんけど、

 

今は、まだその方がマシだったかもしれないと思っています。

 

逃げるは恥だが役に立つ」のも人生の真理だと思います。

 

ですが、逃げるべき時とそうで無い時を見極めるのは難しく、一度逃げることを覚えてしまえば、いつも、ついその道を探すようになってしまいます。

 

 

彼女は、最後まで僕と話そうとしてくれました。

 

目的は僕の心では無かったかもしれないですけど、話していれば、少なくともそのことを確認する機会を与えてくれたかもしれません。



恋なんだから、ボロボロになっても良かったんです。

 

そうでもしないと、本当に終わったことには出来ないんですから。




改めて、ネットワークビジネスが憎いです。

 

人の善意を利用して、人の「人の良さ」を欠点に貶めて、誰かの前向きさを飯の種にする。




今回彼女との遣り取りの中で自覚できたように、僕は恵まれた立場にいる、恵まれた人間です。

 

もっと、当たり前に「与えられる」人間にならなければならないと思います。

 

それは誰かにお金をめぐむとか、ただ働きするとか、そう言う自分の満足のための施しでは無くて、社会の中で自分の役割を果たして、一人の人間として当たり前の貢献をすることです。

 

妥協を一つ一つ潰して、課題を一つ一つ解決していけば、ほんの少しでも僕は自分だけで無く社会を前に進めることが出来ます。



そうしようと思います。

 

もしかして、今社会を恨んで、自分は被害者で、頑張りたいけどどう頑張ったら良いのか判らないでいる、そんな「彼女」達のためにも。

 

僕はそうすることに決めました。




親が闘病を始めた辺りから、自分に甘えがありました。

 

きっと、なによりも彼女からの一番大事なプレゼントはそのことを教えてくれたことです。

 

自分の一歩一歩が、どこかで彼女を1mmでも先に進める助けになっていると信じようと思います。



見つけられるかどうかは別として、自分を見つけるためのルートは人それぞれに一つ以上、星の数ほどあります。

 

僕の見つけたルートは相当遠回りでお薦めは出来ません。そもそも彼女のためのものではなくて、役に立たないでしょう。



勇敢で、無鉄砲な、そんな彼女の全ての経験が、いつか彼女を幸せにしますように。

 

そして、願わくばいつか彼女が自分の本当の価値に気付ける日が来ますように。

 

 

僕の一歩一歩がいつかのその日のための礎の一つになることを、「ブラジルの一匹の蝶の羽ばたきがテキサスで竜巻を引き起こすか?」と言う命題のような回りくどさではありますが、ポジティブにそう信じるしかありません。

 

少なくとも、そう伝えられたら、彼女はきっと笑ってくれるでしょうしね。




 

ありがとう。