追いかけ始めて半年ほど、NakamuraEmiと言う人にまつわることをまとめて書いてみた話し

 
ここのところ嵌まっている者が二つ、ライブ観戦と映画鑑賞。
 
中でもライブは去年までは40年以上生きてきて4回だったのが、今年に入ってまだこれからだけどチケットを確保したものを含めて6回とそれまでの回数を既に凌駕しています。
 
填めてくれたのはNakamuraEmiさん。
 
2月3月、上司が病休、同僚は頼りにならず、苦しい状況を乗り切った時期に彼女の歌に出会い、励まされました。
 
忙しさがピークになったぐらいの時期に、半ばやけっぱちで、その当時の状況では行けるかどうかも判らない中、5月の岐阜ライブのチケットを確保したのがその流れのスタートでした。
 
3月にリリースされたニューアルバム「NAUV」のお披露目ツアーだったわけですが、その後7月に同ツアーの千秋楽である名古屋にも行き、飽き足らずに子どもの頃に連れて行かれた明宝フォークジャンボリー以来のフェスとなる中津川ソーラー武道館にも参戦、10月の3日には名古屋でSalyuさんとのタイバンライブ、そして今日はライブと言えるかは微妙だけどZIP-FMのイベント。20日には独りで行くのはどうかとさすがに迷いながらもブルーノート名古屋の会食付きライブも取ってしまいました。
 
5月以降、岐阜と愛知で彼女が参加したイベントはほぼほぼ制覇している嵌まりっぷりです。
 
 
良い歳してなにやってるの、と言う感想をお持ちの方もお見えのことと思います。
 
なんでか、自分なりに分析してみたら、「ギャップ萌え」ってヤツだったような気がします。
 
 
ライブに行く前の僕が彼女のどこに惹かれたかと言えば、「詩」です。「詞」と言った方が正確なのかもしれませんが、彼女の場合は「詩」がしっくり来ます。
 
特に、今から考えてみると、比較的初期に書かれた内省的な詩の世界に惹かれていました。
 
最初の岐阜ライブ後に書いた文章では大変失礼なことに彼女のことを「自分語りの天才」とまで評しています(^_^;)
 
 
昨年、今年にリリースされた2枚のアルバムでも自分語りの歌はありますが、そこだけに留まりません。
 
最近の彼女のライブでヘビーローテされている曲で言うと、彼女の最初のブレークソングである「YAMABIKO」は実際に出会い取材した年齢、性別も様々な「群像」がそれぞれの夢を目指す様を歌っていますし、「スケボーマン」では夢を諦めて一人前の大人を目指す男の心情を歌い、「波を待つのさ」ではプロデューサー氏でありサーファーでもあるカワムラヒロシ氏の世界であるサーファー目線で詩が展開します。「モチベーション」では仕事への向き合い方という、誰しもが突き当たる問題を軽快に「解決」してみせました。
 
「自分語りの天才」として僕から共感を引き出したのは生きるために社会に揉まれながらも自分の道を頑なに歩む姿を描いた「使命」であったり、独りで生きることの気楽さ、喜びを歌いながら寂しさを吐露する「ボブ・ディラン」であったり、どうしようもなく沈んでいく失恋した自分をいっそ客観的に歌い上げた「台風18号」だったり。
 
最近の彼女が自分を歌った曲の代表格は「教室」だと思います。彼女は、かつて狭い世界の中で萎縮していた自分から身をそらさず、それでいて今の自分が獲得した「自由」を誇らしげに掲げたこの曲をライブのMCでは「みんなのために書いた歌」と表現しました。
 
 
ある意味皮肉というか、僕が足を運んだ岐阜以降のライブでは、一番僕を引きつけた歌はもはやその役割を追えていたのです。
 
辛うじて、ツアーの千秋楽と言うことで全国から集結するであろう、忠誠心の厚い古くからのファンを気遣ってか、名古屋では「使命」を謳ってくれたことが、今考えると僕のような「遅れてきた」ファンに取っては「望外なご褒美」だったかもしれません。
 
 
恐らく、かつて自分の中に閉じこもってひたすら自分を見つめることでその才能を磨いてきた彼女は、その自分の内面を臆せず見つめたその目を他人に、社会に向けるようになっていた。その変化は遅くてとも昨年のアルバムからのヒットナンバー、「メジャーデビュー」を書いた時点では起こっていたと思われます。
 
最初に岐阜のライブに行ったとき、勝手に「内省的」な彼女と、そんな彼女を理解する観衆という図式を思い描き、ライブという内省的な人間には過酷な場所に臨む彼女に勝手に同情し、余計な心配をしていた僕は、「盛大な肩すかし」を喰らったわけです。
 
 
それでもまだ、岐阜はプロデューサーカワムラヒロシ氏の地元で、会場には終始温かな「お帰りなさい」的な空気が流れていたので、ホームグラウンドで羽根を伸ばせたのかな?ぐらいの感想を持っていたのです。今考えると、思い込みと言うヤツは怖いもんだなと思うばかりですが。
 
 
さすがに名古屋クラブクワトロでの堂々たるMCぶりを見せつけられて、僕は自分が勘違いしていたことにようよう気がつきます。
 
 
彼女は、既に次のステップに進んでいた。
 
ライブで僕が出会ったのは、自己実現を果たし、気配りと持ち前の歌唱力でライブという場を支配する力量を手に入れたマスターオブセレモニーとして、観客を鼓舞し、翌日からの現実に立ち向かえるだけのエネルギーをお土産に持たせて送り出す彼女の姿でした。
 
 
そのギャップに気がついたときには、僕はもう彼女の起こす「奇跡の瞬間」に魅了されていました。
 
 
確かな力量を持つカワムラヒロシ氏やサポートメンバーにもり立てられ、毎回彼女は僕の予想を、期待を超え続けています。
 
 
フェスやイベントではリハーサルでも「今夜はブギーバック」から始まる名曲メドレーで少しでも彼女の歌声に触れたいと願う「待ち客」の渇きを癒やします。
 
そこには単なるサービスを超えた、かつて自分を見つめる以外のなにも持たなかった(失礼)人間の純粋な「与えることの喜び」すら感じられます。
 
 
自分の技量でギリギリ、謳いこなせるレベルの楽曲の全てが「ミス」なく演じられる訳ではありません。時としてコンディションが整っていないのかな、と心配する場面もあります。
 
不思議なのは、そんな時でも必ず、「この曲、こんな良い曲だったっけ?」と思う瞬間が毎回あるのです。
 
 
図らずも、「Rebirth」と言う自己紹介ソングの中で彼女自身が「小柄で愛想いい、ベビーフェイス、お陰で優しそう、裏ありそう」と語っているように、彼女の不器用なりの精一杯の気配りは、僕のような皮肉屋の擦れっ枯らしから見ると時として「偽善」の臭いがしたりするものです。
 
結果的に僕が彼女から学んだのは、どこまでも突き抜けていれば、そんな優しさもホンモノになるのかもしれないと言うことかもしれません。
 
 
 
さて、今日のイベントは麻から各アーティストが15分の持ち時間でリレーで演奏する形式です。オープンな客席で、演奏が終わる度に舞台セッティングがあり、彼女自身も企画していたように演奏後は物販を絡めたイベントが組まれていたりするので、「お目当て」のある客は割と頻繁に「入れ替わる」形です。
 
時間が短く、客層も「冷やかし」が多いことを考えると、難しいライブだと思いますが、そんなハンディをものともせず、むしろ地元出身のアーティストよりもホーム感が漂う舞台となりました。
 
それこそ、「良い子」キャラは聞く人を選ぶ面もあるよな、と自分が彼女を評価する気持ちは置いておいて、果たして「一般受け」はどうなのだろうと思ったりもしたのですが、もしかしたら、もう僕のそんな勝手な予想すら彼女は超えようとしているのかもしれません。
 
そもそも、それほどディープに音楽に漬かっているわけではない自分が「気付いた」ぐらいですしね。
 
よく聞く、応援しているアーティストの成長を素直に喜んでばかりいられない微妙なファン心理が、もしかしたら身を持って体験できるかもしれない、なんて思ったりしました。
 
 
で、本日はライブ後にサイン会の権利付きCDの販売というイベントがありまして。
 
天邪鬼な僕としては少々抵抗感はあったんですが、こんな絶好な機会からは目を逸らすことが出来ず、参加して参りました。
 
他のアーティストも楽しめましたが、15分のために雨が降りそうな中名古屋まで行くのかと若干思わなくもなかったのですが、結果として行っただけの甲斐はありました。
 
 
そんな、本日のNakamuraEmiさんとの会話のログですが。
 
サインなんてあっという間だし、当然こちらは「ワンオブゼム」
 
いや、それでなんの問題も無いわけですが、矢張りそれなりに感謝の気持ちとか伝えたいわけですし、「爪痕」を残せたらなーなんて不遜なことも考えるわけです。
 
 
ところで今日の僕は栄のど真ん中とは言え屋外イベントと言うことでmont-bell固めの不必要なまでの重装備。水分難民になることに恐怖心があるので背中にはハイドレーションまで背負っていたりしまして、おまけに隣に座ったお子様から「笠地蔵みたい!」とご好評いただく実際会ったことのある方にはお馴染みのいつものスタイル。
 
 
短い一言二言でも、印象に残る言葉を伝えられたらと色気をだしてそれなりに準備していたのですが、、、僕を見たNakamuraEmiさんが、開口一番
 
「山登りからそのまま来てくれたんですか?」
 
、、、ある意味インパクトは充分でした、、、
 
その展開は予想していなかった僕はしどろもどろになってしまい、
 
「Emiさんの歌には苦しいときに励ましてもらいました。ありがとうございます。」
 
と、恐らくもう何万回と言われていたであろう言葉がやっとで出てくる始末。ショックの余り、
 
「ありがとうございます!」
 
とニッコリ笑顔でサインを書き終えたEmiさんとの握手の感触もロクに覚えては居ないのですが、、、
 
 
最後の最後、これだけはどうしてもと思って、
 
「この前の『Valon1』、とても良かったです」
 
と、ロスタイムに放った一言に、少し驚いたような顔で、
 
「また3人で来れるように頑張ります!」
 
と応えてくれました。
 
 
『Valon1』とは10月3日のSalyuさんとのツーマンライブのアンコールナンバー、Salyuさんのソロデビュー曲です。
 
全く方向性の違う二人、タイバンライブなので共演もあるのかなと思いつつ、どんな形になるか想像も着かなかったのですが、蓋を開けてみれば、この曲本来の歌唱パートの前、イントロからNakamuraEmiさんのヒップホップパートが入り、それがビックリするほどの完成度で、鳥肌ものだったのです。
 
実際、終演後にSalyuさんのファンと思しき二人組が「あの3人(オープニングアクトの桐島のどかさん含めての3人の意)で歌ったの、アレが本来のあの歌なんじゃね?って思うぐらいだった」なんて話しをしていたほどでした。(それを聞いてなぜか鼻高々だった僕、、、
 
 
9月のソーラー武道館のMCの中で、Salyuさんへの思い入れを「初めて聞いたとき涙が止まらなかった」と語ってたEmiさんですが、歳は同じくらいとしても芸歴は3年のEmiさんに対してSalyuさんは10年以上。小林武史氏のプロデュースで華々しくデビューしたSalyuさんと30越えてからのキャリアをジャズ喫茶回りの下積みからスタートしたEmiさん。出身地はEmiさんの厚木に対してSalyuさんの横浜、、、はあまり関係無いか(^_^;)
 
ここまで対照的な組み合わせは珍しいんじゃないか?とも思えるぐらいの異色な組み合わせ。
 
方向性の違いもあって、特にEmiさんにとってはそうは言っても仕事相手としては「やりにくい」んじゃないかな?と勘ぐったりしていたのです。
 
いつものペースと言えばそうなんですが、Emiさん、自分のパートでもオープニングアクトの桐島のどかさん含めて共演者を気遣う発言に終始していましたし。
 
その桐島のどかさん含めて全く同じ面子で2年連続のライブを東名阪の3箇所で、とのことでしたが、今年からのにわかファンな僕としては当時の事情は良く知らないのですが、MCから察するに去年の名古屋ではSalyuさんの調子が思わしくなったとのことで、そのリベンジマッチと言う思いがあったとしたら、モチベーションはSalyuさんの方が高かったのかな?なんてことも思っていたんですが、、、
 
 
あの一言で、Emiさんのあのライブ、共演者に対する思いが伝わってきたような気がしました。
 
考えてみれば、思いが無ければあのバージョンの「Valon1」はあそこまでの出来にはならなかったでしょうし。
 
 
それぞれの立場も、荒波のようなショービズの世界では一年もすれば大きく変わる可能性があります。
 
もしかしたらあの夜のあの「Valon1」は幻としてあの場に居合わせたそう多くは無い観衆の間で共有される奇跡として幻となってしまうかもしれません。
 
 
でも、もしまたあの組み合わせが実現したら、僕はきっと万難を排して奇跡の再来を目撃しに行くと思います。
 
そして、Emiさんにとっては「爪痕」と言えるほどのことはまー無かったでしょうが、僕にとってはあの一言を引き出せたことはサイン以上の宝物になったと思います。
 
 
NakamuraEmiさんが口癖のように言っていることですが、人との関わり以上に素敵なものなんて存在しないと思った一日でした。