ある「勇者」への私信的ななにか。

最近、と言うか今年の頭ぐらいからチェックしているブログが「ADHDのラスカルの手帳」

エゴサーチするように、たまにADHDでサーチをかける。そんな過程で見つけた。

 

ADHD持ちと言っても人それぞれ、症状も社会的状況も治療過程もホントに誰一人として自分と全く同じという人には出会わない。

 

でも、ブログに綴られる苦しみの欠片は共通言語として「認識」することができる。

 

完治する類いのものでもないから少しでも有益な情報が欲しい、ということもあるのだけど、その痛みを同病の他人の言葉を通して確認したい、という気持ちが繰り返し「ADHD」情報をサーチする動機になっている気もする。

 

 

池田ラスカル氏の文章の特徴は、とりわけその「痛み」の描写にあると思う。

ADHDの苦しみは多様な表現型を示すけど、なにが苦しいってどんな形をとるにしてもそれがただひたすら「みっともない」ことが苦しさの元なんじゃないかと、個人的には思っている。言ってみれば、その痛みは人間としての矜持をピンポイントで傷つけていくのだ。

 

池田ラスカル氏はどうしてそこまで直視できるのか判らないぐらい、自分の「みっともなさ」を克明にしたためる。

慌てて、取り乱して、子どものように無力にただカオスの波に翻弄される自分を飾りもせずに書き綴る。

その克明さ、隠し立てのなさは、いっそ氏の「強さ」なのではないかと思ったりもするのだ。

 

 

私はもっとずっと弱い。ADHDであることを、なんとなく範囲を限定してカミングアウトしているけど、どうしてもその看板を掲げて暮らすことは出来ていない。手帳をとったら楽になれるかもと思いつつ、それも果たせないでいる。

なにより、カミングアウトをするときでさえ、可能な限り取り繕って格好をつけながら行っている。

 

自分の生活圏は半日もすれば汚部屋、ゴミ屋敷になる。一粒の種から腐海の森が広がるみたいに。

頭の中は取り散らかり、忘れ物、無くし物、落とし物は数知れず。子どものように泣きたい気持ちを堪えながら探すことが嫌で、少しのことならお金で解決する悪癖が抜けない。

勘違い、早とちり、思わず口を突いて出る本音で廻りを傷つける。大人になればシャレでは済まないこともある。今でも自分の発作的な発言が飛び出すことを恐れる気持ちは止まない。

 

そして、どれも多少マシになったって劇的に変わっているわけじゃない。

当たり前なのだが、かっこよさなんて欠片もない。

なのに、恐ろしいことに、私は自分を語るとき、そんな自分ですら取り繕っている。

 

「感動ポルノ」の自作自演。

 

それでいて、どこかで本当の自分を知って欲しいと思っている。

いつか自分を「リプリー」になぞらえて、永遠に虚飾を虚飾で塗り固め続ける自分の苦しさを訴えたことがあるけど、実際のところそんな小器用でもないし、技巧的でもない。もちろん、本人はマット・デイモンとは似ても似つかないしね。

もっと矮小な、「ペンフレンドについた嘘で雁字搦めになる馬鹿な小学生。」ぐらいが関の山。

いや、顔を真っ赤にさせてもまだ「飲んでない」って言い張る酔っ払いぐらいかな。

 

どっちにしても例えてる時点で逃げてる。

 

ありのままのみっともない自分を見つめられない。振り返って書き起こすことができないでいる。

 

本来、僕のように多少なりとも苦しみから逃れることが出来た「脱獄成功者」こそ、情報を共有しなければならないのに。

 

 

 

囚われすぎるより、前に進んだ方が良いという思いもある。それ自体逃げの産物なのかも知れないけど。

なまじ一番苦しい時期を通り抜けたからこそ、過去に囚われて時間を巻き戻してしまうかも知れないと、今は恐れているのかも知れない。わからんけど

この場所は、少しでも自分の経験を記すことが出来れば、と言う想いで用意したはずなのに、実際は筆が思った方に向かっていない。

もっと傷が乾けば、とか、書きためているうちに勢いがつくかもとか、思うこともあるけど、結局単に「苦手なことから逃げてる」ってだけなのかもしれない。

 

 

自分は逃げすぎている、とは思うけど、池田ラスカル氏は直視しすぎているんじゃないか、とも思ったりする。

書くことが癒やしになる、と自分の経験から理解はしているけど。

あるいは、ADHDこそ生まれ持った「自分の最大の武器」という奇妙だけどもし持っていれば共感もしてしまうような思いも、もしかしたらもってみえるのかもしれない。

実際、良く書けているとも思う。ちゃんとしたフォーマットに理路整然と自分のリアルな苦しみを載せるのは勇気と精神力が必要な作業だ。

 

ただ、あまり自罰的にならないで欲しいと、思ったりもする。

ご本人に自覚はないのかもしれないけど、今、少しは楽に生きられるようになった自分と池田ラスカル氏を分けている一番大きな溝は、「必要以上の自己否認」の大きさに他ならないと思う。

低すぎる自己評価はそれ自体反省も改善も産みはしないという冷酷な一面がある。

強烈な自己否認はそれ自体が強力に作用する「認知の歪み」に他ならない。

 

例えば、この記述

 

ADHDで注意欠陥のある私にとっては、単純な作業の繰り返しでも、かなり神経をつかっています。

私のADHD、そして不安障害との逃げられない戦い - ADHDのラスカルの手帳

 

単純な作業の繰り返しは、実はADHDにとって一番苦手な作業だと思う。当たり前な話しだが、まして作業現場が低温倉庫だったりすれば、それはADHDでなくても普通に過酷な現場だ。

 

逆に言えば、その職場でなんとか勤め上げた日々もあることをこそ誇るべきなのかもしれない。

 

そしてもし、「自分には難しいことはできない、サルでもできるレベルの仕事を選ぼう」という無意識の選択があるとしたら、実はその選択は自分が最悪に苦手な分野を指向していることを意味しているのかもしれない。

 

 

私について言えば、結果的に自分をより冷静に客観的に見られるようになったこの1、2年の間にあった「劇的な発見」のうちの一つは、実は自分にも長所がある、と言うことだった。

 

絶対自分が得意ではないと決めつけていた折衝事、会議の議長役、議論等のいわゆるコミュニケーション関連。気がついたらむしろ人材不足の田舎にいれば自分が比較優位に立てていた。

 

施設の修繕、財務処理、書類の調整。ADHDには苦手な分野での経験の積み重ねも、気がついたら自分のポートフォリオに収まっていた。

 

ADHDが向かない職業を、結果的に私も消極的に選択している。具体的にはルーティンワークの多い事務職。それでも、仕事の中身を腑分けしてみれば自分を活かせる分野がいくらでも見つかるようになった。もちろん薬によるブーストがあって初めて実現していることが多いのだけど。

 

思い返すと最大の障壁は仕事に対する恐怖感。そしてそれは、おそらくは、子どもの頃から降り積もった自己否認に起因するのだろうと思う。その重しが取れた瞬間あらゆる所に自分の可能性が無造作に落ちていたことに気付けた。

 

「最後の大きな一歩」はEMDRの施術を受けた2~3ヶ月の間に起こったけど、諸々考えればADHDの診断が出る前を含めて20年以上、可能性を追求した全てのことの積み重ねがあってやっと今の心境にいる。

 

だから、自分の経験を引いても簡単にできる、なんてことは言えない。

 

それでも、道は絶対にある。全部を解決する魔法の合鍵は多分ないけど。ブログの記述の中からも、体を動かすことや、不安症状の解消など、勉強してみえる方向性の中には自分の軌跡と重なる部分も多い。

 

なにより、自分を改善することについて前向きなことが良いと思う。

 

 

この20年でADHDを取り巻く環境は劇的に変わった。

 

リタリンのオーバードゥーズが社会問題になったのが2007年。

ストラテラの成人対象処方が認証されたのが2012年。

コンサータの成人処方解禁2013年。

もちろん、薬はどれも万能薬でない。あくまでアシスト役だけど、それなしで足場を固めるのはとても難しい。

そして、少なくとも日本がADHD罹患者への支援を法的に打ち出した2005年以降(先駆的な医療機関ではもっと前から)ADHDへの対処法の経験値を多くの医療機関が積んだ年月でもある。

自分が経験したものだけでも、認知行動療法、ACT、if-thenメソッド、マインドフルネス瞑想、ワーキングメモリの改善、EMDR等々。

 

池田ラスカル氏にしても、他の若いADHD罹患者にしても、もちろん相応の苦難と努力は要求されるだろうけど、20代の私のように「手はないのかもしれない」と絶望する必要はもはやない。

 

報われる日は意外と早くくるかもしれない。

 

それまで、楽観することも絶望することもなく、ただ粛々とその日がくるという事実を信じて前に進むこと、だけで良いと思う。

 

読書感想文「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」について。

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

 

久しぶりに詩集らしきものを読んだ。いや、随筆なのだろうか。

 

「韜晦されている」

 

ということがどういう状態なのか、身をもって体験したのは久しぶりのことだった

 

性別も年齢も判らない。

 

そもそも著者の「F」氏とは。 ・男性 ・Twitterでフォロワーが10万人超え(‪@No_001_Bxtxh ‬) ・既婚者 ・新宿に住んでいる

『いつか別れる。でもそれは今日ではない』を読んだ【男性から見た素敵な女性について】 - 自分の為に沸かすミルク

 

この人は男性だと解釈したようだ。

だが、プロフとして掲載されているのは

 

F(エフ)

11月生まれ。黒髪。猫が好き。でも猫アレルギー。好きなものは東京タワーと映画と散歩と冬とペルシャ猫、あと女嫌いな女。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」 より

 

との一文であり、「私の一般論データベース」によれば、「女嫌いな女」を好きなのはむしろ女性にありがちなプロフィールである。しらんけどね

 

むろん、理性的に回答すれば、このプロフィールは性別を韜晦している、ということになる。

 

セフレを常時五人以上抱えている、まさに女の敵の代表格ともいえるような男友達に「セフレってなんですか」と訊くと、「男女の友情の最終到達地点」と即答されたことがある。「じゃあセフレが恋人に昇格したりすることもあったりするんですか」と全国のセフレになったことのある女を代表して私は訊ねた。「彗星が俺の頭に直撃する確率より低い」とか「肘を顎にくっつけられる可能性より低い」とか、そういう回答が返ってくるかとかと思ったが、なんとかれは「あるよ」と答えたのである。

「ある。でもまあ、向こうとこっちの気分次第だけどね」

あぁ、と思った。気分に勝てるものなどこの世に存在しない。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」058 セフレの品格 より 

 

「女を代表する」、という書きぶりは自身が「セフレになったことのある女性」であり、その属性を持つ集団を代表する形で発言している、とも取れるが、回答を知りたいであろう、その属性集団の意志を(勝手に想像した上で)代行して発言している、とも取れなくもない。

 

プロフが読めない、と言う点では、前半ほど書かれていることの中に「青臭くて読むに堪えない」ことが散見されるのに、章が進むにつれて書いている人間の中身がそれなりに熟成されていく傾向がある、ということも感じた。

 

出だしの章で連発されている「安い恋愛ノウハウ」の連発には閉口する。察するに、自分はある程度老成している、と勘違いしている20代後半の男性からより若い女性に向けたもの、のように私には読めた。30代手前に自分はもう若くない、とか真顔で言う手合いの書きそうなこと。

 

そんなものに需要があるなんて、思いもよらなかった。

 

実は、人から薦められたから読んだ本だった。

 

Jさん、いったいどうしちゃったんだろう、というのが偽らざる最初の感想だった。

 

実際、ネットの書評はかなりブレのあるものだったようだ。

 

恐らく答えは

 

 こんなことが書きたいのではなかったし、こんな人生を歩む予定ではなかった。と思いながら、こんなことを書いていたら、もう春になって、こんな年齢になっていた。この本の文章は、すべて携帯電話で書いた。メールの下書きに書いては自分で自分に送り続けた。書いている間ずっと、十九歳の時、東京で一人ぼっちだった自分のことを考えていた。

  あなたは僕を見つけたつもりだろうけど、もうとっくに遅いよ。さようなら。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」おわりに より

 

といったところから読み解くことができるのかな、と思っている。

 

とても勇敢に、青いなりの時分にしか書けないことも編集削除せずに引っ張り出してきて、需要があればどうぞと世に問うたのかもしれない。

あるいは、もしかしたら10年単位で書き連ねた物をまとめて発表する、というこの形態を実験的に採用したのかも知れない、とも思ったり。

 

と、言うわけで個人的には全文通して全てに共感する、とはおもわない。

ひょっとしたら夭逝した天才文学少年の遺したノートのように、ところどころに見つかるまばゆい煌めきを楽しむ、というのが特に前半部分の正しい楽しみ方なのかも知れない。

 

Twitter上のプロモーションの「巧みさ」も含め、これは、「ある日の文学少年少女達」に向けた、おまえら、みんなこんなことやってただろ?と言う公開羞恥プレイともとれる。

 

ええ、僕はまだやってます。(単なる被害妄想です

 

せめてこのぐらい上手に出来るなら良かったのに、とか、明日から本気出せばこのぐらい、と思えるところが憎たらしい。(思うだけで絶対届かないだろうけど

 

後半の少し老成した内容が個人的にはまともに響く。良い本に出会ったときの他人から人生を分けてもらっている贅沢感を存分に味わえる。

 

 私が一等好きなのは、やらないことや言わないことは互いに完全に一致しているのに、やることも言うことも決して自分とは似ても似つかない人だ。価値観は一部同じ、そして一部全然違う。そのことに互いに敬意を持ちあえるひとである。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない 061嫌いなものが一致すると長続きする理由 

 

今の自分よりずっとまだ若い時分に書かれている気配がある。きっとこの人なりに濃密な人生を歩んでいて、私よりずっと確かな足取りで時を積んでいるのだろうと少し悲しくなったり。こんな素敵で言われてみれば当たり前な気付きを、もっと早く分けて欲しかった。

 

考えてみれば、今読んでいる本の半数以上は自分より年下の著したもので、もちろん「若いな」と思いながら読むものもあるが、そんなことを意識せずに「先生」に教えを請うている心持ちで読んでいたりもする。

 

気にする方がおかしいのだろう。

 

ADHDに流されて「失った」と感じる時間を悔いることからは意識してもなかなか逃れられない。悪癖だと思う。

 

むしろ、とてつもない時間をかけた回復の過程こそ自分のオリジナルとして誇れるようになりたい。

 

そんな、本の内容と関係のないことを読み進める中ずっと考えてしまったのは、この韜晦し続ける本のもつ、ひとつのメカニズムの作用なのかもしれない、と言ってしまったら言い過ぎなのだろう、な。 

 

救いはそれぞれの人にある、のかもしれない。

 

www.yutorism.jp

 

この3月までの1年間、似たようなことを自分の身の上話として体感しました。

もちろん自分は無能な側で。


もう異動してしまったお手本になってくれた人は、とてもひょうひょうと仕事をする人でした。

それまでの私は裏の裏まで読んで、出来の悪い中でも理想を目指して120%で仕事をしているつもりでした。が、その人の姿勢を見て自分のなにが間違っていたか、その欠片を理解することができました。

 

欠片だけでも劇的でした。


今でも100%にも届いていないと思いますが、少なくとも「自分で自分に重しをつけることは良くないことだ」ということを理解し、そういう方向に進みそうな自分を修正できるようになりました。

 

「可能な限り簡単に。」

「深刻にならずに、軽やかに。」

 

今でも、深みに落ちそうになる度に”教え”を呪文のように心で唱えています。

 

 


問題点は人それぞれです。

私のように足りない部分を持ち合わせた「メンター」と出会う僥倖に巡り会う人ばかりでは無いと思います。

 

でも、一歩引いて事実を捉え直してみると、もっと普遍的でどんな状況の誰にでも適用され得る教えも、昨年度の経験から読み取れるかもしれないと、この一文を読んで新たに気付きました。

 

 

僕が体験したこととこの話には大きな違いがありまして。

お手本になってくれた人は実際僕の3倍働いていたと思います。

その上で、私も、その他の職場の仲間も、皆その人の「余裕」に救われていました。

 

たった一人の持つ余裕が、職場に会話をもたらし、その会話に乗って職場のメンバーそれぞれの持つ知見が、ノウハウとして流通したのです。

流通したのは知見だけではなくて。

明るさだったり、開き直る思考パターンだったり。思いやりの心だったり、仲間として認め合う気持ちであったり。

 

仕事量1/3だった私も、その人が人として等価に扱ってくれることによって随分活かされたと思います。

 

そして、ともすればこれまでのように卑屈になってもおかしくなかった私の矜持は、そのことで救われていた、とも思います。

 

 

 

 

この4月から状況は一転し、彼女の代わりに経験不足な若手がやってきました。

 

彼女の教えを救いにしつつも、僕が急にスーパーになれるわけでも無く。

今はプライベートを削りながら、去年の倍の仕事をなんとかこなしています。

 

自分の限界はそこまで来ているんじゃ無いかという恐れ。

足を引っ張っているように思えてしまう上司。

頑張っているのは判るけど明らかに空回りしている若手。

自分が動かなくては状況が一寸も先に進んでいかないような錯覚。

 

一寸先には闇が横たわっているかもしれないという漠とした不安を感じていました。

でも、この一文に出会い、昨年度の経験を改めて読み解くことで今は、「救いは、もしかしたら自分の中にあるのかもしれない」と感じています。

 

あんな風に出来た人間にはなれない、ではなく。

自分の力が足りないからこそ、みんなの力を活かせるように。

そこにこそ、光の差す方に抜ける道はあるのかもしれない。

 

 

 

週明けとともにやってくる喧噪のなか、この悟りがいつまで持つのか、あるいは突然闇は開けるのか。

 

どん底に落ちる手前の闇の予感の段階で気付きに出会えたこと。そのことこそが吉兆であると信じて、来週に立ち向かおうと思います。

愛国者みたいなことを自称する人達について考えてみた話し。

好むと好まざると愛妻家と呼ばれてしまう人がいる。
世の中にはなんなくこの肩書きを背負ったまま一生を終える人もいる一方、
「人生のある時点で私は愛妻家だった」
という述懐は婚歴のある男性の大多数にとって真理であるという事実が「愛妻家」という言葉の持つ呪いの力の強さを示してもいる。


「愛している」、という言葉がどんな心の有り様を表しているのか、それは万人に通じる言葉でありながら、恐らく一人の人間の頭の中でも時間の経過とともに揺れ動く決して「捉えられない」有り様を表しているからこそ、人はその言葉に一人勝手に無限の価値を見出すものなのかもしれない。

 


「生まれ育った故郷」であったり「自分の出自に縁のある文化」を愛している、と表明する人達がいる。

この人と決めて誰かを変わらずに愛しつづけることと比べれば、これは特段に称揚されることではない。
大抵の人間は比較において故郷や自分の出自に関わりの深い文化をより愛してしまうものだ。
幼児期の苛烈な体験からの逃避や回心的な他文化との邂逅を経て身も心も「改宗」してしまう人は、この技術が際限なく距離の概念の質量を削り続けている時代においても少数派と言える。
他国に居を構え、他文化に染まったところで自分の出自を全く忘れてしまうことは難しい。
むしろ故郷やそれにまつわる文化との関わりは人の心を捉えて放さない鎖のようなものであり、合理的な判断を阻む「認知の歪み」の大元と言えなくも無い。

 


そして、私は思うのだけれど。
果たして「人」はそのような「腐れ縁」に対して「愛する」という言葉が表す心持ちで一生対することができる存在なのだろうか。

少なくとも、何かを愛することを自分のイデオロギーとして表明する覚悟をした者は最低限「愛妻家」のレッテルを貼られた人と同じ程度、いや、自称している分より多くの覚悟を背負うべきなのではないか。

 

 

「愛する」という心持ちの不安定さは誤解と紙一重とも言えるかもしれない。一夫一妻制が制度上の建前である以上、愛妻家が「誤解に基づいて」妻を愛することには何ら問題がない。しょせん二人の問題であり、その誤解はなんら社会に害をもたらさない。むしろ、そのさまを人はほほえましく思う。

 

が、何かを愛していることを看板として掲げ、万人にその愛をつらつらと語っている人が、愛の対象を「美しく誤解」していたとしたら。その「語る」という行為にはなにか意味があるのだろうか。

 


最近、とみにどの国と言わずその国を愛しているとことさらに表明する人物ほど正しくその国の言葉を使えていない傾向があるように思える。

果たして、その人達が「愛している」と標榜している「なにか」は、私たちがその言葉から想起する「なにか」と同じものなのだろうか。


なにより、「何かを愛する」、ということは標榜すべき何かなのだろうか。

 

世間が評価する以前に「愛妻家」の看板を掲げ、「私が如何に愛妻家なのか」というテーマで語り出す人がいたとしたら、あなたはその人をどう評価しますか。