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久しぶりに詩集らしきものを読んだ。いや、随筆なのだろうか。
「韜晦されている」
ということがどういう状態なのか、身をもって体験したのは久しぶりのことだった
性別も年齢も判らない。
そもそも著者の「F」氏とは。 ・男性 ・Twitterでフォロワーが10万人超え(@No_001_Bxtxh ) ・既婚者 ・新宿に住んでいる
『いつか別れる。でもそれは今日ではない』を読んだ【男性から見た素敵な女性について】 - 自分の為に沸かすミルク
この人は男性だと解釈したようだ。
だが、プロフとして掲載されているのは
F(エフ)
11月生まれ。黒髪。猫が好き。でも猫アレルギー。好きなものは東京タワーと映画と散歩と冬とペルシャ猫、あと女嫌いな女。
「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」 より
との一文であり、「私の一般論データベース」によれば、「女嫌いな女」を好きなのはむしろ女性にありがちなプロフィールである。しらんけどね
むろん、理性的に回答すれば、このプロフィールは性別を韜晦している、ということになる。
セフレを常時五人以上抱えている、まさに女の敵の代表格ともいえるような男友達に「セフレってなんですか」と訊くと、「男女の友情の最終到達地点」と即答されたことがある。「じゃあセフレが恋人に昇格したりすることもあったりするんですか」と全国のセフレになったことのある女を代表して私は訊ねた。「彗星が俺の頭に直撃する確率より低い」とか「肘を顎にくっつけられる可能性より低い」とか、そういう回答が返ってくるかとかと思ったが、なんとかれは「あるよ」と答えたのである。
「ある。でもまあ、向こうとこっちの気分次第だけどね」
あぁ、と思った。気分に勝てるものなどこの世に存在しない。
「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」058 セフレの品格 より
「女を代表する」、という書きぶりは自身が「セフレになったことのある女性」であり、その属性を持つ集団を代表する形で発言している、とも取れるが、回答を知りたいであろう、その属性集団の意志を(勝手に想像した上で)代行して発言している、とも取れなくもない。
プロフが読めない、と言う点では、前半ほど書かれていることの中に「青臭くて読むに堪えない」ことが散見されるのに、章が進むにつれて書いている人間の中身がそれなりに熟成されていく傾向がある、ということも感じた。
出だしの章で連発されている「安い恋愛ノウハウ」の連発には閉口する。察するに、自分はある程度老成している、と勘違いしている20代後半の男性からより若い女性に向けたもの、のように私には読めた。30代手前に自分はもう若くない、とか真顔で言う手合いの書きそうなこと。
そんなものに需要があるなんて、思いもよらなかった。
実は、人から薦められたから読んだ本だった。
Jさん、いったいどうしちゃったんだろう、というのが偽らざる最初の感想だった。
実際、ネットの書評はかなりブレのあるものだったようだ。
恐らく答えは
こんなことが書きたいのではなかったし、こんな人生を歩む予定ではなかった。と思いながら、こんなことを書いていたら、もう春になって、こんな年齢になっていた。この本の文章は、すべて携帯電話で書いた。メールの下書きに書いては自分で自分に送り続けた。書いている間ずっと、十九歳の時、東京で一人ぼっちだった自分のことを考えていた。
あなたは僕を見つけたつもりだろうけど、もうとっくに遅いよ。さようなら。
「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」おわりに より
といったところから読み解くことができるのかな、と思っている。
とても勇敢に、青いなりの時分にしか書けないことも編集削除せずに引っ張り出してきて、需要があればどうぞと世に問うたのかもしれない。
あるいは、もしかしたら10年単位で書き連ねた物をまとめて発表する、というこの形態を実験的に採用したのかも知れない、とも思ったり。
と、言うわけで個人的には全文通して全てに共感する、とはおもわない。
ひょっとしたら夭逝した天才文学少年の遺したノートのように、ところどころに見つかるまばゆい煌めきを楽しむ、というのが特に前半部分の正しい楽しみ方なのかも知れない。
Twitter上のプロモーションの「巧みさ」も含め、これは、「ある日の文学少年少女達」に向けた、おまえら、みんなこんなことやってただろ?と言う公開羞恥プレイともとれる。
ええ、僕はまだやってます。(単なる被害妄想です
せめてこのぐらい上手に出来るなら良かったのに、とか、明日から本気出せばこのぐらい、と思えるところが憎たらしい。(思うだけで絶対届かないだろうけど
後半の少し老成した内容が個人的にはまともに響く。良い本に出会ったときの他人から人生を分けてもらっている贅沢感を存分に味わえる。
私が一等好きなのは、やらないことや言わないことは互いに完全に一致しているのに、やることも言うことも決して自分とは似ても似つかない人だ。価値観は一部同じ、そして一部全然違う。そのことに互いに敬意を持ちあえるひとである。
「いつかは別れる。でもそれは今日ではない 061嫌いなものが一致すると長続きする理由
今の自分よりずっとまだ若い時分に書かれている気配がある。きっとこの人なりに濃密な人生を歩んでいて、私よりずっと確かな足取りで時を積んでいるのだろうと少し悲しくなったり。こんな素敵で言われてみれば当たり前な気付きを、もっと早く分けて欲しかった。
考えてみれば、今読んでいる本の半数以上は自分より年下の著したもので、もちろん「若いな」と思いながら読むものもあるが、そんなことを意識せずに「先生」に教えを請うている心持ちで読んでいたりもする。
気にする方がおかしいのだろう。
ADHDに流されて「失った」と感じる時間を悔いることからは意識してもなかなか逃れられない。悪癖だと思う。
むしろ、とてつもない時間をかけた回復の過程こそ自分のオリジナルとして誇れるようになりたい。
そんな、本の内容と関係のないことを読み進める中ずっと考えてしまったのは、この韜晦し続ける本のもつ、ひとつのメカニズムの作用なのかもしれない、と言ってしまったら言い過ぎなのだろう、な。