僕の恋のはなしをしようとおもう。


参照文は2018年5月27日にフェイスブックに投稿した内容です。

投稿した後、僕は自分がその時恩人である彼女に対して抱いていた感情が「転移性恋愛」と呼ばれるものであることを学びました。

 

以下参照文です。

 

『「自分が変わった」と言うことについて、一番大きかったことをあげるとそれはADHDとの診断を受けたことでした。

ADHD発達障害の一つです。色々議論のある代物ですし、専門家ではないので定義をこの場に記すことは差し控えたいと思います。

自分がどのような状態だったかは追々機会があれば記していきたいと思います。

五年前のことになりますが、職場の福利厚生事業の一環でメンタルドックを受けた際、カウンセラーの方から指摘されました。

以前からそうかもしれないという疑念は持っていたのですが、自分としてはプロである相手の方が正確に判断できるようにミスリードしないよう自分の状態を話す中でその可能性を指摘されました。

僕は仕事にアジャスト出来なかったりして結果的に「うつ」のようになっていた30前後から断続的に心療内科や精神科を受診していました。

当時からADHDは可能性の一つと考えていましたが、日本では長らく「子どもの病気」で大人になるにつれて消えるものとされていたこともあって、その時点では日本では大人に処方できる薬すらありませんでした。

「そのように診断しても対処手段が無いので、意味が無いですよ」

と言われたこともありました。

なかには「自分の精神的な弱さをADHDと言うレッテルを貼ることで誤魔化している」と言うようなことを仰って怒り出す医師もいました。

自分でもそういう可能性もあるな、と言う疑念を平行して抱いていたので手痛い指摘でした。

診断を受けた時点でストラテラという薬が認可されていました。

投薬と、平行して心理療法を受けました。

結果として思うと、薬ももちろん効果があったのですが、自分が変わったと言うことで言えば心理療法が大きかったです。

ADHDであることは薬で軽減できても完治するようなものではありません。

そういう自分を受け入れられるように、「思考の癖」を直したり、それに限らず日常生活を楽に過ごせるような合理的な思考ができるようにトレーニングする認知行動療法ADHDへの対処ということだけではなく、それまでの自分の頑固さや、規範意識の過剰さが自分を苦しめていたことを教えてくれ、生活の質を高めてくれました。

最終的にブレークスルーを迎えることが出来たと感じたのは「E.M.D.R.」という療法を受けた時でした。

「なぜ効果があるのか」という点は不明なようなのですが、臨床の現場では時として劇的な効果を発揮することがある、と言うなんだか少しアレな代物なんですけどね。

いわゆる「トラウマ」を抱えた人に対する療法です。

心理的な衝撃を受けた事象や、恐怖心を感じる場面を思い浮かべながら一定のリズムで眼を左右に端から端に動かす、というものです。

たまたま担当の心理療法士の方が研修を受けてきて、半ば練習台のような形で、「E.M.D.R.」を受けている間は治療費もかかりませんでした。

そんなことで変わるのですから、人生とは判らないものです。

これまでの流れからすると、なんで「トラウマ」と思われるかもしれません。

ADHDだけではなく、色んな要因で仕事もプライベートも思うようにいかないまま、時間だけが過ぎていき、仕事に限らず自分自身の行動の結果に対して恐怖心が生まれてしまう、いわばイップスのような状態が生じていた、と言うのが今の時点からみた僕の解釈です。

思い返すと、その時まで生きていて不安であったり恐怖を感じることがデフォルトで、それを紛らしてなんとか生きていくことに汲々としていました。

あいまいだなと思われるかもしれませんが、「恐怖の正体」についてはどこをどう評価したら良いのか、まだ自分の中で整理ができていません。

ですから、これ以上突っ込んだことを書くことは差し控えます。

いずれにせよ、「E.M.D.R.」を受け始めてから三回目ぐらいだったか、急に世界がクリアになったような、なにも怖い物がないような心持ちになりました。

そのことを担当の心理療法士さんに告げると、唐突に「今日で心理療法は終了です」と言われました。

狐に摘ままれたような気持ちでしたし、正直その人に依存する気持ちも産まれかけていたので、急に心細くもなりました。

せめて今の自分の気持ちが錯覚でないことを確認するため、もう一回セッションをしませんか?と言いたいところでした。

今にして思うと、それもまた治療の一環というか、患者の依存心を断ち切り、スッパリ「親離れ」させるためのテクニックだったのかもしれません。

僕にとっては捨てかけていた人生を掬い上げてくれた大恩人なんですが、それからもADHDの薬を処方してもらうために病院に通う中で何度かその人を見かけてもまるで僕が存在していないかのような反応っでした。

声をかけるどころか、挨拶することすら憚れるような表情で何度かすれ違いました。

感謝の気持ちを持っていく先がなく、そのことにも戸惑いましたが、プロとして仕事を成し遂げたその人に報いるためには自分なりに立ち直りを確かなものにしていくしかないのだなという納得の仕方をしています。

病院のニケ像

写真は通っていた病院の前庭に設置されている「サモトラケのニケ」のレプリカです。

正直、「今までどうにもならなかったものがどうにかなるわけがない」というどこか諦めにも似た気持ちで通い続けていた時は、「勝利の女神とは皮肉だな」と思ったりもしました。診療科を考えれば、完治してその病院を去る人はそもそもほとんどいないでしょうしね。

ですが、少しの心細さはありながら、突然人生が開けたその日見たニケは、自分と、そして些かインチキ臭い裏技を使ってではありますが、現代医学のささやかな勝利を祝福してくれていると感じたことを覚えています。

長くなりました。

ひとまずこんなところで。』

 

 

実は最近、これと似た状況を経験しました。

 

違ったのは相手が医療関係者ではなかったこと、そしてそういう「わかりにくさ」があったためか、自分がこの時のように自分の感情や状況に対して客観的ではなかったと言うことです。



結果として、僕は相手の人の尊厳に関わる部分まで踏み込んで傷つけるようなことを言ってしまったかもしれません。

 

冷静さを取り戻すにつれ、相手の人の言葉や状況の構図が見えてくるにつれ、後悔は凄まじいもので、会話を脳内再生する度に自己嫌悪に打ちのめされもしましたが、夢の中で整理がついたのか、翌朝には同じ出来事の違う面が見えてきました。

 

子どものような食い下がり方をしたお陰で、それまで「自分の都合」を相手に投影していただけの恋心が、実はたまたま「まっとうに自分の気持ちを捧げるべき相手」に刺さっていたことに気付かされることになったのです。

 

事故と言えば事故です。僕が冷静だったら絶対に取らなかった行動です。

 

「人生万事塞翁が馬」ですね。

 

親の死があって、別れがあって、親の喪明けもまだのうちに次の出会いがあったわけですが、そんなやけっぱちの穴埋めのように思えるタイミングに僕は熱情では無く、理性で「この人で良いんだ」と思える人に出会いました。



永遠の片思いになるかもしれません。

 

次の出会いに上書きされるかもしれません。

 

どのみち、僕の気持ちは一方通行です。

 

でも、今はそんなことも含めて、しみじみそんな巡り合わせに幸せを感じています。