認めたくないものを認めた話し

ここ2ヶ月ほどで急激に近くのものに焦点が合わなくなっておりまして。

視力で苦労した経験が無いこともあって、これがかなり応えておりました。

折角回せるようになった仕事も、能率が落ちてしまっている感がありますし、なにより書き物が捗らなくなってきたり。

 

年齢考えてもコレは例のアレかなーと思ったりもしていたのですが、いや、こんなに体鍛えて血流アップにも努めているし、そんなことに負けるわけにはいかない、なんて思い直したりで。

 

7月に入ってからは毎晩冷凍ブルーベリーを食したり、「最後の抵抗」をしていたのですが、意地っ張りな僕も心が折れてきました。

 

焦点が合わないのでしかめっ面が多くなってただでさえ悪い人相が更に、、、

 

なにより、活字を読むことが一番のストレス解消、その次が自分で書くことなのに、どっちも封じられてしまって、これは自分でも自覚できないほどのストレス要因になっていたのかなと今振り返ってみて思ったり。

 

さらに言えば、アレだって思っているけど、実際こんなに見えなくなるものなのか?もっと網膜剥離とか、今年は仕事も含めて外に出ることが多かったし、紫外線対策はしていたつもりだけど防ぎ切れていないから結構な頻度で「雪目」に悩まされていたし、なんて余計な心配までするようになってしまって。

 

認めてQOLが上がるなら認めた方が合理的じゃない?ってやっとそんな結論にたどり着いた訳です(^_^;)

 

で、本日職場の誕生日休暇なんて制度を利用して、恵那市内で多分唯一の眼科専門医に行ってきたわけです。ちなみに誕生日休暇は通称で、正式には「健康管理の日」という制度だそうで、まさに理念通りの使い方と言えるでしょうか。

 

閑話休題

 

平日の朝一に受付したんですが、たいした斑状具合で、それでも1時間弱の待ち時間で診てもらえたのですが、

 

結論はアッサリ「老眼」で確定。

 


想定通りの答えが返ってくるだろうなと思いつつ、

 

「眼鏡かけると進行しませんか?」

 

「それはないです」

 

とお約束?な会話を眼科医さんとした後、実際に眼鏡の処方用の調整は医師では無さそうなどんな立場かよく分からないけどワラワラと沢山見えるスタッフさんの一人と。


「あまりきっちり合わせた眼鏡作ると進行したときにすぐに合わなくなります。

四十代後半なら自分である程度焦点を合わせることも出来るのであまり近めを基準にしない方が良いですよ」

 

なんて説明を聞くとナルホドとは思うんですけど、さっきのお医者さんのきっぱりした断言とは微妙に矛盾があるんじゃない?と感じたりもしましたが、、、

 


その後、お休みを最大限有効利用するべく、眼科医院と棟続きの眼鏡屋さんで結局都合二時間ほど居座り商品知識を根掘り葉掘り聞きまくり、フレームのフィッティングを20本ほどあーでもないこーでもないとしまくって結局少しお高めのを買ってしまいました。

 

量販店で買った方が確実に安くはあがるのだろうけど、ちょっと説明の過剰な、僕のしつこい根掘り葉掘りに喜んで反応してくれた「眼鏡愛」の感じられる店員さんがいたので信用代としては妥当かな、と。

 

これからは「仕事道具」と言っても過言じゃ無い、自分の生産性に直接関わるパーツになるわけですしね。

 

実際眼鏡屋さんで色々聞いたり見たりする前は、描けたり外したりが多くなることを見越して付け外しのスムースさを第一基準にしようかとボンヤリ思っていたんですけど、結局ちょっとカッチリ目の付けているときの安定感を重視した選択になりました。

 

その眼鏡屋さんの品揃えがたまらまそうだったのかもしれないけど、眼鏡のフレームって商品の価格帯で似たような付加価値が着いていくものかな?と想像していたんですが、実際はメーカーごとの思想の違いが大きくて面白かったです。

 

無駄に?眼鏡を沢山持っている人を見かけますが、その気持ちがちょっと分かる気もしました。

 

ちなみに私が選んだのはマルマンのDarwiinというブランドです。

 


出来上がりは1週間後になるそうです。

 

正直、納得ずくで選んだのですが、実は「商談成立」後に機構的に折りたたんでも割と嵩張る、つまりケースが大きくなることが判明してしまい、折角ここ最近で普段持ち歩いて無くしそうなものの定位置が整理できたところなのに組み直しを迫られそうなのが頭の痛いところですが、掛け心地を重視した結果なのでそこは目をつぶることにしました。

 

またストレス無く読んで書けるようになるかもしれないと思うと、届くのが待ち遠しいような、ちょっとしたワクワク感があります。

 

願わくば、この出会いが末永いお付き合いにならんことを!(^_^;)