「幸せなADHD」と自分との対比から何かが見つかりかけたような気がしたはなし。

 
「幸せなADHD」は実在します。
 
決して乗り越えた訳ではなく、全力でADHDである自分を出力して、それを自分のストロングポイントとしてしまった人達。
 
 
黒柳徹子さん、平野レミさんと言ったところが「大御所」だと思いますが、そうした「特殊」な世界に生きている人達だけではありません。
 
例えば、私の母がそうです。
 
 
私を産むまで小学校の教員でした。
 
子育てが一段落ついてから時々臨時で教員をしていたりしましたが、授業でピアノを弾く必要に迫られて急に四〇の手習い?で独習しはじめたり、どうも絶望的だと思ったらアッサリクラスに居たピアノが弾ける生徒に「下請け」に出したり。
 
そもそもピアノ弾けないのに教員免許が取れたのも戦後のドサクサだったという程の歳でもないのですが、ノンビリした時代だったんでしょうね、、、
 
 
担任を持たされたこともあって、通知表を家に持ち帰ったりもしました(牧歌的な時代でしたね)
 
当時私は中学生だったと記憶していますが、その頃から根拠のない文章に対する自信がありまして。
 
所見欄を書くのが苦手だった母は、私に「添削」をさせていました。
 
添削と言えばまだ聞こえは良いですが、実態としては読むに堪えない内容なのでほとんど私がゴーストライティングしていました。
 
生徒の人となり、問題点を母親から聴取して、保護者の方や生徒が傷つかない「前向き」な表現にしました。
 
さすがに私の案から手を加えるかと思いきや、そのまま清書していました。
 
 
料理は自己流。
 
レシピ通りに作ることはできず、そもそもレシピなんてものは家に存在しませんでしたし、祖母は母に輪をかけた料理下手だったのでそもそも「家庭の味」なんてものはあってなきがごときものです。
 
イデアだけは「降って」来るので自由奔放です。
 
具がフルーツだけのホワイトシチューとか、オリーブで出汁を取った味噌汁とか。マリアージュと言うより強〇です。
 
 
男性と女性の違いなのかもしれません。
 
が、世間を見渡せば女性でも生き辛さを抱えるADHDな人はいくらでもいるので、そう単純なものでもないでしょう。
 
 
私は、こうした人達を羨ましいと思い、誇らしくも思い、そしてそれ以上に憎み、蔑んでいました。
 
そう自覚したことはあまりなかったのです。
 
ここ数日のSNSを通じた対話、旧友との再会の際に交わされた会話などを通じて、その気付きに導かれました。
 
 
苛立ちを感じていたことには自覚がありました。僕はその苛立ちを当然のことと受け止めていました。
 
「お行儀が悪い」「然るべき努力をしていない」「得意なところだけで勝負している」「自分の欠点を見ないようにしている」
 
ええ、並べて見ると一目瞭然です。
 
敢えて論証する必要も無く、僕が抱いていた感情は「同属嫌悪」でした。
 
 
同属、ではあるのですけど、明らかに「幸せ」な人と自分には違いがあります。
 
その違いが、妬ましくもあり、苛立ちの正体でした。
 
 
先に答えを言ってしまうと、それは「失敗への恐れ」だと思います。
 
ADHDである、と言うことは膨大なトライアンドエラーをひたすら繰り返すことだと言う一面があります。
 
頭の中にはアイデアが渦巻いていて、整理がついていません。
 
どこから手を付けたら良いのか判りません。
 
そこで「優先順位」を考えはじめたら?余程優秀で無い限りは「フリーズ」します。
 
 
優先順位よりシビアな問題は、「アイデアが湧いてくる」という状態です。
 
一つ一つを充分に検討する余裕はありません。
 
検討している過程で次々と「次のアイデア」が湧いてきます。
 
そして、もう一つ、ADHDには「根拠の無い楽観」があるように思います(自分にはあります)
 
物事を楽観的に見るのは人間の特性で、もしその特性が失われたら、人は常に不安の中で暮らさなければならなくなる。
 
そう考えれば、その特性はむしろ人間のストロングポイントなのですが、無限に湧いてくるアイデアを一つ一つ検証もせずに全てトライしてしまったら。
 
そこに待っているのは膨大な数のエラーです。
 
 
「幸せなADHD」とは、つまり極端な言い方をすればPDCAサイクルのDとAだけを超高速で回している状態と言えます。
 
最も幸せな人は周囲から理解あるサポートが得られ、自分の不得意とする、あるいは意識すらしていないPとCを外注にだすことができる環境にある人です。
 
 
なかなか、そんな恵まれた人はいません。
 
ですが、失敗を気にせずにトライを続ける、という自分の特性を「ユニークな才能」と認めてもらうことができれば、そして自分でも受け入れることができれば。
 
多分、それこそが「幸せなADHD」の正体だと思います。
 
 
日本社会の特性を考えると、これはなかなかに奇跡的なことです。
 
基本「村社会」で均質性を重視されますし、人間性の評価でも「協調性」「礼儀正しさ」が重んじられます。
 
 
私には、その日本の中でもとびきり規律重視な一面があります。
 
自分の生き辛さと取り組む過程で「合理性」こそが解決法だと思い、その点については後天的に多くのものを獲得したと思います。
 
ですが、多くの理由があって、規律重視な姿勢は変わりませんでした。
 
この点については、むしろ自分のそうした特性を自分の「個性」として誇りに思ってすらいます。
 
 
自由と規律は二律背反です。バランスが大事だし、振り子の両端のようにどちらかに収まるものではありません。
 
経済が好況と不況を揺れ動くのも、好況が人間を自由にすると同時に規律を破壊する側面があるから、だと思います。
 
社会も大きな歴史で言えば「自由」を希求し、そこに向かって進化しているように見えますが、行きすぎれば必ず「揺り戻し」が起こりバランスを取ろうとします。
 
 
 
一個人の中で、そのバランスの最適解を探す、なんてことはそもそも無理です。
 
 
そして、ADHDである、と言うことは「卒業」できるものではありません。
 
一生添い遂げなくてはいけない。
 
表面的にいかに社会に適応し、普通の人の「ふり」をすることができるようになっても、自分はADHDであり続けるでしょう。
 
 
 
この設問には、たぶん一言で答えられるような解決法はありません。
 
いや、言葉で説明できるような方法はない、と言ってもいいかもしれません。
 
ですけど、自分が本当に自分であることを認め、受け入れ、肯定することなしでは、僕は僕であるための最後のピースを失ったままである気はしています。
 
 
可能性ではありますけど、一つの光は「考えることを止める」ことではないかと思います。
 
そうしたとしてももちろんその考えが頭から抜けることはないかもしれません。
 
それはそれで良いのです。
 
ただ、自分の頭の中には多分探したところで「正解」はないでしょう。
 
 
手を動かし、いろんなところに行き、人と話し、本を読み、ADHDらしく躊躇いなく膨大なトライアンドエラーを繰り返す。
 
 
皮肉な話しですけど、多分、その中にしか答えはないのではないかと。
 
これを不幸と捉えるのか、幸運であると捉えるのか、どちらも一定の真実だと思います。
 
でも、その評価も今はしないことにします。
 
 
考えてみれば、今までも僕はそうやって同じものを探していた気がします。
 
ただ、少し仕事に余裕が出来て、「自分がどこにも向かっていない」錯覚があったんですよね。
 
実際はそんなことなくて、自分がやるべきことを認識出来ていなかったり、見ないふりしていたんですけど。
 
 
自分が好きになることが一つの答えなら、僕は躊躇いなく次の行動に移れる自分が好きです。
 
それはこの二年で一つ見つけたことです。
 
そうです。本当は僕は既に経験しています。
 
答えは一つでは足りないし、一生探すものなのかもしれません。
 
でも、探し続けることこそが生きることなら、立ち止まって悩むことだけは、してはいけないことなんです。