群れを作れない家族は電気犬の夢を見るかどうか検討してみた話し。

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去年飼っていた犬が逝ってしまい、1年あまりその犬の世話で拘束され続けた私としてはホッとする面もあったのだけど、それこそ猫かわいがりしてその犬をスポイルしていた父なんぞはかなり心に痛手を負っていて、時折母との会話の中で「次の犬」の話が出たりする。

ま、次の犬は飼った瞬間から実質私が世話をすることになるので実現可能かどうかは置いておいて話をすることで寂しさを紛らわすという面があるのだと思うが、「毛が抜けないからトイプードルが良い」なんてやけにリアルな話がでたりして(ヲイヲイ、その話を私抜きでするのかよ)と思ったりしてドキドキするのだけど、そもそも私を交えずに話をするのは交えた時点で話があまり楽しくなくなってしまうことが判っているからなのだろう。

私も犬自体はもちろん嫌いじゃ無い。個人的には猫でもいいんじゃないかなーと思うぐらいでそれほど犬そのものに拘りがあるわけじゃないのだけど、動物が身近にいる生活は良いだろうなとは思う。

ただ、父がすっかりスポイルしてしまった犬をそれなりに叩き直した経験から、犬は猫かわいがりして良い存在じゃ無いことは学んだし、どれだけ人間ライクに生きるように進化しても犬はやはり犬で人間とは違う倫理、命題、ロジックの中で生きていることも嫌と言うほど認識できてしまった。つまりは、犬と暮らすことは楽しいことばかりじゃ無いってことだ。

 

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↑どれほどの頻度で起こっているのか、起こっても積極的には報道されないだろう、こんな事件が起こったりする、なんてこともあり得ることだなと思う。

 

 

愛犬を人間世界のコードに沿った存在でいさせることは、愛犬そのものに期待するべきことでは無くて、飼い主の責務なんだと思う。

 

人類の中でも深く犬と関わって暮らしていると思われるイヌイットの人達が過酷な環境の中橇を引かせる犬を弱ったものから食べるとか、ペットのように可愛がったりしない(70年代近辺の知識なので現在のイヌイットの人達の事情とは違うかもしれないけど)なんて話を聞いても、深く繋がれば繋がるほど、人間とは異質な存在であることを意識しなければならない、と思ったりもする。

まー、そこまで深刻に捉えなければならない事態というのは滅多に無いだろうし、私特有の「深刻に考える癖」故の考えすぎな部分もあるとは思うけど。


要は、aiboなんて丁度良いんじゃ無い?なんて思ったりもした、ということに繋がる話。

でも調べるほどaiboではどうかな?とも思ったりも。

・屋外に持ち出せない=飼っていても親の運動のモチベには繋がらない。

・イニシャルコストだけじゃなくて維持コストもそれなりにかかりそう。

ソニーには前科がある。


そしてうちの場合、やはり「前の犬」の面影を追ってしまうと思う。

やんちゃで、バカみたいに運動能力が高くて、ビビりで性格が悪い。

良く言えば「野生」を飼っているような感覚。

そんな存在をもう二度と飼いたいとは思わない、次に飼うときには少なくとも私が最初からキッチリしつけるとしても、どこかにその片鱗を残していなければ多分うちの家族が満足することはないような気がするのだ。

aiboはある意味では犬の理想的な部分の抽出だ。敢えてテイストとしてツンデレったりもするのだろうけど、噛む牙も無いし、多分無駄吠えすることもないし、本気で喧嘩することもできない。(私が親から世話の引き継ぎを受けた当初は「主導権争い」をする必要を感じてかなり本気でやり合ったりもした。)


犬種にもよるだろうけど、犬はポテンシャルとしては人を殺すこともできる動物だ。

「狼との血の近さ」というものを基準に飼い犬を選ぶ人間が少なからず存在することは、「野生を馴らす」ことこそ犬を飼う意味と感じる人間が存在することを表していると思う。

高齢者の体力でも擬似的に犬との暮らしを味わえるとか、そもそも犬に野生を求めないという層もあるとは思うが、本当の犬好きが満足するaibo的な存在というのは、ある意味自動運転車並みに技術だけじゃ無くて倫理命題を乗り越えた先にある存在なのかもしれないなと思ったりもする。


が、色々調べる中、この記事に突き当たった時に思ったことは、aiboの役割として「飼い犬のコンパニオン」というポジションはかなりありなんじゃないかと言うこと。

犬を飼いたくても飼えない人の多くは、
「結局飼っても寂しい思いをさせるだけだから」
という理由で躊躇っているんじゃないだろうか。

元来犬は群れで生きる動物だ。そして存在そのものが「かまってちゃん」だ。犬に与えるご褒美は餌よりも「関心」がもっとも効果的で罰は手をあげるより「無関心」の方が効果的だったりする。可能であれば「多頭飼い」することはストレスを緩和する良策になるだろう。

単に愛犬の相棒と言うことを超えて、躾に難のある家庭では擬似的にリーダー格を演じさせたり、「我が家の掟」を教授するチューター役としてとか、理想を言えば時間が取れないときは散歩をしてくれたりしたら。

そうした犬を飼うためのアシスタント役というのは、あるべきaiboの将来的な理想像の一つなのかもしれない。(方向性として人間を満足させることとは全く異なるアプローチが必要になる=aiboというよりalter aiboとも言うべき存在になるかもしれないけど。)


じゃあ、今のうちにそれを当てはめたらと考えると、、、

犬を飼って更にaiboまでというのは財政的に難しいような気がするし、現状ではaiboが散歩してくれるわけじゃないしな、、、

 

今後に期待する、と言うことで。