ぐうの音も出ないのにぐうと言ってみた話し。

 

www.youtube.com

トレーニングを習慣化するようになって一年以上が経過したんですが、読書する暇がなくなった代わりにと言うか、音楽は聴くようになりました。
 
もちろん「ながら」でなんですけど。
 
私、読み書きと音声コミュニケーションの能力の間に大きな開きがあるようで、ADHDの治療の過程で受けたIQテストで両者の間に30ぐらいの開きがあったんですよ。
 
つまり、元から「人の話聞いてねー」系というか、むしろ聞こうと思っても聞く能力が無い可能性すらあったりして。
 
Jポップなんかを聞いていると延々と同じ曲を聞いていても集中して聞ける瞬間が来るまで実は全く歌詞が頭に入っていなかった、なんてことがあるのもそのせいかもしれません。
 
 
NakamuraEmiさんもそんな私に冷遇されていた一人だったのですが、最近漸く耳を傾ける機会がありまして。
 
 
不器用に魂削っている、ように聞こえます。
 
まるっきりノリとはほど遠い生真面目なヒップホップ。
 
多分、必要に迫られて「優等生が頑張ってものにした技術」で表現している。
 
最大の武器であるまっすぐなリリックも、そこに至るまでの道筋はまっすぐなものでは無かったようで、自分の属性に合っていると信じてガールズポップに向かっていた時期もあったとか。
 
 
そんな彼女の作品の中でも一番響いたのはこの曲の歌詞です。
 
 
 
「大人の言うことを聞け 
 
けっして言う通りにしろじゃない」
 
 
 
私には「言霊」の力を過剰に信じているところがあります。
 
「論理的に整合性のある正しいことを言っているのに、なぜ聞いてもらえないのか」
 
これは、もちろん「大人」のスタンスじゃないんです。
 
受け取ってもらえなくて、「不当さ」に腹を立てる。
 
ワガママな子どもそのものです。
 
 
 
そして、受け取る側としても。
 
人の話を最後まで聞けない。
 
物理的に相手の発話が終わるまで我慢できたとしても、「聞いている」のではなく、聞き取りながら自分の発言を組み立てている。
 
 
 
他人からの言葉をどう「処理」しているか。
 
多分、私は功利主義的に、それが「役に立つか」「無駄か」でかなり瞬間的に判断している。
 
もちろん常にそうではないんですけど、そういう自分の思考を自覚をすることがあります。
 
無駄と判断したら?ひとまず受け取って、それを熟すということがない。
 
 
 
言葉って命令ではない。武器でもない。事実でもない。
 
それはただの「言葉」というものであって、取り扱いのルールはただ一つしか無い。
 
「ちゃんと受け取れ」
 
 
それをどう熟すか、解釈するか、受け取ってどう反応するか。
 
そこから先は、逆に受け取った側次第。
 
発した側が立ち入ることは決して出来ない。
 
 
でも、取りあえずは受け止めよう。
 
出来れば、可能な限り誠実に。
 
「話はそこからだ」
 
 
大人と子ども、という関係性の中で歌われているこの曲への反応として、これはまさに「聞いてない」感想なんですけどね。
 
男と女であっても、上司と部下であっても、人と人であれば多かれ少なかれどこにでも当てはまる真理、なのかもしれないなーと思った、そんな話でした。