自分で確保しなければなにかをするための時間は永遠にやってこない。

いや、表題のとおりでそれ以上はなにもないんだけど。

今からクダクダと書き続けるのはそんな内容だ。

 

貴重な時間を使ってこの文章を読む気になった人は最初からそのことを覚悟して欲しい。

 

 

実は私がこの事実に気付いたのはこの5月のことだった(って今月やないか

 

 

「後でしよう」というのはADHDの得意技の一つだと思う。

少なくとも私はそうだった。

 

筋金入りで、例えば30分以上作業時間がかかるようなことを後伸ばしにする習慣はほぼ物心ついてから。だが、それはまだ自覚がある分マシですらあったと思う。

 

例えば、メモを取ること。

あるいは、今使った物を元あった場所に戻すこと。

すぐ済むと思って後回しにしたちょっとだけ苦手な作業達。

  

出来る気配もない。

 

コツを聞くのも恥ずかしくなるような簡単なことのはずなのに出来ない。

できない自分にはなにか人にはないよく分からない欠陥があるんじゃないかと思ったり。

例えば、見当識障害みたいな。

(いや、実際私にはとっさの時に左右の見当識を失う傾向があったりするのだけど。

 

なにかコツがあるんじゃないかと思って鍵を探し続けた。

 

西に裏技があると聞けば教えを請いに行くのは面倒くさいのでサイトを探して読み、

東に超絶便利なアイテムがあると聞けばネットで探して買い、みたいな日々。

 

実際、技術的な改善は必要だった。

例えばメモをとっても物理的にメモを残すことができないというのは技術的な問題だった。

メモ帳自体が身につかない。

気付いたらどこかにいってしまう。

 

スマホをもつようになったのが一つのブレークスルーだったかもしれない。

 

でも、スマホEvernoteの組み合わせで(迷子になる可能性はあっても)ほぼ確実にどこかにメモが残る体制が整っても実際メモを取る習慣は出来なかった。

 

 

結局、仕事で余裕が出来たことが気付きの切っ掛けとなった。

 

で、表題に戻る。

 

全ては、ちゃんと時間を確保すればできること、であった。

 

実際のところ、判ったからと言って全て解決したわけではない。

今のところ方向性がわかっただけだ。

 

すぐ出来る、のすぐは「ゼロ秒」ではない。

例え目の前にいる誰かを待たせることになっても、他に大事な仕事があっても、時間が無くて締め切りが眼の前でも。必要なことにはゼロではなく、ちゃんと時間を用意しなくてはならない。そんな当たり前のこと。

 

もう一つ言えば、すぐ出来ることは些末なことでは無い。

世界は、自分の人生は、些末なことの組み合わせで出来ている。

些末に見えてとても大切な欠片で。

 

仕事でも同じだった。

本当に無意味な仕事なんてものも実在するのだけど、つまらなく見えても大抵の仕事には意味がある。それも、余裕ができたからこそだった。余裕がなければ鳥瞰的にみることはできない。

全部を見渡すことができれば、大抵のことには意味を見つけることが出来る。

仕事なんだから意味なんてなくてもやるんだよ、と言うのが正論だ。

 

だが、意味のない仕事に振る時間なんて、最初から本当になかったのだ。

 

判っても出来ないのは、私の時間が一日につき24時間しか与えられていないからだ。

ADHDであることの苦しみの本質は、、、

 

いや違うな。

 

私の苦しみの本質は、抱えきれないほど大切なことを抱えていることだった。

 

どれだけ効率を上げても全てのことはこなせない。

 

ショートスリーパーになりたいとか、マルチタスカーになりたいとか。

 

裏目に出てADHDを悪化させることばかりしてきたのも、結局は足りない時間をやりくりしたいと言う願望が故だったと思う。

 

結局そのせいで、膨大な時間を失うことになったのだけど。

 

 

人と同じだけあったはずの私の時間が人より少なく思えたのも自分の願望に拍車をかけた。

ADHDであることの非効率さが、つまり自分の性能の悪さが一つ。

 

もう一つ、気付いたことがある。それは自分の認知の歪みだ。

 

それは「索引」に対する評価が低いこと。

物や情報が迷子になるのは、索引がないからだ。

索引があれば人生の効率は何倍にもあがる。

「索引」は内容と同じぐらい大切だ。

 

 

考えてみれば、索引を作るという本来大切にすべき手順をすっ飛ばすようになったのも、足りない時間を補うために編み出したショートカット法なのだと思う。浅薄という言葉が相応しい。物心もついていないころの自分に投げかけるのは、心苦しいけどね。

 

 

 

「急がば廻れ」

そんな、特に探すまでも無く自分の中でも常識だった、当たり前に思っていたことがなによりも自分の人生を改善する魔法の「秘訣」だったのだ。

 

 

当たり前すぎて、普通の人にはネタに思える文章かも知れない。

ADHD脱出に関する示唆になるのかも判らない。

読み返すと自分自身がとてつもないバカに思える(実際そうなんだろう

 

でもまあ、このくだらない気付きこそが今の私に取って「記録」するのに相応しい「記憶」の大切な欠片なのだ。