同僚のなかで私が一番仲良しだと(勝手に)思っているのは隣の席の30代女性だ。
中2の息子と小3の娘のお母さんである。
私より10程若いこともあるけど、おばさんと呼ぶのがそんなに相応しくなく感じる。
私は密かに「姐さん」と呼んでいる(心の中で
パートさんなんだけど仕事の出来る人で私なんかより今の仕事にずっと適性があると思う。
頭の回転の速さと生真面目さが同居していて、それこそ姉御キャラで年上にも年下にも同じぐらいの歳の同性にも好かれる性格的にも申し分のない人だ。
そんな彼女にも弱点がある。
とにかく打たれ弱い。些細な失敗でもとても重大に受け止め、精神的な落ち込みを一人で解消できない。
あの生真面目さは失敗を恐れるが余りなのかも知れないと思うほど。
4月から面子がだいぶ変わったのだが、とにかくうちの職場は風通しが良い。失敗を誰もため込まず、判明した瞬間に皆で共有してあっというまに解消してしまう。
4月からはそこまで出来ているのか若干不安もあるのだが、私にとってはその空気がとても心地よく、なんとか4月からの体制もそうできたら良いなと切に願い努力しているほどだ。
あるいは、その空気も大切な戦力である彼女を守るために自然にうまれたのかもしれない、と思うぐらい、彼女の不安症はわかりやすい。
まあ、ちゃんとケアしてあげればその日のうちに大抵は解消するのだけど。
異動の多い職場ということもあり、今は彼女が最古参。2年目に入った私も古株になってしまった。
そんなこともあって、とにかく彼女の精神状態のケアにはある意味自分の仕事以上に気を遣っていたりする。(ヲイ
さて、今日のお昼のこと。
その姐さんが事務所の隣の倉庫でなにやら携帯で話している。
子どもを抱えるお母さんだけに昼に電話すること自体は珍しいことではない。
が、珍しく通話をしながら事務所に戻ってきたところを見て「オヤ?」と思う。
まあ、プライベートなことだろうし、そしらぬふり、我関せずで通そうかな、と思ったのだが、なぜか電話をしながらも彼女が視線を合わせてくる。元々色白の顔色が青白くみえる。
目元がピンクに染まっている。
なんぞ?と思ったらそのまま定位置の私の隣に。
電話で話しをしながら、なぜか通話中にとったメモをそれとなしに私に見えるように置く。そこには、、、
なぜか「カリビアンコム」という私にはなじみ深いけど彼女の人生の中に登場するとは思えない固有名詞が、、、
えー、と思いつつさらにメモに視線を走らせるとヤフーサポートセンターなんて文字が。
不安にクシャクシャになりそうなところを踏ん張って勤めて冷静になろうとする声で話す内容は、、、
「コンビニ、、、、ATM、、、請求、、、裁判」
なんてアレな言葉が漏れ聞こえる
えーっと、これはもうアレだよね。
意を決して通話に割り込む。
「どしたの?」
通話しているはずの電話をこちらに向けて堰を切ったようにこちらに説明し始める。
「SMSでヤフーサポートセンターからメッセージが来て。債権があるからすぐ支払ってくださいって。去年の5月ぐらいになんか有料サイト使ったとか、、、」
「いや、それ典型的なアレだから。とりあえず切りなよ」
「え」
「なんか切っちゃダメって。すぐ払わないと裁判とか言ってる」
「まあ、とりあえず正式な請求だったらそういうことは言わないから」
「なんなの、これ?」
「もー笑っちゃうほどお約束な振り込め詐欺にみえる」
「」
ためらいながらも「いっぺん保留にさせてもらいます」なんて最後まで丁寧に電話を切る。
履歴に残った番号で検索すると詐欺番号として告発されているけど、その告発サイト自体がなんだか怪しげなサイトなんていうコテコテぶり。
そこに至る前に本人確認のためとか言われて自分の誕生日と旦那さんの携帯番号を伝えてしまっていたようで、、、
そこからは職場中かかって
・番号がほかの「業者」に流れる可能性もあるのでしばらく注意すること。
・心配だったら携帯の番号変えよう。
・警察にも窓口あるし、市役所に消費者相談もある。
・住所まではたどり着いてないだろうけど、万が一裁判所からの召集令状が来たらクシャポイするまえにしかるべきところに相談すること。
なんてフォローを始める。
たまたまその後に事務所に来た余所の部署の彼女と仲の良い上役さんも交えてなんとかムードを変えられたと思うけど、、、
まさか、ちゃんとしている彼女がそんな話しにまともに取り合うとは思っていなかった。
なんとなく、標的はもっと高齢者とか、あるいはもっと社会を知らない若い子とか、すくなくとももっと頭の中がとっちらかってる人(薬飲んでない状態の私みたいな)かと思い込んでいた。
でも、客観的に、かつリアルタイムに状況を見て改めて感じたのは、
「これは地頭では対処できないことなんだろうな」
ということ。
不安につけ込まれている状態っていうのは、ストレスに晒されて視野が狭くなっている状態だ。まして、お母さんであれば自分だけのことではなく家族のことなども背負って考えてしまうだろう(有料サイトとはほど遠い彼女だったが、去年ぐらいからiPadを貸し与えていた息子さんのことを考えてしまったようだ。)
お恥ずかしい話しだが、電話やネットでこそ「仕掛けられた」経験はあっても「だまされる」ところまではいっていない私だけど、実は20代のころ、かの「アール〇バン」からシルクスクリーンを50万円ほどで購入したことがある。ええ、かの著名な「トンズラー」のモデルではないかという噂もあった画家さんの作品で。
今考えても不思議なのだが、私は全然その絵が好きじゃ無かったのだ。
ちっとも惹かれなったし、飾りたいとも思わなかった。
どのみち当時は6畳一間を例によって汚部屋にしていて絵なんか飾る隙もないどころか置き場にも困るようになることは買う前から明白だった。
にも関わらず、なぜか1時間ほど缶詰にされてリアルタイムに絵の値段が上がっていく電話のやり取りを聞かされたぐらいで購入のサインをしていた。
今思い返してみると、どの絵なら「投資」の対象になり得るか、みたいな基準で考えていて、それで敢えて自分が好きでもない絵を買ったような記憶が微かにある。
投資するにしても版画に50万円とかありえんだろう、と思うのは今だから。
即断即決を迫られる状況自体が詐欺の舞台装置だ、なんてことも逆に言えばあの経験があるからしっかり自分に刻まれているのかも知れない。
そう考えると50万ぐらい安い物、なんてことは口が裂けても言えなくて、今にもまして薄給な上に一人暮らしをしていた私はそこを起点に始まった借金地獄にしばらく苦しむことになった。
30前後ぐらいで思い切って親に泣きついて財務体質の改善を図って以降絶対に利子のつく金は借りなくなったしちゃんと対処できなかった悔しさを晴らしたいという思いで財務や投資に関する勉強もかなりして、日本人としては良い意味で「お金にキタナイ」人間になれている、とは思う。
ま、自分で適正と思う程度にリスクは取っているので、今の景気が崩れたらその自己評価も一変するかもしれないけどね(^_^;)
閑話休題。
思い返した自分の経験も含めて実感するのは、隙があるとかないの話しではないということ。
誰もが遭遇しうることだし、田舎だからと言って手加減してもらえる話しでもない。
事例を学ぶことはすぐにでもできることだし、被害を受ける前に免疫をつけるために講習をうける機会があれば積極的に受けておいた方が良いと思う。
ただ、なんでもかんでも疑ってかかるという生き方がでは良い生き方なのかと言えば、そんなことはない、と思う。
可能であるなら人の言葉は素直に受け取りたい。
誰もが信じられる社会があるとするなら、それは総じてコストパフォーマンスの高い社会だと言える。
そうなればみんな多かれ少なかれ幸せになれるはずなのになぜそうならないのかと言えば、やはり「格差」が諸悪の根源の一つ、というのが昨今の情勢から割と短絡的に導かれるところではあるけど、私個人としては至上の価値があると信じている「多様性」という言葉もバベルの塔のエピソードを引くまでもなく、コミュニケーションに対するコストにはなり得る。
単純じゃないし、単純に捉えようとしてしまうと某国のように自国語が不如意な大統領の誕生みたいな「大事故」を起こすことにもなりかねない。
残念だけど、「各自自分の状況に合わせてそれなりに備えよ」、ぐらいのことしか言えないのかな、、、