自分で確保しなければなにかをするための時間は永遠にやってこない。

いや、表題のとおりでそれ以上はなにもないんだけど。

今からクダクダと書き続けるのはそんな内容だ。

 

貴重な時間を使ってこの文章を読む気になった人は最初からそのことを覚悟して欲しい。

 

 

実は私がこの事実に気付いたのはこの5月のことだった(って今月やないか

 

 

「後でしよう」というのはADHDの得意技の一つだと思う。

少なくとも私はそうだった。

 

筋金入りで、例えば30分以上作業時間がかかるようなことを後伸ばしにする習慣はほぼ物心ついてから。だが、それはまだ自覚がある分マシですらあったと思う。

 

例えば、メモを取ること。

あるいは、今使った物を元あった場所に戻すこと。

すぐ済むと思って後回しにしたちょっとだけ苦手な作業達。

  

出来る気配もない。

 

コツを聞くのも恥ずかしくなるような簡単なことのはずなのに出来ない。

できない自分にはなにか人にはないよく分からない欠陥があるんじゃないかと思ったり。

例えば、見当識障害みたいな。

(いや、実際私にはとっさの時に左右の見当識を失う傾向があったりするのだけど。

 

なにかコツがあるんじゃないかと思って鍵を探し続けた。

 

西に裏技があると聞けば教えを請いに行くのは面倒くさいのでサイトを探して読み、

東に超絶便利なアイテムがあると聞けばネットで探して買い、みたいな日々。

 

実際、技術的な改善は必要だった。

例えばメモをとっても物理的にメモを残すことができないというのは技術的な問題だった。

メモ帳自体が身につかない。

気付いたらどこかにいってしまう。

 

スマホをもつようになったのが一つのブレークスルーだったかもしれない。

 

でも、スマホEvernoteの組み合わせで(迷子になる可能性はあっても)ほぼ確実にどこかにメモが残る体制が整っても実際メモを取る習慣は出来なかった。

 

 

結局、仕事で余裕が出来たことが気付きの切っ掛けとなった。

 

で、表題に戻る。

 

全ては、ちゃんと時間を確保すればできること、であった。

 

実際のところ、判ったからと言って全て解決したわけではない。

今のところ方向性がわかっただけだ。

 

すぐ出来る、のすぐは「ゼロ秒」ではない。

例え目の前にいる誰かを待たせることになっても、他に大事な仕事があっても、時間が無くて締め切りが眼の前でも。必要なことにはゼロではなく、ちゃんと時間を用意しなくてはならない。そんな当たり前のこと。

 

もう一つ言えば、すぐ出来ることは些末なことでは無い。

世界は、自分の人生は、些末なことの組み合わせで出来ている。

些末に見えてとても大切な欠片で。

 

仕事でも同じだった。

本当に無意味な仕事なんてものも実在するのだけど、つまらなく見えても大抵の仕事には意味がある。それも、余裕ができたからこそだった。余裕がなければ鳥瞰的にみることはできない。

全部を見渡すことができれば、大抵のことには意味を見つけることが出来る。

仕事なんだから意味なんてなくてもやるんだよ、と言うのが正論だ。

 

だが、意味のない仕事に振る時間なんて、最初から本当になかったのだ。

 

判っても出来ないのは、私の時間が一日につき24時間しか与えられていないからだ。

ADHDであることの苦しみの本質は、、、

 

いや違うな。

 

私の苦しみの本質は、抱えきれないほど大切なことを抱えていることだった。

 

どれだけ効率を上げても全てのことはこなせない。

 

ショートスリーパーになりたいとか、マルチタスカーになりたいとか。

 

裏目に出てADHDを悪化させることばかりしてきたのも、結局は足りない時間をやりくりしたいと言う願望が故だったと思う。

 

結局そのせいで、膨大な時間を失うことになったのだけど。

 

 

人と同じだけあったはずの私の時間が人より少なく思えたのも自分の願望に拍車をかけた。

ADHDであることの非効率さが、つまり自分の性能の悪さが一つ。

 

もう一つ、気付いたことがある。それは自分の認知の歪みだ。

 

それは「索引」に対する評価が低いこと。

物や情報が迷子になるのは、索引がないからだ。

索引があれば人生の効率は何倍にもあがる。

「索引」は内容と同じぐらい大切だ。

 

 

考えてみれば、索引を作るという本来大切にすべき手順をすっ飛ばすようになったのも、足りない時間を補うために編み出したショートカット法なのだと思う。浅薄という言葉が相応しい。物心もついていないころの自分に投げかけるのは、心苦しいけどね。

 

 

 

「急がば廻れ」

そんな、特に探すまでも無く自分の中でも常識だった、当たり前に思っていたことがなによりも自分の人生を改善する魔法の「秘訣」だったのだ。

 

 

当たり前すぎて、普通の人にはネタに思える文章かも知れない。

ADHD脱出に関する示唆になるのかも判らない。

読み返すと自分自身がとてつもないバカに思える(実際そうなんだろう

 

でもまあ、このくだらない気付きこそが今の私に取って「記録」するのに相応しい「記憶」の大切な欠片なのだ。

 

 

ある日、姐さんが事件だった話し。

同僚のなかで私が一番仲良しだと(勝手に)思っているのは隣の席の30代女性だ。

中2の息子と小3の娘のお母さんである。

私より10程若いこともあるけど、おばさんと呼ぶのがそんなに相応しくなく感じる。

私は密かに「姐さん」と呼んでいる(心の中で

 

パートさんなんだけど仕事の出来る人で私なんかより今の仕事にずっと適性があると思う。

頭の回転の速さと生真面目さが同居していて、それこそ姉御キャラで年上にも年下にも同じぐらいの歳の同性にも好かれる性格的にも申し分のない人だ。

 

そんな彼女にも弱点がある。

とにかく打たれ弱い。些細な失敗でもとても重大に受け止め、精神的な落ち込みを一人で解消できない。

あの生真面目さは失敗を恐れるが余りなのかも知れないと思うほど。

 

4月から面子がだいぶ変わったのだが、とにかくうちの職場は風通しが良い。失敗を誰もため込まず、判明した瞬間に皆で共有してあっというまに解消してしまう。

4月からはそこまで出来ているのか若干不安もあるのだが、私にとってはその空気がとても心地よく、なんとか4月からの体制もそうできたら良いなと切に願い努力しているほどだ。

 

あるいは、その空気も大切な戦力である彼女を守るために自然にうまれたのかもしれない、と思うぐらい、彼女の不安症はわかりやすい。

まあ、ちゃんとケアしてあげればその日のうちに大抵は解消するのだけど。

 

異動の多い職場ということもあり、今は彼女が最古参。2年目に入った私も古株になってしまった。

そんなこともあって、とにかく彼女の精神状態のケアにはある意味自分の仕事以上に気を遣っていたりする。(ヲイ

 

 

さて、今日のお昼のこと。

 

その姐さんが事務所の隣の倉庫でなにやら携帯で話している。

子どもを抱えるお母さんだけに昼に電話すること自体は珍しいことではない。

が、珍しく通話をしながら事務所に戻ってきたところを見て「オヤ?」と思う。

 

まあ、プライベートなことだろうし、そしらぬふり、我関せずで通そうかな、と思ったのだが、なぜか電話をしながらも彼女が視線を合わせてくる。元々色白の顔色が青白くみえる。

目元がピンクに染まっている。

なんぞ?と思ったらそのまま定位置の私の隣に。

電話で話しをしながら、なぜか通話中にとったメモをそれとなしに私に見えるように置く。そこには、、、

 

なぜか「カリビアンコム」という私にはなじみ深いけど彼女の人生の中に登場するとは思えない固有名詞が、、、

えー、と思いつつさらにメモに視線を走らせるとヤフーサポートセンターなんて文字が。

 

不安にクシャクシャになりそうなところを踏ん張って勤めて冷静になろうとする声で話す内容は、、、

「コンビニ、、、、ATM、、、請求、、、裁判」

なんてアレな言葉が漏れ聞こえる

 

えーっと、これはもうアレだよね。

 

意を決して通話に割り込む。

「どしたの?」

 

通話しているはずの電話をこちらに向けて堰を切ったようにこちらに説明し始める。

「SMSでヤフーサポートセンターからメッセージが来て。債権があるからすぐ支払ってくださいって。去年の5月ぐらいになんか有料サイト使ったとか、、、」

 

「いや、それ典型的なアレだから。とりあえず切りなよ」

 

「え」

「なんか切っちゃダメって。すぐ払わないと裁判とか言ってる」

 

「まあ、とりあえず正式な請求だったらそういうことは言わないから」

 

「なんなの、これ?」

 

「もー笑っちゃうほどお約束な振り込め詐欺にみえる」

 

「」

 

ためらいながらも「いっぺん保留にさせてもらいます」なんて最後まで丁寧に電話を切る。

 

履歴に残った番号で検索すると詐欺番号として告発されているけど、その告発サイト自体がなんだか怪しげなサイトなんていうコテコテぶり。

 

そこに至る前に本人確認のためとか言われて自分の誕生日と旦那さんの携帯番号を伝えてしまっていたようで、、、

 

そこからは職場中かかって

 ・番号がほかの「業者」に流れる可能性もあるのでしばらく注意すること。

・心配だったら携帯の番号変えよう。

・警察にも窓口あるし、市役所に消費者相談もある。

・住所まではたどり着いてないだろうけど、万が一裁判所からの召集令状が来たらクシャポイするまえにしかるべきところに相談すること。

 

なんてフォローを始める。

 

たまたまその後に事務所に来た余所の部署の彼女と仲の良い上役さんも交えてなんとかムードを変えられたと思うけど、、、

 

 

まさか、ちゃんとしている彼女がそんな話しにまともに取り合うとは思っていなかった。

なんとなく、標的はもっと高齢者とか、あるいはもっと社会を知らない若い子とか、すくなくとももっと頭の中がとっちらかってる人(薬飲んでない状態の私みたいな)かと思い込んでいた。

 

でも、客観的に、かつリアルタイムに状況を見て改めて感じたのは、

「これは地頭では対処できないことなんだろうな」

ということ。

不安につけ込まれている状態っていうのは、ストレスに晒されて視野が狭くなっている状態だ。まして、お母さんであれば自分だけのことではなく家族のことなども背負って考えてしまうだろう(有料サイトとはほど遠い彼女だったが、去年ぐらいからiPadを貸し与えていた息子さんのことを考えてしまったようだ。)

 

 

 

お恥ずかしい話しだが、電話やネットでこそ「仕掛けられた」経験はあっても「だまされる」ところまではいっていない私だけど、実は20代のころ、かの「アール〇バン」からシルクスクリーンを50万円ほどで購入したことがある。ええ、かの著名な「トンズラー」のモデルではないかという噂もあった画家さんの作品で。

 

今考えても不思議なのだが、私は全然その絵が好きじゃ無かったのだ。

 

ちっとも惹かれなったし、飾りたいとも思わなかった。

 

どのみち当時は6畳一間を例によって汚部屋にしていて絵なんか飾る隙もないどころか置き場にも困るようになることは買う前から明白だった。

 

にも関わらず、なぜか1時間ほど缶詰にされてリアルタイムに絵の値段が上がっていく電話のやり取りを聞かされたぐらいで購入のサインをしていた。

 

今思い返してみると、どの絵なら「投資」の対象になり得るか、みたいな基準で考えていて、それで敢えて自分が好きでもない絵を買ったような記憶が微かにある。

 

投資するにしても版画に50万円とかありえんだろう、と思うのは今だから。

 

即断即決を迫られる状況自体が詐欺の舞台装置だ、なんてことも逆に言えばあの経験があるからしっかり自分に刻まれているのかも知れない。

 

 

そう考えると50万ぐらい安い物、なんてことは口が裂けても言えなくて、今にもまして薄給な上に一人暮らしをしていた私はそこを起点に始まった借金地獄にしばらく苦しむことになった。

30前後ぐらいで思い切って親に泣きついて財務体質の改善を図って以降絶対に利子のつく金は借りなくなったしちゃんと対処できなかった悔しさを晴らしたいという思いで財務や投資に関する勉強もかなりして、日本人としては良い意味で「お金にキタナイ」人間になれている、とは思う。

ま、自分で適正と思う程度にリスクは取っているので、今の景気が崩れたらその自己評価も一変するかもしれないけどね(^_^;)

 

 

 

閑話休題

 

思い返した自分の経験も含めて実感するのは、隙があるとかないの話しではないということ。

誰もが遭遇しうることだし、田舎だからと言って手加減してもらえる話しでもない。

事例を学ぶことはすぐにでもできることだし、被害を受ける前に免疫をつけるために講習をうける機会があれば積極的に受けておいた方が良いと思う。

 

ただ、なんでもかんでも疑ってかかるという生き方がでは良い生き方なのかと言えば、そんなことはない、と思う。

可能であるなら人の言葉は素直に受け取りたい。

誰もが信じられる社会があるとするなら、それは総じてコストパフォーマンスの高い社会だと言える。

 

そうなればみんな多かれ少なかれ幸せになれるはずなのになぜそうならないのかと言えば、やはり「格差」が諸悪の根源の一つ、というのが昨今の情勢から割と短絡的に導かれるところではあるけど、私個人としては至上の価値があると信じている「多様性」という言葉もバベルの塔のエピソードを引くまでもなく、コミュニケーションに対するコストにはなり得る。

 

単純じゃないし、単純に捉えようとしてしまうと某国のように自国語が不如意な大統領の誕生みたいな「大事故」を起こすことにもなりかねない。

 

 

 

残念だけど、「各自自分の状況に合わせてそれなりに備えよ」、ぐらいのことしか言えないのかな、、、

 

ある「勇者」への私信的ななにか。

最近、と言うか今年の頭ぐらいからチェックしているブログが「ADHDのラスカルの手帳」

エゴサーチするように、たまにADHDでサーチをかける。そんな過程で見つけた。

 

ADHD持ちと言っても人それぞれ、症状も社会的状況も治療過程もホントに誰一人として自分と全く同じという人には出会わない。

 

でも、ブログに綴られる苦しみの欠片は共通言語として「認識」することができる。

 

完治する類いのものでもないから少しでも有益な情報が欲しい、ということもあるのだけど、その痛みを同病の他人の言葉を通して確認したい、という気持ちが繰り返し「ADHD」情報をサーチする動機になっている気もする。

 

 

池田ラスカル氏の文章の特徴は、とりわけその「痛み」の描写にあると思う。

ADHDの苦しみは多様な表現型を示すけど、なにが苦しいってどんな形をとるにしてもそれがただひたすら「みっともない」ことが苦しさの元なんじゃないかと、個人的には思っている。言ってみれば、その痛みは人間としての矜持をピンポイントで傷つけていくのだ。

 

池田ラスカル氏はどうしてそこまで直視できるのか判らないぐらい、自分の「みっともなさ」を克明にしたためる。

慌てて、取り乱して、子どものように無力にただカオスの波に翻弄される自分を飾りもせずに書き綴る。

その克明さ、隠し立てのなさは、いっそ氏の「強さ」なのではないかと思ったりもするのだ。

 

 

私はもっとずっと弱い。ADHDであることを、なんとなく範囲を限定してカミングアウトしているけど、どうしてもその看板を掲げて暮らすことは出来ていない。手帳をとったら楽になれるかもと思いつつ、それも果たせないでいる。

なにより、カミングアウトをするときでさえ、可能な限り取り繕って格好をつけながら行っている。

 

自分の生活圏は半日もすれば汚部屋、ゴミ屋敷になる。一粒の種から腐海の森が広がるみたいに。

頭の中は取り散らかり、忘れ物、無くし物、落とし物は数知れず。子どものように泣きたい気持ちを堪えながら探すことが嫌で、少しのことならお金で解決する悪癖が抜けない。

勘違い、早とちり、思わず口を突いて出る本音で廻りを傷つける。大人になればシャレでは済まないこともある。今でも自分の発作的な発言が飛び出すことを恐れる気持ちは止まない。

 

そして、どれも多少マシになったって劇的に変わっているわけじゃない。

当たり前なのだが、かっこよさなんて欠片もない。

なのに、恐ろしいことに、私は自分を語るとき、そんな自分ですら取り繕っている。

 

「感動ポルノ」の自作自演。

 

それでいて、どこかで本当の自分を知って欲しいと思っている。

いつか自分を「リプリー」になぞらえて、永遠に虚飾を虚飾で塗り固め続ける自分の苦しさを訴えたことがあるけど、実際のところそんな小器用でもないし、技巧的でもない。もちろん、本人はマット・デイモンとは似ても似つかないしね。

もっと矮小な、「ペンフレンドについた嘘で雁字搦めになる馬鹿な小学生。」ぐらいが関の山。

いや、顔を真っ赤にさせてもまだ「飲んでない」って言い張る酔っ払いぐらいかな。

 

どっちにしても例えてる時点で逃げてる。

 

ありのままのみっともない自分を見つめられない。振り返って書き起こすことができないでいる。

 

本来、僕のように多少なりとも苦しみから逃れることが出来た「脱獄成功者」こそ、情報を共有しなければならないのに。

 

 

 

囚われすぎるより、前に進んだ方が良いという思いもある。それ自体逃げの産物なのかも知れないけど。

なまじ一番苦しい時期を通り抜けたからこそ、過去に囚われて時間を巻き戻してしまうかも知れないと、今は恐れているのかも知れない。わからんけど

この場所は、少しでも自分の経験を記すことが出来れば、と言う想いで用意したはずなのに、実際は筆が思った方に向かっていない。

もっと傷が乾けば、とか、書きためているうちに勢いがつくかもとか、思うこともあるけど、結局単に「苦手なことから逃げてる」ってだけなのかもしれない。

 

 

自分は逃げすぎている、とは思うけど、池田ラスカル氏は直視しすぎているんじゃないか、とも思ったりする。

書くことが癒やしになる、と自分の経験から理解はしているけど。

あるいは、ADHDこそ生まれ持った「自分の最大の武器」という奇妙だけどもし持っていれば共感もしてしまうような思いも、もしかしたらもってみえるのかもしれない。

実際、良く書けているとも思う。ちゃんとしたフォーマットに理路整然と自分のリアルな苦しみを載せるのは勇気と精神力が必要な作業だ。

 

ただ、あまり自罰的にならないで欲しいと、思ったりもする。

ご本人に自覚はないのかもしれないけど、今、少しは楽に生きられるようになった自分と池田ラスカル氏を分けている一番大きな溝は、「必要以上の自己否認」の大きさに他ならないと思う。

低すぎる自己評価はそれ自体反省も改善も産みはしないという冷酷な一面がある。

強烈な自己否認はそれ自体が強力に作用する「認知の歪み」に他ならない。

 

例えば、この記述

 

ADHDで注意欠陥のある私にとっては、単純な作業の繰り返しでも、かなり神経をつかっています。

私のADHD、そして不安障害との逃げられない戦い - ADHDのラスカルの手帳

 

単純な作業の繰り返しは、実はADHDにとって一番苦手な作業だと思う。当たり前な話しだが、まして作業現場が低温倉庫だったりすれば、それはADHDでなくても普通に過酷な現場だ。

 

逆に言えば、その職場でなんとか勤め上げた日々もあることをこそ誇るべきなのかもしれない。

 

そしてもし、「自分には難しいことはできない、サルでもできるレベルの仕事を選ぼう」という無意識の選択があるとしたら、実はその選択は自分が最悪に苦手な分野を指向していることを意味しているのかもしれない。

 

 

私について言えば、結果的に自分をより冷静に客観的に見られるようになったこの1、2年の間にあった「劇的な発見」のうちの一つは、実は自分にも長所がある、と言うことだった。

 

絶対自分が得意ではないと決めつけていた折衝事、会議の議長役、議論等のいわゆるコミュニケーション関連。気がついたらむしろ人材不足の田舎にいれば自分が比較優位に立てていた。

 

施設の修繕、財務処理、書類の調整。ADHDには苦手な分野での経験の積み重ねも、気がついたら自分のポートフォリオに収まっていた。

 

ADHDが向かない職業を、結果的に私も消極的に選択している。具体的にはルーティンワークの多い事務職。それでも、仕事の中身を腑分けしてみれば自分を活かせる分野がいくらでも見つかるようになった。もちろん薬によるブーストがあって初めて実現していることが多いのだけど。

 

思い返すと最大の障壁は仕事に対する恐怖感。そしてそれは、おそらくは、子どもの頃から降り積もった自己否認に起因するのだろうと思う。その重しが取れた瞬間あらゆる所に自分の可能性が無造作に落ちていたことに気付けた。

 

「最後の大きな一歩」はEMDRの施術を受けた2~3ヶ月の間に起こったけど、諸々考えればADHDの診断が出る前を含めて20年以上、可能性を追求した全てのことの積み重ねがあってやっと今の心境にいる。

 

だから、自分の経験を引いても簡単にできる、なんてことは言えない。

 

それでも、道は絶対にある。全部を解決する魔法の合鍵は多分ないけど。ブログの記述の中からも、体を動かすことや、不安症状の解消など、勉強してみえる方向性の中には自分の軌跡と重なる部分も多い。

 

なにより、自分を改善することについて前向きなことが良いと思う。

 

 

この20年でADHDを取り巻く環境は劇的に変わった。

 

リタリンのオーバードゥーズが社会問題になったのが2007年。

ストラテラの成人対象処方が認証されたのが2012年。

コンサータの成人処方解禁2013年。

もちろん、薬はどれも万能薬でない。あくまでアシスト役だけど、それなしで足場を固めるのはとても難しい。

そして、少なくとも日本がADHD罹患者への支援を法的に打ち出した2005年以降(先駆的な医療機関ではもっと前から)ADHDへの対処法の経験値を多くの医療機関が積んだ年月でもある。

自分が経験したものだけでも、認知行動療法、ACT、if-thenメソッド、マインドフルネス瞑想、ワーキングメモリの改善、EMDR等々。

 

池田ラスカル氏にしても、他の若いADHD罹患者にしても、もちろん相応の苦難と努力は要求されるだろうけど、20代の私のように「手はないのかもしれない」と絶望する必要はもはやない。

 

報われる日は意外と早くくるかもしれない。

 

それまで、楽観することも絶望することもなく、ただ粛々とその日がくるという事実を信じて前に進むこと、だけで良いと思う。

 

読書感想文「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」について。

 

いつか別れる。でもそれは今日ではない

いつか別れる。でもそれは今日ではない

 

 

久しぶりに詩集らしきものを読んだ。いや、随筆なのだろうか。

 

「韜晦されている」

 

ということがどういう状態なのか、身をもって体験したのは久しぶりのことだった

 

性別も年齢も判らない。

 

そもそも著者の「F」氏とは。 ・男性 ・Twitterでフォロワーが10万人超え(‪@No_001_Bxtxh ‬) ・既婚者 ・新宿に住んでいる

『いつか別れる。でもそれは今日ではない』を読んだ【男性から見た素敵な女性について】 - 自分の為に沸かすミルク

 

この人は男性だと解釈したようだ。

だが、プロフとして掲載されているのは

 

F(エフ)

11月生まれ。黒髪。猫が好き。でも猫アレルギー。好きなものは東京タワーと映画と散歩と冬とペルシャ猫、あと女嫌いな女。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」 より

 

との一文であり、「私の一般論データベース」によれば、「女嫌いな女」を好きなのはむしろ女性にありがちなプロフィールである。しらんけどね

 

むろん、理性的に回答すれば、このプロフィールは性別を韜晦している、ということになる。

 

セフレを常時五人以上抱えている、まさに女の敵の代表格ともいえるような男友達に「セフレってなんですか」と訊くと、「男女の友情の最終到達地点」と即答されたことがある。「じゃあセフレが恋人に昇格したりすることもあったりするんですか」と全国のセフレになったことのある女を代表して私は訊ねた。「彗星が俺の頭に直撃する確率より低い」とか「肘を顎にくっつけられる可能性より低い」とか、そういう回答が返ってくるかとかと思ったが、なんとかれは「あるよ」と答えたのである。

「ある。でもまあ、向こうとこっちの気分次第だけどね」

あぁ、と思った。気分に勝てるものなどこの世に存在しない。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」058 セフレの品格 より 

 

「女を代表する」、という書きぶりは自身が「セフレになったことのある女性」であり、その属性を持つ集団を代表する形で発言している、とも取れるが、回答を知りたいであろう、その属性集団の意志を(勝手に想像した上で)代行して発言している、とも取れなくもない。

 

プロフが読めない、と言う点では、前半ほど書かれていることの中に「青臭くて読むに堪えない」ことが散見されるのに、章が進むにつれて書いている人間の中身がそれなりに熟成されていく傾向がある、ということも感じた。

 

出だしの章で連発されている「安い恋愛ノウハウ」の連発には閉口する。察するに、自分はある程度老成している、と勘違いしている20代後半の男性からより若い女性に向けたもの、のように私には読めた。30代手前に自分はもう若くない、とか真顔で言う手合いの書きそうなこと。

 

そんなものに需要があるなんて、思いもよらなかった。

 

実は、人から薦められたから読んだ本だった。

 

Jさん、いったいどうしちゃったんだろう、というのが偽らざる最初の感想だった。

 

実際、ネットの書評はかなりブレのあるものだったようだ。

 

恐らく答えは

 

 こんなことが書きたいのではなかったし、こんな人生を歩む予定ではなかった。と思いながら、こんなことを書いていたら、もう春になって、こんな年齢になっていた。この本の文章は、すべて携帯電話で書いた。メールの下書きに書いては自分で自分に送り続けた。書いている間ずっと、十九歳の時、東京で一人ぼっちだった自分のことを考えていた。

  あなたは僕を見つけたつもりだろうけど、もうとっくに遅いよ。さようなら。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない」おわりに より

 

といったところから読み解くことができるのかな、と思っている。

 

とても勇敢に、青いなりの時分にしか書けないことも編集削除せずに引っ張り出してきて、需要があればどうぞと世に問うたのかもしれない。

あるいは、もしかしたら10年単位で書き連ねた物をまとめて発表する、というこの形態を実験的に採用したのかも知れない、とも思ったり。

 

と、言うわけで個人的には全文通して全てに共感する、とはおもわない。

ひょっとしたら夭逝した天才文学少年の遺したノートのように、ところどころに見つかるまばゆい煌めきを楽しむ、というのが特に前半部分の正しい楽しみ方なのかも知れない。

 

Twitter上のプロモーションの「巧みさ」も含め、これは、「ある日の文学少年少女達」に向けた、おまえら、みんなこんなことやってただろ?と言う公開羞恥プレイともとれる。

 

ええ、僕はまだやってます。(単なる被害妄想です

 

せめてこのぐらい上手に出来るなら良かったのに、とか、明日から本気出せばこのぐらい、と思えるところが憎たらしい。(思うだけで絶対届かないだろうけど

 

後半の少し老成した内容が個人的にはまともに響く。良い本に出会ったときの他人から人生を分けてもらっている贅沢感を存分に味わえる。

 

 私が一等好きなのは、やらないことや言わないことは互いに完全に一致しているのに、やることも言うことも決して自分とは似ても似つかない人だ。価値観は一部同じ、そして一部全然違う。そのことに互いに敬意を持ちあえるひとである。

 

「いつかは別れる。でもそれは今日ではない 061嫌いなものが一致すると長続きする理由 

 

今の自分よりずっとまだ若い時分に書かれている気配がある。きっとこの人なりに濃密な人生を歩んでいて、私よりずっと確かな足取りで時を積んでいるのだろうと少し悲しくなったり。こんな素敵で言われてみれば当たり前な気付きを、もっと早く分けて欲しかった。

 

考えてみれば、今読んでいる本の半数以上は自分より年下の著したもので、もちろん「若いな」と思いながら読むものもあるが、そんなことを意識せずに「先生」に教えを請うている心持ちで読んでいたりもする。

 

気にする方がおかしいのだろう。

 

ADHDに流されて「失った」と感じる時間を悔いることからは意識してもなかなか逃れられない。悪癖だと思う。

 

むしろ、とてつもない時間をかけた回復の過程こそ自分のオリジナルとして誇れるようになりたい。

 

そんな、本の内容と関係のないことを読み進める中ずっと考えてしまったのは、この韜晦し続ける本のもつ、ひとつのメカニズムの作用なのかもしれない、と言ってしまったら言い過ぎなのだろう、な。 

 

救いはそれぞれの人にある、のかもしれない。

 

www.yutorism.jp

 

この3月までの1年間、似たようなことを自分の身の上話として体感しました。

もちろん自分は無能な側で。


もう異動してしまったお手本になってくれた人は、とてもひょうひょうと仕事をする人でした。

それまでの私は裏の裏まで読んで、出来の悪い中でも理想を目指して120%で仕事をしているつもりでした。が、その人の姿勢を見て自分のなにが間違っていたか、その欠片を理解することができました。

 

欠片だけでも劇的でした。


今でも100%にも届いていないと思いますが、少なくとも「自分で自分に重しをつけることは良くないことだ」ということを理解し、そういう方向に進みそうな自分を修正できるようになりました。

 

「可能な限り簡単に。」

「深刻にならずに、軽やかに。」

 

今でも、深みに落ちそうになる度に”教え”を呪文のように心で唱えています。

 

 


問題点は人それぞれです。

私のように足りない部分を持ち合わせた「メンター」と出会う僥倖に巡り会う人ばかりでは無いと思います。

 

でも、一歩引いて事実を捉え直してみると、もっと普遍的でどんな状況の誰にでも適用され得る教えも、昨年度の経験から読み取れるかもしれないと、この一文を読んで新たに気付きました。

 

 

僕が体験したこととこの話には大きな違いがありまして。

お手本になってくれた人は実際僕の3倍働いていたと思います。

その上で、私も、その他の職場の仲間も、皆その人の「余裕」に救われていました。

 

たった一人の持つ余裕が、職場に会話をもたらし、その会話に乗って職場のメンバーそれぞれの持つ知見が、ノウハウとして流通したのです。

流通したのは知見だけではなくて。

明るさだったり、開き直る思考パターンだったり。思いやりの心だったり、仲間として認め合う気持ちであったり。

 

仕事量1/3だった私も、その人が人として等価に扱ってくれることによって随分活かされたと思います。

 

そして、ともすればこれまでのように卑屈になってもおかしくなかった私の矜持は、そのことで救われていた、とも思います。

 

 

 

 

この4月から状況は一転し、彼女の代わりに経験不足な若手がやってきました。

 

彼女の教えを救いにしつつも、僕が急にスーパーになれるわけでも無く。

今はプライベートを削りながら、去年の倍の仕事をなんとかこなしています。

 

自分の限界はそこまで来ているんじゃ無いかという恐れ。

足を引っ張っているように思えてしまう上司。

頑張っているのは判るけど明らかに空回りしている若手。

自分が動かなくては状況が一寸も先に進んでいかないような錯覚。

 

一寸先には闇が横たわっているかもしれないという漠とした不安を感じていました。

でも、この一文に出会い、昨年度の経験を改めて読み解くことで今は、「救いは、もしかしたら自分の中にあるのかもしれない」と感じています。

 

あんな風に出来た人間にはなれない、ではなく。

自分の力が足りないからこそ、みんなの力を活かせるように。

そこにこそ、光の差す方に抜ける道はあるのかもしれない。

 

 

 

週明けとともにやってくる喧噪のなか、この悟りがいつまで持つのか、あるいは突然闇は開けるのか。

 

どん底に落ちる手前の闇の予感の段階で気付きに出会えたこと。そのことこそが吉兆であると信じて、来週に立ち向かおうと思います。

愛国者みたいなことを自称する人達について考えてみた話し。

好むと好まざると愛妻家と呼ばれてしまう人がいる。
世の中にはなんなくこの肩書きを背負ったまま一生を終える人もいる一方、
「人生のある時点で私は愛妻家だった」
という述懐は婚歴のある男性の大多数にとって真理であるという事実が「愛妻家」という言葉の持つ呪いの力の強さを示してもいる。


「愛している」、という言葉がどんな心の有り様を表しているのか、それは万人に通じる言葉でありながら、恐らく一人の人間の頭の中でも時間の経過とともに揺れ動く決して「捉えられない」有り様を表しているからこそ、人はその言葉に一人勝手に無限の価値を見出すものなのかもしれない。

 


「生まれ育った故郷」であったり「自分の出自に縁のある文化」を愛している、と表明する人達がいる。

この人と決めて誰かを変わらずに愛しつづけることと比べれば、これは特段に称揚されることではない。
大抵の人間は比較において故郷や自分の出自に関わりの深い文化をより愛してしまうものだ。
幼児期の苛烈な体験からの逃避や回心的な他文化との邂逅を経て身も心も「改宗」してしまう人は、この技術が際限なく距離の概念の質量を削り続けている時代においても少数派と言える。
他国に居を構え、他文化に染まったところで自分の出自を全く忘れてしまうことは難しい。
むしろ故郷やそれにまつわる文化との関わりは人の心を捉えて放さない鎖のようなものであり、合理的な判断を阻む「認知の歪み」の大元と言えなくも無い。

 


そして、私は思うのだけれど。
果たして「人」はそのような「腐れ縁」に対して「愛する」という言葉が表す心持ちで一生対することができる存在なのだろうか。

少なくとも、何かを愛することを自分のイデオロギーとして表明する覚悟をした者は最低限「愛妻家」のレッテルを貼られた人と同じ程度、いや、自称している分より多くの覚悟を背負うべきなのではないか。

 

 

「愛する」という心持ちの不安定さは誤解と紙一重とも言えるかもしれない。一夫一妻制が制度上の建前である以上、愛妻家が「誤解に基づいて」妻を愛することには何ら問題がない。しょせん二人の問題であり、その誤解はなんら社会に害をもたらさない。むしろ、そのさまを人はほほえましく思う。

 

が、何かを愛していることを看板として掲げ、万人にその愛をつらつらと語っている人が、愛の対象を「美しく誤解」していたとしたら。その「語る」という行為にはなにか意味があるのだろうか。

 


最近、とみにどの国と言わずその国を愛しているとことさらに表明する人物ほど正しくその国の言葉を使えていない傾向があるように思える。

果たして、その人達が「愛している」と標榜している「なにか」は、私たちがその言葉から想起する「なにか」と同じものなのだろうか。


なにより、「何かを愛する」、ということは標榜すべき何かなのだろうか。

 

世間が評価する以前に「愛妻家」の看板を掲げ、「私が如何に愛妻家なのか」というテーマで語り出す人がいたとしたら、あなたはその人をどう評価しますか。